【旗主】仕返しは翌日の夜だった.
「昔はよく泣いたり、涙目になったりしてたのにね」
「……へ?」
御涙頂戴感動ドキュメンタリー映像のワイプの中でイケメン俳優が涙を一筋流していることに気付き、頭に浮かんだ言葉をそっくりそのまま声に出せば、隣に座っている龍二くんは俺の脈絡のない声掛けに当然首を傾げた。
「ゲストの俳優が泣いてるのを見たら、龍二くんもよく泣いてたなぁって思い出しちゃって」
俺の一言一句、一挙一動に振り回されてくれていた頃がいまはもう懐かしく思えるほど、龍二くんは俺の言動に免疫がついてしまった。あ、嘘。ちょっと誇張した。俺が名指した俳優をまじまじと見てから「こんな小さな画面なのに、随分よく見てたんですね」などと零しながら不満気に唇を尖らせる程度に収まった、だ。以前の龍二くんだったら「あの顔が好みですか!?」と涙目で問いただして来ただろう。
「泣くことも少なくなって、ちょっと寂しいなぁと思ってさ」
「……そりゃ、もうそこそこ大人になりましたから」
「もっと日常的に涙流してくれていいのに」
「え、嫌ですけど」
う〜ん、残念。龍二くんの泣き顔、好きだったのになぁ。端正な顔の中で一際光彩を放つ澄み切った紫が濡れ、そこからほろりと雫が溢れる様は、一種の芸術品のようで。付き合う前は彼から向けられる情感が鬱陶しかったけれど、一度懐に入れてしまえば直向きさが可愛らしく、その涙さえ愛おしくなってしまった。年下の恋人を泣かせてしまった罪悪感の中に潜む、俺だけが彼の感情を揺さぶれるのだという優越感があったことは、龍二くん本人には内緒だけど。
「そっかぁ、もう涙は見せてくれないのかぁ」
「見せないっていうか、そうそう泣かなくなったってだけで泣くときは泣きますよ」
「じゃ、ちょっと泣いてみて」
「無茶振りしないでください」
「けち」
「えぇ……?」
期待に満ちた視線を送っても、首を振って断られた。ちぇ。でも、まぁ、揶揄うのは此処までにしておこう。やり過ぎて機嫌を損ねると、今夜の仕返しが怖いし。
「……歳食うと涙脆くなるっていうから、それまで待つしかないか」
「えッ!?」
「んえ!?」
独り言のような呟きに龍二くんが今日一番の動揺を返してきたことに、俺の方も驚いて喉奥からひっくり返った声が出た。急に大きな声出さないでよ。
「な、なに?びっくりしたんだけど」
「……いや、えっと、歳を食うまで、ずっと一緒にいてくれるんですか?」
「今更そこに驚くの?」
「驚くというより、すごく嬉しくて、抑えられなかったです……っ」
頬を染めてそわそわ落ち着きなく身体を揺らす彼は本当に嬉しそうだ。十数年付き合っていても、こんな素直な反応をしてくれるんだから、やっぱり俺への免疫は大してついてないのかも。
そう気付いたら、再度湧き出る悪戯心。
「俺は旗野くんとずっと一緒にいてくれますよ」
真っ赤になった龍二くんの顔を覗き込み意図的に距離を縮めながら真っ直ぐ見詰め、モブに出来る最上級の笑顔を浮かべて見せた。左手の薬指に嵌められたリングをさり気なく撫でることも忘れない。
けれど、旗野くんは俺よりも綺麗な顔で更に微笑むだけ。昔はこんなやり取りでも涙を見せていたというのに、本当にすっかり大人になってしまって。俺に加虐趣味はない筈だけど、見せてもらえないと思うと意地でも泣かせたくなってくる。愛故に。
「……もしかして、いま俺が泣くのを期待してました?」
俺の眼差しの真意を察した龍二くんが、隠すように掌で顔を覆い不信感たっぷりに目を細め泣き顔からは程遠い表情になってしまった。
「ノーコメントで」
「俺の純情を弄ばないで欲しいんスけど」
「俺が大好きな恋人を弄ぶような人間に見える?」
「少なくとも、いまはそう見えますね」
「可愛くね〜っ」
とりあえず、明日の夕飯はカレーで決定だな。晩酌のつまみは玉ねぎのポン酢炒めで。勿論いまリクエストしたら今週末の料理当番である龍二くんが拗ねること間違いなしなので、伝えるのは明日の朝にするけど。
【仕返しは翌日の夜だった】