納涼祭2023「今年の納涼祭は海開きがあるらしいぞ…!」
連合内でそんな話を耳にした。楽園連合には人間を恨んだ者が集まるが、三大祭に興味を持つ者も少なくはない。しかし明酔町も襲撃対象である以上、あまり大きな声では話されないのだ。
ふと気になったので声をかけてみることにした。
「…その話、本当かい?」
「本当本当!…って、幹部様!?す、すみません…!」
彼はこちらを見るなり怯えた様子で頭を下げた。
「なぜ謝るんだい?僕は何も言ってないじゃないか。それにしても海開きか…。」
「か、幹部様も興味がおありなんですか?」
彼は恐る恐るこちらに聞いた。
「…何、いつもの偵察だよ。人が集まるところには情報も集まるからね。君たちは?」
「流石幹部様…!お恥ずかしい話ですが、正直に話すと俺たちは遊ぶことしか考えていませんでした…。」
「ふふ、気にしなくていい。海と聞くと気分が上がるのも分かるよ。但し羽目を外しすぎないようにね。」
そう言って笑いかけて見せると、先程まで怯えていた彼は表情を明るくさせた。
連合での朔夜の姿は優しく面倒見の良い幹部として見られているだろう。
どうしてそう振る舞うのか、それは面倒ごとに巻き込まれたくないからだ。
彼は常に、必要に応じ何かに化けて生活しているのだ。
本当の姿を知っているのは、きっと盟主と彼の相棒くらいだろう。
少し彼の相棒について話そうか。
名前は暁。鳩の獣人で、真面目な働き者だった。
彼は朔夜に拾われたらしく、まるで雛鳥のように朔夜の後ろをついて行く姿がよく見かけられた。
そんな彼に対し朔夜もただの部下としてではなく、まるで弟のように接していた。
しかし、最近はそんな彼の姿を見かけなくなった。
連合に顔を出すのは朔夜1人になり、暁について聞く者も多かったが彼は何も答えなかった。
中には「あいつは鳩の獣人だろう?それにお前は化け猫ときた。なあ、喰っちまったのか?」
そう聞いた者も居たらしいが、以降その者の姿を見なくなった為この話題は禁句になっている。
暁が居なくなった今、彼がその変化を解くことは無い。本当の彼は一体何処へ行ってしまったのだろうか。
これは彼しか知らない、彼の休日のお話。
夕暮れ時。
朔夜は海に来ていた。
納涼祭直前に解放された浜辺、夢楼浜には沢山の人々が集まっている。
といっても、昼間の賑やかさと比べれば今は随分と落ち着いたようで家や宿に帰る者もぽつぽつと見受けられる。
今回の朔夜の目的は「釣り」だ。
彼は浜辺から離れた人けのない岩場で、1人釣りを楽しんでいた。
バケツの中を覗き込む。小さめだが3匹も釣れていた。素人にしては上出来だろう。朔夜は満足気な顔をするとまた海の方へ向いた。
何故彼は釣りに来たのか。その理由としては、単純に魚が好物だからだ。
しかし彼は普段、人前で魚を食べることは無い。
彼が幼い頃、嬉しそうに魚を頬張っていると人間の子供に「キャットフードも食べるのか」と皿に入れられたことがあったからだ。
今となってはくだらない話だが、やはりどうしても人前で食べることには抵抗があった。
だからこうして、休日のうちに自己調達して誰にも見つからずひっそりと食べる予定だったのだ。
海開きの話を聞いた時はどんなに嬉しかったか。
(あと1匹釣れたら帰るか…)
そう考えていると魚が引っかかったのか、手に持っていた釣竿が揺れる。
「お!かかったな…!」
朔夜は立ち上がり釣り竿を離さないよう手に力を入れる。竿は揺れて揺れて…物凄い力で海へと引っ張りはじめた。予想外の力に朔夜は体制を崩し、置いていたバケツを蹴り飛ばしてしまった。
「えっ…あっ?危なっ…いや、いくら何でも大きすぎだろ!?」
サメでも釣ろうとしているのか?そう考えてしまう程の力で朔夜はズルズルと引っ張られて行く。
「まずい、このままじゃ…!」
浜辺にいた人々がざわつく。
それほどの大きな水しぶきを上げて、朔夜は釣り竿ごと海の中へと落とされた。
水面に叩きつけられた衝撃で身体中がビリビリと痛む。やっとのことで目を開けると、目の前に居たのは楽園連合の盟主、胞衣だった。
(め、いしゅ…?)
胞衣は微笑むと、
「おや、奇遇ですね。母は釣り針と戯れていたのですが…。」
そう言って朔夜をじっと見つめる。その視線は何となくだが恐ろしく感じた。
朔夜自身、盟主についてはよく知らない。
気まぐれな方だ、という印象だったが、まさかここまでだとは思わなかった。
胞衣は困惑する彼をみてにこにこと微笑むのみだった。
どうにかこうにか浜辺へとたどり着く。
「泳ぐなんていつぶりだ…というか盟主は一体何してんだよ…。」
ぐしょぐしょに濡れた服を絞りながら元いた岩場へと歩いて向かう。道中すれ違う人々の囁きが聞こえてきた。
「あの子さっき飛び込んだ子?」
「服のままじゃない。目立ちたいのかもしれないけどちょっとねえ…。」
人の姿に化けているとはいえ、朔夜の耳はどうしてもその声を拾ってしまう。目を合わせないよう歩いていると、ふと聞きなれた声が聞こえた。
「あの人、さっきあっちの岩場で釣りしてましたよね。どうしたんだろう…?」
ばっと振り返る。あの声は、あの話し方は……ずっと探していた、暁だ。そう確信した。
彼はこちらに背を向けていて顔が見えない。しかしあの見慣れた姿を間違えるわけが無い。
しかし、彼の前にいる人物を見て目を疑った。
「岩場ってあの…?随分遠いな。新入りは離れたところまでよく見えるんだな。」
そう話しているのは管理人組合所属の眷属、くちなわだった。その存在に気づき、朔夜は近づこうとしていた足を止めた。
(…そうか、あの後管理人に拾われたのか。通りで見つからないわけだ。新入りということは眷属にされたのか?脅されたりしてないだろうな…でも、とにかく…。)
無事でよかった。今はそれしか考えられなかった。彼の姿をこの目で確認できたことが何よりも嬉しかった。
「さて、そろそろ日も暮れてきましたし帰りましょうか。さしみちゃん、いきますよ。」
「はあい!」
暁はこちらに気づくことなく眷属と共に離れていく。彼は幸せそうに笑っていた。
胸がざわつく。もしかしたら暁は、このまま帰ってこないんじゃないか。そんな考えが脳裏をよぎる。
「いやいや。まさか…な。」
元から1人でここへ来たというのに、どうしてだろう。置いてきぼりにされるような、まるで迷子になってしまった子供のような、そんな感覚を味わった。
岩場に戻りバケツを拾う。中の魚は全て逃げてしまったようで空っぽだ。朔夜はバケツの中をぼんやり見つめた後、とぼとぼと帰路に着いた。