【旗主】質も量も愛情も欲しいのです.
「此処の棚に置いてあったカップ麺のストック知りません?」
「……知らないけど?」
「そうですか」
微塵の疑惑も持たず俺の返答に納得した旗野くんは、再びパントリーの中を漁りながら「まだ残ってると思ったんだけど」と独りごちた。
一方、リビングのソファでまったりと寛いでいる態の俺の心臓はバックバクである。手元のスマフォ画面の可愛らしいお猫様の動画よりも、キッチンにいる旗野くんの言動が気になってしまって仕方ない。
まさかこんなに早く気付かれるとは。昨日こっそり食べた分を直ぐに買い足せなかった俺の落ち度だ。
俺の食の好みを把握している優秀な恋人は、新作や珍しいスープのカップ麺を見掛ける度に甲斐甲斐しく購入してくるワケだが、おかげで補充の為に同じものを手に入れるのに一苦労するのである。旗野くんにバレないうちに買い足すのなら一般的に入手しやすいものを食べればいい話なのは分かっている。俺もそう思う。だとしても、ヨーグルトトマトチゲラーメンは気になるだろ。手が伸びちゃうだろ。俺は悪くない。
いや、そもそも彼は俺の為に買っているのだから、“俺が食べること”そのものに問題はないのだ。「ごめん、美味しそうだったから食べちゃった⭐︎」と素直に言ったところで、旗野くんは怒ったりはしないし、むしろ「アンタが好きそうだと思って買ったヤツだから、食べてもらえて良かったです」と笑って返してくるだろう。
此処で重要なのは、カップ麺を“食べた時間”である。
「カップ麺食べたいの?」
「食べたいのは俺じゃなくて、えっと、夕飯の準備に棚を漁ってて気になっただけっつうか」
今もなおパントリーを整理しながらカップ麺の捜索を続ける旗野くんを横目にキッチンを覗くと、調理台には乾燥パスタと鮭と鷹の爪、キャベツなどの材料が並べられている。今日の夕飯はペペロンチーノか。乾麺とカップ麺は同じ箱にストックしていたから、支度を進めていく途中でカップ麺の数が減っていたことに気付いたという流れだったんだろうな。くそ、先週の夕飯に麺類が連続で出ていて油断した。
「買ったと思って、実は勘違いだったとか?」
「珍しい味のヤツで、アンタに食べて欲しくて買いました!ちゃんと!」
「お、奥に転がったとか?」
「段ボールの裏も見たんスけど」
「そういえば先週綾人が来たし、そんとき勝手に食べたとか!?」
「あのカップ麺買ったの一昨日です」
万事休す、八方塞がり。
ちらりと時間を見ても、夕飯を作り始めるにはまだ少し早い。“俺の為”に用意したカップ麺が行方知れずとなれば、旗野くんは暫く探し続けるだろう。やはり聞かれたときに素直に「俺が食べた」というべきだったのか。しかし、いつ食べたか聞かれる可能性を極力避けるには、あれしか言いようがなかった。
「ええっと、」
仕方がない。こうなったら、彼の意識をカップ麺から逸らすか。
「……旗野くんってパスタ作るの美味いよね」
「えっ、そ、そうですか!?」
「早く君の作ったパスタが食べたいなぁ」
「い、今すぐ!作ります!!」
仕向けといてなんだが、チョロ過ぎるだろ。俺が数百万の謎の壺を出した瞬間に即決で購入しそうだな、大丈夫か。
そんな俺の不安を他所に誘導にまんまと乗せられた旗野くんは幸せオーラ全開で調理台へと向かい、意気揚々と「東條から新しいレシピ教えてもらったんです!」とレンチンでパスタ麺を茹でられる容器に二人分の麺を計り入れた。
そう、まごう事なくぴったり二人分である。
これ!これだよ、これ!カップ麺を食ったことを俺が言い出せない理由!!
俺と付き合うようになってから料理を始めた旗野くんの師匠である東條くんの『美味しく作りたいのなら、まずはレシピ通りの作ること』という教えを、彼は律儀に守り続けている。レシピ通り、二人分。下手にアレンジを加えられて微妙な味付けになったものを出されても困るので東條くんの教え自体はとても有り難いのだが、圧倒的に量が足りないのだ。盛り付けに余白の美は要らん。山盛り寄越せ。俺よりも若いくせに、あの量で満足出来る旗野くんの胃が信じられん。
「あ──……、ね、旗野くん……?」
「はい!」
くっ、笑顔が眩し過ぎるだろ。ただ呼んだだけだぞ、何ルーメンあんだよ。
そもそもこうなった原因の一端には、同棲初日に振る舞ってくれた旗野くんの手料理に対して「俺好みでちょうどいい」という、なんとも中途半端な感想を送ったことも上げられるだろう。「ちょうどいい」のは味付けのことだったのだが、彼は量で捉えたらしい。
しかし、今更あの時の言葉を訂正するのも、今まで俺を思って一生懸命夕飯作りに勤しんでくれた彼に申し訳ない気持ちも確かにあって、出来れば自分で気付いて頂けると大変助かるのだが。
「その、……今日はすっごく腹減ってて、いっぱい食べれそう」
「豆腐サラダも作ってありますよ!」
「……わーい」
もちろん副菜も美味しく頂くけど、もっと主食を増やしてくれ。君とのフラグを折ろうと四苦八苦していた頃に肉肉肉騒いだこともあったってのに、なんでこんなに察しが悪いんだ。攻めなら攻めらしく、受けの心情の機微に敏感に反応しろ。
「あのさぁ、」
「ん、なんですか?」
「…………いや、なんでもない」
と、まぁ、以上の理由から旗野くんと同棲を始めてからの俺は、カップ麺である程度胃を満たしてから夕飯に臨むという生活習慣が出来上がってしまっており、冒頭のカップ麺のストックを食したことを言えずにいるという現状に至っているのだ。
旗野くんにバレないように毎度毎度麺を流し込むのもいい加減しんどい。翌日に残ってもいいから、3人分以上の分量で作って欲しい。念を込めてじぃっと鷹の爪を輪切りにしている彼の手元を睨み付けるが、俺の気持ちは届く気配はなく、ただ嬉しそうにふにゃりと笑う顔が向けられるだけだった。くっそ、顔がいい。
「今日のパスタってペペロンチーノでしょ?」
「はい!あ、ニンニク買い忘れちゃったんでチューブで申し訳ないんスけど」
「それは全然。旗野くん料理上手になって、今じゃすっかり胃袋掴まれてるし」
「本当ですか!?」
「ほんとほんと。未だに焼肉は焦がす方が得意なのにね」
「……ゔっ」
量が足りないと正直に伝えれば万事解決することも、それが一番手っ取り早いことも十二分に理解している。理解はしているのだが、今更言い出しにくいというか、この歳になっても食い意地張っていると思われるのも癪というか。
いや、断じて、恋人よりも食事の量が多いことが恥ずかしいとか、少しでも彼の中にあるらしい“年上のかっこいい俺”のイメージを崩したくないだとか、そんなBL漫画の受けみたいな発想からくる葛藤ではない。ホントに、マジで、微塵もないからな。
「旗野くん」
「はい?」
「明日は一緒にカップ麺買いに行こっか」
「それって、デートのお誘い……っ!?」
「ただの買い出しだわ」
安上がりな男だな。もういっそ、明日の買い出しはデートに変更して某カップ麺ミュージアムに行ってやろうか。うん、それもいいな。旗野くんに世界で一つだけのカップ麺を作って、今回の騒動は忘れていただこう。
あーあ。俺のカップ麺掻き込み生活は、まだまだ終わりそうにないらしい。
【質も量も愛情も欲しいのです】