「 」
足を止める。ぱちぱちと瞬きをしながら少女は振り向いた。
「 」
呼ばれるままにふらふらとひとつの店に近寄る。煌びやかな服に身を包んだ人形たちが、窓の向こうで目を閉じたままそこに鎮座していた。それを眺めるうち、ひとつの人形と目が合う。
それはそれは美しい琥珀色の瞳だった。一目見たら忘れられない色だった。
日に三度のミルク、それから主人の愛。その二つで生き、より美しくなる人形、プランツドール。琥珀色の瞳のお人形はそれであった。元は貴族の遊びであるそれはひどく値が張る買い物ではあったが、彼女の家は特別裕福であったので問題はなかった。
プランツドールは、自らと波長の合う人間や気に入った人間を選んで自らの主人とする。故に、チコーニャは一目惚れしたこの人形が自分を選んだことに舞い上がっていた。
彼の名はオラクル。店主は彼を目覚めさせ引き取った、要するに彼の主人である少女の好きなように呼べばよいと言ったが、チコーニャはその神秘的な名前をとても気に入った。なにせ、このお人形ときたらこの世のものとは思えない美しさをしているものだから、これ以上なくその名前がぴったりに思えたのである。
「オラクル!今日から一緒に暮らそうね!私のこと選んでくれて嬉しいな……えへへ……」
人形の手を取りチコーニャが笑う。彼は同じように微笑んで彼女の手を握り返した。
「花婿を見るような目で見つめてくださいましね」
褐色肌の店主が薄く笑いながらそう口にする。チコーニャは店主の方を見た。人形なのに、花婿?と不思議そうな顔をする彼女に、店主は目を眇める。そしてつ、と笏でチコーニャとオラクルを指した。
「日に三度のミルクも無論大事ですが……彼に一番必要なのは、あなたの愛情なのですから」
「……指輪とかあげた方がいいの?」
「さて。それが彼に与えられる愛情の一角だと思われるなら、ご随意に。
しかし、ええ。お忘れなきよう。服は小さめ、ミルクと砂糖菓子以外はご法度。さもなくば、“育って”しまいますからね。」
「……?」
お人形なのに?とまた不思議そうな顔をするチコーニャに、店主はやれやれと首を振り肩を竦める。チコーニャはなんとはなしに馬鹿にされたような気がしてむ、と唇を尖らせた。その様子を見ていた店主は軽く謝罪をした後に口元に笏を当てて目を三日月のように細めた。
「あなたの花婿は育つのです、なにせ生きているもので」
チコーニャは少年の方を見た。彼は不思議そうな顔で店主を見ていたが、チコーニャの視線に気がつくとふわりと笑う。それがあんまり綺麗なので、チコーニャは思わず頬を赤らめた。
「さて、それでは改めて。どうぞ末永く、花婿を見るような目で見つめてくださいましね」
店主は幼い少女の付き添いが店の前までやってきたのを確認すると、再びそう言って彼女の買った品物を持たせ店外へ送り出す。チコーニャの隣には、勿論件の少年人形がいた。
家に着き、チコーニャは親兄弟への挨拶や紹介もそこそこにオラクルを台所へ連れて行く。きょろきょろとキッチンの中を不思議そうに見回している彼を横目に彼女はミルクを温める。
「人肌くらい?それともホットミルクでいいのかな。聞いておけばよかった……」
そうぶつぶつ呟く彼女の背後から、オラクルが鍋を覗き込んだ。そしてふつふつと煮え始めた頃に、彼が勝手に火を止める。それをチコーニャはきょとんとして見つめた後に、オラクルの方を見た。
「このくらい?」
「……」
にこりとオラクルが頷くので、他のプランツドールがどうかはともかく彼はこのくらいが好きらしいと判断した彼女は大人しくカップに暖まったミルクを注いだ。
そしてチコーニャは彼の分のミルクと自分の分の紅茶を持って自室へ戻る。キッチンから数歩出たところで、何故かオラクルがチコーニャからトレーを取り上げて後ろを着いてくる。そんなに危なっかしく見えたのだろうかとチコーニャは首を傾げた。
自室に入り、物珍しそうにテーブルやらタンスやらを見ているオラクルからトレーを受け取ってテーブルに置く。残念ながら椅子はまだひとつしかないので、チコーニャは一旦彼をベッドに座らせた。そしてミルクの入ったカップを渡すと、彼はちびちびとそれを飲み始める。自分は椅子に座って紅茶を飲みながら、改めてオラクルを見た。
見た目の年齢は15歳ほどだろうか、少なくとも10に満たない彼女より頭一つ分背が高い。少年というより少女のように見えるのだが、店主がプランツドールとしては珍しい少年人形である、と言っていたのでチコーニャはオラクルのことを少年として扱うことにしていた。
髪色こそあまり目立たない色をしているものの、それが却って琥珀の瞳と陶器の肌を目立たせている。服は彼を買い取る時に一緒に買ってきたが、またどこかで服を見に行くのもいいかもしれないとチコーニャは頷いた。
ふと目が合う。それまで何とも言えない無表情をしていた彼が花開くように笑顔を零したので、チコーニャも思わず笑顔を返した。彼がカップをトレーの上に置いたのを見てからよいしょとベッドに上がり、彼の膝の上に寝転がる。少年にしては柔らかい手が彼女の頭を撫でた。猫のように目を細めてしばし微睡み、ふと寝返りを打って彼を見上げる。
「ねえオラクル」
「?」
「オラクルはやっぱり、私以外には笑わないんだよね?」
眠たそうな顔のままのちいさな主人がそう尋ねてくるので、オラクルは不思議そうに首を傾げた。
プランツドールは主人を一番に愛するものだ。例外は存在するが、基本的に自らの選んだ相手に対して強い愛着を示す。それは愛されないと生きていけない彼女らの本能とも言うべきもので、だからこそ自らの主人が愛を枯渇させないように主人以外を見つめることは無い。
元より返答は求めていなかったのか、半ば夢の中に足を突っ込んでいる彼女は欠伸をしながら言葉を続ける。
「オラクルの笑顔、とってもきれいだから、みんなに自慢したいな……」
むにゃむにゃとそう言いながらとうとう寝息を立てる少女を見下ろして、心得たと言うようにオラクルは微笑んだ。