【旗主】契約更新は不要.
住めば都。狭いながらに楽しい我が家。社会人になってから始めた一人暮らしは、なかなかに快適だった。
チャンネル権を突如強奪されることもなく、回避したフラグを再構築するような頼まれ事をされることもない。両親の恩恵を受け自ら行う必要のなかった家事は確かに面倒ではあるが、単身者向けのワンルームの収納スペースを考えて持ち出した所持品は最低限のものだけ。必要なものがあれば、実家に取りに行けばいい。つまり、掃除洗濯も然程手間ではない。本当に厄介なのは、毎日の食事くらいだ。
「……そう思ってた筈なんだけどなぁ」
「なにがです?」
狭いワンルームを改めて見渡し深く息を吐き出したところで、旗野くんが具材の煮込まれた鍋を持って廊下のキッチンスペースから顔を覗かせた。畳んだままの洗濯物が邪魔だったようで、足で退かしながら湯気の立った鍋をテーブルの上へ置く姿に、この子って意外に行儀悪いんだなぁと笑みが零れる。俺のだったら絶対しないくせに、自分の洗濯物だから余計に扱いが雑だ。
「いい匂い、何味?」
「ええっと、地鶏出汁って書いてありました」
ふわりと香る出汁の匂いに空腹感が煽られ無遠慮な腹がぐうっと鳴り、旗野くんが座る前にぱちんと両手を合わせた。
「いただきま〜す」
白菜とネギ、豆腐に肉団子。熱々の具材を取って、そのまま口へと運ぶ。味が染みていて美味しい。
「旗野くんってば、料理上手くなったねぇ」
「鍋セットに足りない具材追加して市販のスープと一緒に鍋に入れただけなんスけど」
「目玉焼き焦がしてた頃から比べれば?」
「それは未だに焦がします」
「固焼き好きだよ、俺」
俺の発言を褒め言葉として捉えたらしい旗野くんが、小さなテーブルを挟んだ向かい側で嬉しそうに笑う。
「旗野くんも早く食べないと冷めるから」
「あ、はい……うわっ」
鍋を覗き込んだ拍子に足が当たり、洗濯物の山がバランスを崩して倒れていく。旗野くんが一昨日と昨日着てたやつだ。
「あーあ、出しっ放しにしててごめんね」
「いえ、どうせ後で適当に鞄に突っ込んで持って帰るから大丈夫です」
「皺になるじゃん」
とは言っても、クローゼットの中は俺のスーツや普段着、日用品のストックや掃除機その他諸々で埋まっていて、片付けたくても旗野くんの着替えをしまえる場所がない。そのため日々の着替えは、こうしてそのままになってしまっているのだ。これでも来客用(とは名ばかり)の薄っぺらい毛布と敷布団は使う必要がなくなったので、処分して出来たスペースに彼の寝間着代わりのジャージと数日分の下着だけは押し込まれている。
いまの住まいに不便は感じていないが、もう少し広さは欲しい。せめて、もう一人分のスペースを確保できるくらいには。
「あのさぁ、旗野くん」
「はい?」
「此処って一人暮らし用の部屋じゃん?」
「ですね?」
「手狭なワンルームでは収まりきれなくなるほど、君の私物が増えてきています」
「えっ、あっ、今すぐ片付けます持ち帰ります!!」
「違う違う別れ話じゃない最後まで聞いて」
「……ほんとですか?」
「ほんとです、安心して聞いてください」
テーブルをひっくり返さんばかりの勢いで洗濯物を抱えた旗野くんの行動は予測出来たので、サッとテーブルを掴んで鍋を死守しながら首を横に振る。喉まで出掛かった溜息は、世界滅亡を宣言されたみたいな表情の旗野くんをこれ以上追い詰めないために飲み込んだ。
「それじゃ、話続けるけど、」
「……はぃ」
「もうワンルームじゃ足りないし、一人暮らしと呼ぶにはこの部屋で二人で過ごす時間が増えてきているので、そろそろどうですかって、聞きたかったんだよね」
「……ぅ、え、そ、……それ、って、」
「ご両親へ挨拶に行かなきゃだし、物件探しとか引っ越しとか色々大変だけど、それでも大丈夫?」
俺の問いをゆっくりと咀嚼した旗野くんは、血の気の引いた真っ青な顔から一気に頬を紅く染め、滲んでいた瞳からぽろぽろと大粒の雫が溢れさせていく。それでも必死に嗚咽混じりに何度も頷いてくれるから、愛おしさで胸がいっぱいになってしまって。涙を拭ってやろうと伸ばした手で旗野くんの襟首を引っ張って、少し塩気のある唇に自分のものを重ねて遣った。
思い立ったら直ぐに触れ合える距離でいられるのは、狭いワンルームのいいところである。
「やっぱり収納スペースは広めがいいな」
「はい」
「トイレと風呂は別で」
「はい」
「ペット可が良いけど、難しいならそこは妥協する」
「はい」
「はいしか言ってないけど、旗野くんちゃんと考えてる?」
「はい」
「……寝室は別々?」
「一緒でお願いします……っ」
「そこは『はい』じゃないんだ」
【契約更新は不要】