シンアブ人魚姫 深い海の底には人魚たちが住んでおりました。人魚たちは10歳になると地上の様子を見てもよいということになっていました。
人魚の少年、アブトはその時を心待ちにしていました。アブトはかつてから友人に聞いていた、機械や鉄道といったものに興味を惹かれ、一目見たいと思っていたのです。
アブトが10歳になった日、彼は意気揚々と地上へと上がっていきました。しかしその日の海は大荒れ、遠くには嵐に大きく揺れる船があります。
アブトはその様子を黙って見ていられる質ではありません。紫色の尾をけんめいに動かし、船の元へ泳いでいくと、その近くに今にも海の底へ沈んでいきそうな少年がいることに気付きました。アブトは手を伸ばし、彼を引き上げると浜辺まで連れて行きました。
夜通しの看病の末、倒れた青年は息を吹き返しました。
「君が助けてくれたのか…?」
「溺れかけていたから引き上げたんだ」
「ありがとう…君の名前は?俺はシン。世界の謎を探していたら、嵐に巻き込まれて……」
「俺はアブトだ」
「アブトはどうして海に浸かったままなの?上がってきなよ」
アブトは応えられず、口ごもりました。
「俺は人魚なんだ」
「えっ」
「嘘に決まってるだろ」
「なんだよ~、世界の謎をこの目に焼き付けられると思ったのに!」
それから2人は、しばしばこの海岸で会うことになりました。
そのうち、アブトはシンに心を惹かれ、人間の足を手に入れ、シンと地上で走ってみたいと思うようになりました。そこで、彼は人魚の王、カンナギの双子の姉、アストレアに相談することにしました。
「人間の足が欲しい……俺はあいつと一緒に追いかけっこというものをしてみたいんだ!」
「そうね……」
アストレアは戸棚から瓶に詰められた飲み薬を取り出しました。
「これを飲めば人間の足が手に入れられる。だが、あなたは声を失う」
「…!」
「あなたが惹かれている、シンという男……彼に失恋したら、あなたは海の悪魔となる」
アブトはその代償を知りつつも、その薬を貰うことにしました。
王の城から出たアブトを人魚の王、カンナギは待ち伏せして彼にこう囁きました。
「お前の想い人は人間の国の王子だ。浜辺から出て、左に見えるのが王の城だ」
カンナギに言われるがまま、アブトは浜辺に出ると薬を飲み、人間の足を手に入れ左の城へと向かいました。すると、森の影からお姫様のような女性と、シンが出てくる姿が見えたのです。
シンとの距離は離れていて、声も奪われていて呼びかけることもできません。おまけに手に入れた足はナイフで貫かれたようにズキズキと痛み出しました。
アブトは悲嘆に暮れると、体を黒く変え、悪魔のような姿に変わってしまいました。
浜辺に出たカンナギはそれを見ると告げました。あの王子に槍を突き刺し、返り血を浴びれば人魚の姿に戻れる、と。
アブトは怒りと悲しみのまま、シンの元に飛んでいきました。そして、連れ立った女性を逃がしたシンに飛びかかります。しかし、アブトはシンを突き刺すことはできず、海へと逃げ帰ってしまいます。
シンはそれを必死に追いかけました。いつもの海岸に辿り着いたシンは、海へと潜りました。すると、人魚の足を失ったアブトが、海の底へと真っ逆さまに落ちていくのを捉えました。
シンは落ちていくアブトのもとへ深く深く潜っていき、伸ばした手を捕まえ、引き寄せて抱きしめました。シンはアブトの唇にそっと口づけると、水面へ上がっていきました。
地上に顔を出す頃には、アブトの姿は元に戻り、声も出るようになっていました。
「海の中へ逃げようとするなんて、やっぱりアブトは人魚だったんだな」
「でも、俺にはもう尾がない。本当にそうか、わからないだろ」
「難破して、アブトが助けてくれた時、紫色のきらきらした何かを見た。あれがアブトのものだったんだろ」
シンは青い瞳を輝かせて、アブトのことを見つめました。
「俺はとっくに世界の謎を手に入れていたんだ」
その後、シンが連れ立っていた女性は隣国のお妃で、相手がもういるということもわかりました。王子であるシンは王様にアブトを紹介しました。すると、その美しさと聡明さから、アブトは王子さまになることを認められました。
2人は一緒に国を治めることになり、人間として幸せに暮らしましたとさ。
おわり