胎児の夢胎児よ
胎児よ
何故躍る
母親の心がわかって
おそろしいのか
**
誰かが泣いている。ぼんやりとした意識の中、少年は隣を見た。そこにいる少女の顔をした化け物は、楽し気に笑いながら哭いていた。どこかで見たような顔で、しかし見覚えのない姿でいるその怪物に手を伸ばし、身体を覆っているふんわりとした羽毛に触れる。とくんとくんとその奥に流れる血潮を手の平に感じながら、少年はそれをよく聞こうと耳を押し付けた。自分がなんだったのか、彼女がなんだったのかもまだよく思い出せないので、ひとまず目を閉じてその音に耳を傾ける。少女の号哭はまだ響いていた。
**
化け物は笑っている。笑って笑って、そうしながら町の中を練り歩いていた。人の目を惹きつけ狂わせて、パレードのように追従する人々を増やしながら、それは四本の脚で歩いている。
「チコーニャ!」
その狂乱の前に、一人の青年が躍り出た。名を呼ばれた怪物はぴたりと足を止めて首を傾げる。笑みを絶やさぬまま、未だ潰れていない右の眼を大きく見開いて、それは青年を見つめた。カノープスという名の青年は、バイザー越しに苦し気な顔をする。
「……何故、プロキオンを殺したのですか」
ぱちり、ぱちり。それが無垢な子供のように不思議そうな瞬きを繰り返すので、カノープスはもう一度同じ問いを投げかけようとした。しかしそれより早くそれは声を上げる。
「殺した。それは違いますよ、カノープスさん。私のお腹の中に入れてあげたんです。だってかみさまはそれを望んでいたんです。こうなることに救いを見出していたんです。」
「……な、」
「チコーニャについてきたみんなもそう。チコーニャのお腹の中に入りたくて、一生懸命ついてきているんです。ああそれともカノープスさんも私のお腹の中に入りたいんですか?それじゃあ駄目ですよ、順番抜かしは。ちゃんと並んでいる子たちが可哀想でしょう」
正気だった頃、少女がまだまともに頭を動かしていた頃、お菓子が欲しいあまりに順番を抜かした子供を叱っていた、その顔と全く同じ顔で化け物が言うものだから、カノープスは何かが喉の奥に込み上げてくるのを感じる。もうどうしようもなかった。それは自らの恩人である青年を喰い殺した化け物であり、しかし純粋に彼を慕って役に立ちたいのだと笑っていた少女その人であった。頭の中がぐちゃぐちゃのまま、ただ剣を握る。いずれにせよ、止めなければならない。少女がこれ以上罪を犯す前に。ただ日常を生きていた無辜の民が犠牲になる前に。
そして何より、彼女の中に巣食う狂気そのものを殺すために。
「……せめてその魂が還れるように……私が、斬る。」
ざり、と、青年の靴が地面を踏みしめる。きゅるりと少女の瞳孔が狭まった。同時に青年に雪崩込むように人が掴みかかる。縋ろうとするように伸ばされた手をかわし、人の間を縫って少女の攻撃から逃れながら少女に迫った。彼女は人波に飲まれた青年を探し出すことが出来ず、同時に攻撃もできない。