淡雪に紅
❆❆❆
ざわざわと、話し声が大きくなる。紅や紺の着物を身に纏った同い年の女性たちが、頬を綻ばせながら飽きもせずおしゃべりをしている。積もる話もあるのだろう。化粧が濃ゆく髪の毛も盛り盛りで、僕には誰が誰かの区別は付かなかった。
窓ガラスの向こうでは牡丹雪がひらひらと舞っていて、今夜は積もりそうだ。吐く息も白い。僕は冷たいガラスに身を預けながら、顔を見られないように俯きがちに式が始まるのを待っていた。というのは、端的に言えば恰好が恥ずかしかったからだ。
「成人式くらいは目立ちなさい」との母からのお達しで、僕は袴を着ていた。しかし大体の男はスーツを着るのが定番だった。袴を着ている人もいるにはいるが、真っ赤な羽織を合わせた田舎によく居るヤンキーだった。自分は地味な色の袴で、その人達とも一線を画していた。
待ち合わせとかする程の仲の良い友人もいないし、また自意識過剰かもしれないが、男で着物というのが珍しいのかチラチラ見られているような気がして恥ずかしいやらで、隅っこで小さく縮こまりながら式の始まりを待っているのである。しかし会場に早く着きすぎたせいか、あと20分近くこうしていなければならない。寒さで震える肩を抱きながら「早くしてくれねーかな」と独りボソッと呟いた。その時だった、横から声をかけられたのは。
「よぉ、久しぶり。」
なんだか聞いたことの有るような懐かしい声にぱっと振り向く。そこには背が高く、しっかりとした体格で精悍な顔立ちの男が立っていた。思い出せそうで思い出せない。
「もしかして憶えてないのか?俺だよ、中学の頃――」「憶えてるよ。」
「中学の頃」という言葉でようやく思い出す。忘れていたのが信じられないほど、中学時代の殆どを一緒に過ごしていた相手だった。
「外見変わりすぎて驚いたんだよ。高校が成長期だったんだな。」
そう言うと彼は照れくさげに笑った。
相手の名はT(イニシャル表記とする)といった。中学時代は背丈も体格も同じくらいだったが、今では一回り大きく見える。中学では仲が良かったが、高校進学を期に疎遠になってしまっていた。よく僕を見つけられたものだ。まぁ僕の見た目が変わってないからかもしれないが、と心の中でいじける。しかしTはまるで僕の心を読んだかのように言った。
「袴が良く似合う奴が居るな、と思ったらお前だったんだよ。」
そう言って僕の肩をぽんぽんと叩く。人に褒められて悪い気はしなかった。
「そろそろ入場時間だし、○○(僕の名前)の隣の席に座っても良いか?」
「勿論良いよ。」
むしろTは僕なんかと一緒で良いのか?という疑問はあったけど、一緒に行動できる相手が出来て嬉しいという気持ちのほうが勝り、Tの後を追うことにした。
❆❆❆
成人式は、中学時代の級友や先生の姿が見られ、懐かしさをおぼえた。実行委員からのビデオメッセージや、手紙が読まれた際には袖を濡らす女子たちが散見された。
成人、といってもあまり実感がわかないのかもしれない。僕は高校卒業後、4年制大学へと進学した。だから「大人」として社会に出るにはあと2年の猶予がある。だけど、同級生の中には勿論高卒で働いている人もいるし、短大を出て来年度から働く人もいる。皆どんどん「大人」になっていくのだ。「子供」を卒業し、「大人」となるための通過儀礼として、こういった式が開かれるのだ。なんだか置いてきぼりをくらったような寂しい感じがした。
式が終わると集合写真を撮って解散になる。僕の予定は、一旦自宅に戻ってから中学の同窓会に参加することになっていた。
「また夕方に会おうな。それから二次会はサシで呑まないか?積もる話もあるし。もう誕生日も過ぎてるだろ?」
結局Tは式中も式後も一度も僕のところから離れなかった。ちらほらと友人らしき人物に話しかけてはいたが。
「あぁ。お酒は弱いからあんま呑めないけど。」
疎遠になっていたTと、変わらず会話が出来ることに安堵しつつ、僕は返答した。
「じゃあ後でな。」
「じゃあな。」
そう言ってお互い帰途についた。
さっきまで積もりそうだった雪は何処へやら、いつの間にか青空が広がっていた。
❆❆❆
Tと同様、中学の同級生は疎遠になっている人が殆どだったので、ドギマギとしながら同窓会の席に着いた。ちょっと広くて小洒落た居酒屋が会場だったからか、皆大人びた恰好をしている。女の子達は成人式の時の髪型のまま、わいわいと盛り上がっていた。場に華がある。僕は目の前に出された枝豆をつまみつつ烏龍茶を飲んでいた。昔から話すのがあまり得意な方ではないので、自然と聞き役に回る。同級生達が今どんなことをやってるのか純粋に興味があったから、聞いているだけでも面白い。昔はヤンチャしてた奴が、今は夢目指して独学で勉強していたりだとか、海外に留学しただとか。そして話はTの番になった。Tといえば中学卒業後高専に入ったから……と考えると大学に編入していなければ、今は社会人1年目にあたるのだろうか。
「今は△△の技術者として働かせてもらってるよ。」
△△といえば地元の有名企業だった。へぇ〜〜!と賞賛の声が上がる。僕も内心へぇ〜〜!と声を上げていた。それからはTを囲っての談笑が始まった。そして僕の番まで回らずに、男子が女子に話しかけ始め、女子が男子に話しかけ始めるという軽い合コン状態になった。
僕はホッと安堵のため息を吐いた。僕の番まで回ってきていたら、僕は何を話せただろう。取り敢えず大学には入学したけど、それっきりだ。それっきり、これといった面白いことがない。なんて空っぽなんだろう。
そんなことをふわふわと考えていたら突然話を振られた。
「○○は彼女出来た?」
場が軽い合コンモードになってきたから恋バナが始まったのだろう。
「ん〜いや、大学入って1回付き合ったけどすぐ別れちゃったよ。」
正直に答えると、男子連中にニマっと笑われた。
「ここ来てる女子で気になる奴がいたら今がチャンスだぞ。」
と小声で囁かれる。大きなお世話だ。
「いないから大丈夫。」
そう言うと、彼らは「つまらん」と言って肩を落とした。自分達が行けばいいのに。
「やっぱ同窓会でわんちゃん狙ってるやついるんだな。」
次はTが僕にしか聞こえない声で囁く。
「Tはどうなの?ていうか、彼女いるの?」
「周り男ばっかだし、こんな顔だし、出来る要素が無い。」
そう言ってヘラっと笑う。見た目は全然モテそうなのに。
「中学の時に好きだった相手にとか、今がチャンスなんじゃない?居るか知らないけど。」
中学時代、ずっとTと過ごしてきたが、何故かお互い恋バナなんてものは一切しなかった。だからTが誰のことを慕っていたのかわからないし、そんな自分が不甲斐ないなと思う。
「そうだよな……」
Tが深刻な表情でボソッと何事か呟いたのはわかったが、喧騒に掻き消されて何と言ったのかはわからなかった。
「え、何。なんて?」
「いいや、なんでもない。そんな人はいないよ。」
そうニッコリと微笑むだけだった。
❆❆❆
同窓会がお開きになると、二次会に行く組と帰宅する組に分かれていた。僕はTに、皆と共に二次会に行かなくていいのかと訊ねたけど、Tは僕とサシ飲みがしたいと言い張った。
同級生に別れを告げて、別の方向に歩き始める。
着いたのは隠れ家のようなバーだった。薄暗い店内にまばらに客が座っている。僕らは1番隅のテーブル席に腰を下ろした。
バーには入ったことがなかったので、作法がわからずドギマギしてしまう。取り敢えずTが頼んだものと同じカクテルを注文する。
Tはどうやらこういった所に慣れているようだった。僕より大人だものな。
それからは他愛のないことをつらつらと話した。高校時代はどうだったとか、今は何をやってるだとか、中学時代の思い出話だとか。話が佳境に入ると、実はアイツは誰ちゃんが好きで今日お持ち帰りする予定なんだとか、高校の友人で女を取っ替え引っ替えしてる奴がいるだとか、下世話なものにうつった。
まだカクテルは二杯目だったが、既に頭はクラクラしていた。しかしTと話していると楽しくて体がポカポカした。
「ところでさ、」
そろそろ終電間近の時間になったところで、Tが深刻な表情で口を開いた。
「ん、何?」
「男同士で付き合うのってどう思う?」
「は?」
何を突然。
「いや、俺の友達がさ、そいつ男なんだけど男に恋してて。高専だとそういうのよくあるんだけど、一般人から見たらどうなんかなって。」
Tはバツが悪そうに早口で喋る。
僕は回らない頭で考える。
「べつにいいんじゃない?世間的にもふつうのことになってきてるし。」
同性婚のニュースの見出しを思い出す。同性同士付き合っていても別に気持ち悪いとは思わない。
「じゃあさ、お前が告白される当人だったらどう思う?」
うーーん、と考えてみる。想像したこともなかった。
「喋ったこともない奴だったら気味悪いけど、仲いい奴だったら考えるかもしれん。」
実際そういう状況に至ったことがないからあくまで想像だけど。「喋ったこともない奴」とは、高校の頃、告白してくれたよく知らない女の子と付き合ってみたけど、相手が自分の外側しか見ていないように感じたせいで結局上手く行かずに破局したからだった。それ以来誰とも付き合えていない。
「じゃあさ……俺は?」
「は?」
突然の言葉に、酒が染みた頭ではTが何を言っているのかわからなかった。
「俺がお前に告白したら、どうする?」
冗談、と笑おうとしたが、Tの顔を仰げばその表情は見たこともない真面目な表情だった。
一気に酔が冷める。
「は……」
冗談だと言ってくれよ。
「いや、無理なら良いんだ。」
思考が覚束無い頭で必死に考える。今僕がTに何を求められているのか。その要求に僕が応じられるのか。必死に考えたが、中学時代に一緒に濃厚な日々を過ごしたTと付き合うことに対して不快とは思わなかった。でもーー
「無理じゃないよ、でも、お前にはもっと釣り合うような人がいるんじゃないか?僕なんて」
そうだ、Tは僕より頭も良くてカッコよくて、今じゃ僕よりも大人になっていて、どう見たって不釣り合いだった。昔はよく並んで歩いていたけれど、今じゃ並んで歩く姿なんて想像できなかった。
「僕なんて、何だよ。」
「僕は、空っぽだから。」
目の前にいる相手に対して、悔しくて、寂しくて、知らない間に目尻に涙が溜まっていた。僕は泣き上戸だったのか、と他人事のように思う。
「そんなことはない。お前は凄いやつだよ。」
そんな漠然とフォロー入れられても。僕のことなんて知らないくせにさ。
だけどTの真剣な表情に、素直に聞き入れる自分も居る。
「中学の頃ずっとお前が憧れだった、嫉妬するくらいには。」
そんな風に見られているなんてわからなかったよ。
「でも、それ以上にお前のことが好きだったんだよ。でも言えなかった。高専に進学して、離れ離れになって、ようやく忘れられると思ったのに忘れられないし、告白されてもお前のこと考えちゃうし、今日も探さないつもりだったけどすぐに見つけちまうし。」
Tがぽつぽつと呟く。そんな恨みがましい顔で見られても僕のせいじゃないんだけど。
「ははっ。お前めっちゃ僕のこと好きな?」
信じられないことばかりで思わず笑ってしまう。Tはそれを見て口を尖らせた。
「……無理じゃないんだよな?」
「何が?」
「俺と付き合うの。」
男同士の付き合い方はよく知らないが、昔みたいに仲良くなれるならなぁとぽやーとした頭で考える。男とのキスやセックスは想像すらつかないけど。
「男同士って何やるのかわかんないけど、まぁお前となら。」
そう答えるとTは破顔した。そしてこんなことを提案した。
「今から試してみないか?」
❆❆❆
気づいたらバーを出てタクシーに乗っていた。タクシーに乗るなりTが運転手に告げた住所は、街外れのものだった。なんとなく行き先を察する。
「今から試す」という言葉から今後自分がどうなるのかは容易に想像できたし、勿論拒否することだって出来た。しかし何故かホイホイと付いてきてしまった。家には「友人とカラオケでオールする」と連絡を入れ、自分で逃げ道を絶ってしまった。