【旗主】恋心、深く染色.
高校生時代から付き合いのあるダチが、大学二年の冬頃から少し変わった。
とは言っても、通ってる大学は別ンとこ。東條達と遊ぶときに時々声を掛ける程度の間柄って感じで、特別親しい関係というよりも、高校から続いている仲の良いグループの面子の一人。だから、明確に此処が変わった!と言い切れるなにかがあるワケじゃねぇ。ただちょっと、その変化が気になるっていうか、……面白くねぇっていうか。
「お、なんやこれ!?この辺じゃ見かけんヤツやん!」
「これ知ってる!少し前テレビで紹介されてたよね!」
「旗野が持ってきたんだっけ?」
「おう、結構美味いぞ」
今日の宅飲みの為にわざわざ通販で買ったというクラフトビールは、飲んでみれば確かに度数の割に苦味はなくて飲みやすい。香りも良い。
何処で見付けてくるのか、前の宅飲みでも珍しい日本酒持参してきたし、先々月の飲み会じゃ隠れ家的な酒の美味い居酒屋を知ってたし、旗野のヤツいつの間に酒に詳しくなったんだ。初めて一緒に飲んだときは、ノンアル出しても気付かなかっただろ。
「そろそろつまみが無くなりそうだね。材料は持ってきたし、なにか作ろうか?」
「三郷が遠慮なく食べるからじゃん」
「空っぽの胃袋に酒を流し込むんはアカンからなぁ!」
「綾人、キッチン貸して。三郷くんの為に激辛おつまみ作るから」
「なんやと!?」
大量に持ち寄った酒の肴達を次々に平らげたことに悪怯れる様子のない三郷へ満面の笑みを浮かべた東條が、もう既にほろ酔い状態でぐだぐだ文句を言い募る三郷を無視して俺の家の台所へと向かう。明るい口調の中に苛立ちをしっかり含ませていたところを見ると、多分マジで激辛つまみ作るな。豆板醤買ってたし。
「あ、東條。俺も手伝う」
それまで会話の合間にスマフォをいじっていた旗野が唐突に立ち上がり、その予想外の動きに隣に座っていた三郷が驚いてビクリと跳ねる。
「お前、料理出来るんか?」
「少しだけ」
「そういえば、自分で弁当作ってるって言ってたけど、まだ続いてるんだ?」
「東條に教えてもらってる」
「ラーメンを手打ちから作りたいって言われたときは流石に困ったけどね」
高校のときから最近まであんまり食に興味なさそうだった旗野は、なにか心境の変化があったらしく近頃は料理に挑戦してるらしい。すっかり毎年恒例となった今年の花見で、お重に詰まった弁当を広げながら料理仲間が出来たと東條が嬉しそうに話していたのを覚えている。
なんだよ、旗野のヤツ。高校も学食かコンビニで、何度か一緒に入ったファミレスでも目に付いたのをメニューから適当に選ぶって感じだったくせに。俺と同じく焼肉焦がしてたくせに。
「あ、旗野!スマフォの通知来てる」
「サンキュ」
「なんやなんや、えらくご執心やなぁ?」
「その言い方、うざ絡みしてるオッサンみたいだからやめた方がいいよ」
「気になるもんはしゃーないやろ!」
変わったと言えば、さっきまで触っていたスマフォもだ。そもそも写真フォルダが52枚だった男が、飲み会中もじっくり眺めるくらいスマフォに依存するようになるなんて有り得ねぇだろ。それも、少し前から突然。
俺と同じく訝しがっている三郷が何度も「カノジョでも出来たんか?」と茶化しながら探りを入れるけど、旗野はその度に速攻で「そんなのはいない」と言い切っている。カノジョはいねぇって。へぇ。ふうん。
そんなこんなで東條と旗野がつまみを作っている最中。炭酸が切れたとキッチンへ取りに行った柳が、頬を若干赤くして詠嘆な溜息を吐きながらリビングに戻ってきた。
「はぁ、……改めて東條と旗野が並ぶとそれだけで華やかだよね」
「俺だって充分華やかやろがい!」
「三郷のは賑やかっていうんだよ」
「言うやないか」
「三郷くんがうるさ、……賑やかなのは確かだね」
「おい、いまうるさい言うつもりやったな!?」
「自覚があってなにより」
手際よく数品のつまみを作り終えたらしい東條が、追加のアルコールを数本持つ旗野の方を見ながらにこりと笑う。その両手につまみの乗った小皿を持っていなければ、絵になる二人なことは認める。でも、まぁ、その東條が好きなのは俺だけど。俺がカレシだけど。
「俺のことはともかくとして、旗野は最近服装も気遣ってるみたいだし、街中で声を掛けられること増えたんじゃない?」
「道はよく聞かれるな」
「……多分それ、道を聞きたくて声を掛けたじゃないよ」
「出歩いて恥ずかしくない格好は気を付けてるが、俺なんてまだまだだ」
東條の言う通り、旗野の服のバリエーションは多くなったと思う。前はジャージを着回しているイメージがあったのに、最近は雑誌のモデルが着ているような服装が増えた気がする。
一般的なセンスしか持ち合わせていない俺にも分かるくらいコイツに似合っていて、旗野のことをよく知る誰かがコーディネートしてるんじゃないかと疑うほどだ。誰かって、それは多分、
───ガチャンッ
薄らぼんやり浮かび上がっていた人物像は、不意に響いた玄関からの物音によってはっきりと輪郭をもってしまって。俺は滲み出す不快な気持ちを隠しもせず、思い切り眉間に皺を寄せる。
両親は明日の夜まで旅行で戻って来ないこと前提に開催した宅飲みに水を差す野郎は、この家にはアイツしかいない。
「お、いらっしゃい。いつまでも仲良くていいね」
ほら、やっぱり。
「お邪魔してます、お兄さん」
「こんばんわ、お邪魔してます」
「久しぶりやなぁ」
「お、お疲れさま、です……っ!」
「……なんだよ、今日はこっちに戻って来たのかよ」
「実家に帰っちゃ悪い?」
「悪くはねぇけど、いつもは事前に連絡すんだろ」
「……急にミーちゃんに会いたくなって」
ヒョイと顔を出して挨拶をする兄貴はスーツ姿で、その腕には鞄とビニール袋、そしてミーコが抱えられていた。
コイツが一人暮らしを始めて数ヶ月経ったけど、住んでるアパートが実家から数駅の場所ということもあって、時々こうやって帰ってくる。曰く、定期的にミーコ吸いをしないと仕事を乗り切れないらしい。そんなの知るか。
ちなみに今日は、会社から直接こっちに来たみたいだな。ってか、折角の華金なんだからお前もどっかで飲んでろっての。寂しいやつ。
「そうだ、お兄さんも一緒に飲みませんか?」
「はぁ!?」
予想外の東條の提案に驚いて、俺は素っ飛んだ声をあげた。
いやいや、今日はいつものメンバーで飲もうって話だっただろ!
「せやせや!」
おい!
「まだお酒残ってるしね」
待て待て!
「さっき、つまみも作ったんで!ぜひ!」
ふざけんな!
「え、いいの?それじゃ、お言葉に甘えて呼ばれようかな」
「呼んでねぇよ!」
「はいはい、着替えてくるわ」
俺が拒否ってるっていうのに、兄貴のヤツは聞く耳持たずでさっさと二階へと上がっていく。俺の意見を無視して兄貴を誘った東條達を不満気に睨み付けたけど、東條以外は気付く気配もない上にアイツが座るスペースの確保を始めていた。
本当は断固断り続けたかったけど、東條に「折角お兄さんが帰ってきたんだし、ね?」と上目遣いで謝られてしまったら、俺が折れるしかないだろ。んもぉ〜、しょうがねぇな〜〜〜〜!
っていうか、仕事に疲れた社会人と一緒に飲んだって楽しくねぇし、酒を飲み尽くされてもしらねぇからな。そもそもアイツ酒癖悪いんだぞ、俺は絶対面倒なんてみねぇ。
「この空き瓶は捨てちゃうね。はい、三郷くん」
「へいへい、向こう運んどくで」
「柳はそこのゴミ集めてくれる?」
「はぁい!」
「旗野、ちょっとそこ詰めてくれる?」
「お、おう」
「テーブルは綾人に拭いてもらいい?」
「……分かった」
東條が的確に指示を出し要領よく片付けをしたおかげで、あっという間に瓶や缶やゴミが広がっていたリビングに余裕ができていく。できる男過ぎる。
「お待たせ。手ぶらじゃなんだから、今日の晩酌用の酎ハイとジャーキーもどうぞ」
部屋着に着替えてきた兄貴が、狙ったかのようなタイミングでガチャガチャと騒ぐビニール袋を片手にリビングに戻ってきた。個人の晩酌用というには量の多いそれをテーブルの上へと置き、きょろきょろと辺りを見渡して自分の座る場所を探す兄貴に、アルコールで顔を真っ赤にしている旗野が少しだけ強張った声で名前を呼ぶ。
まるで小学校の運動会ンときの呼名を思い出すような呼び方だったってのに、それを揶揄う素振りを見せず兄貴が頷く。チョコケーキのときみたいにイジれっての。
「なに?」
「あ、あの!此処どうぞ!」
「いいの?」
「も、もちろんです!」
「ありがと」
高校生時代から付き合いのある旗野が、大学二年の冬頃から少し変わった。
とは言っても、通ってる大学は別ンとこ。東條達と遊ぶときに時々声を掛ける程度の間柄って感じで、特別親しい関係というよりも、高校から続いている仲の良いグループの面子の一人。だから、明確に此処が変わった!と言い切れるなにかがあるワケじゃねぇ。少し酒に詳しくなったとか、急に料理をするようになったとか、服のセンスが変わったとか、スマフォを頻繁に眺めるようになったとか。
「じゃ、龍二くんの隣に失礼するね」
「はい!」
今まで苗字呼びだった兄貴に名前で呼ばれるようになった、とか。今まで『綾人のお兄さん』と呼んでいた俺の兄貴を名前で呼ぶようになった、とか。そのくらいのこと、だけど。ただちょっと、その変化が気になるっていうか、……面白くねぇっていうか!
「おい!」
湧き上がる苛立ちのまま声を荒げると兄貴の足は直ぐに止まったものの、ただでさえ細い瞳を更に細めて「なんだよ?」と呆れた表情で呟いてきて、その顔が俺にとっては火に油ってやつで。感情に逆らわず自分の隣のクッションもなにもないフローリングを力任せにバンバン叩く。
「兄貴は!こっち!」
「……えぇ、お前の隣狭いじゃん」
「いいから!来い!」
「東條くん。綾人のヤツ、もう出来上がってんの?」
「いえ、まだそんなに飲んでなかったと思うんですけど」
完全に酔っ払いの言動になっている俺を宥めるように東條が背中を摩ってくるけど、いま欲しいのはそれじゃない!
「ごめんね、龍二くん」
「いえ!綾人の隣に行ってください!」
遂に観念した兄貴がやれやれと溜息を吐き、俺の隣の腰を下ろす。けど、その直前に周りから死角になるよう身体で隠しながら持っていたスマフォを旗野の方に向けトントンと指先で突き合図を送ったのを、俺は見逃さなかった。なんだよ、それ!旗野のヤツ、首まで真っ赤じゃねぇか!
「俺、なにも聞いてねぇけど!?」
「だから急にミーちゃんに会いたくなったんだって。連絡しなかっただけで、そんなに拗ねるなよ」
「ちげぇ!」
「めんどくさ。こんな酔い方して、酔いが覚めたとき後悔するぞ?」
「めんどくせぇのはそっちだろ!お前等こそ早く言わねぇと後悔するからな!」
「はぁ?」
「うるっせぇ!」
「……マジで変な酔い方してんじゃん」
ちゃんと報告してくるまで、俺は絶対ぇ認めねぇからな!早く言えば良かったって後悔させてやる!
あぁ、もう!ほんと面白くねぇ!!
「っていうか、旗野は簡単に兄貴に染められてるんじゃねぇよ!」
「染められたんじゃない、俺が染まりたくて染まってる」
「自分を持ってないような優柔不断なヤツに、兄貴を扱えるとは思えねぇけど!?」
「そもそも俺の世界に色をつけてくれたのはこの人なんだ」
「人を染料みたいに言わないでくれる?」
「ええっと、綾人。好きな人の好きなことを知りたいと思うのは当たり前のことじゃないかな?」
「いいから東條は黙ってろ」
「……うん」
「え、二人はそんな関係なの……?」
そんなやり取りをしたのは、あの宅飲みから三か月後のこと。
もちろんその日も、兄貴の隣は譲ってやんなかった。三ヶ月分の重みを思い知れ。
【恋心、深く染色】