【旗主】それは駅までの恋人繋ぎ.
昔から物事を順序立てて説明したり、思考を言語化することが得意じゃなかった。言葉にして纏めるくらいなら行動した方が断然早いし、例え相手に俺の意思が伝わらなくても特別困りはしなかったから、今まで必要だとも重要だとも思わなかった。
つまり、なにが言いたいのかというと、……俺はレポートが苦手なのだ。
「……ね、眠い」
長時間パソコン画面を睨んでいた所為で、いい加減視界がぼんやりと霞む。ごしごしと目元を擦りながら欠伸を噛み殺し、眠気覚ましに用意していた珈琲を喉に流し込んだ。咥内に広がるのは、未だに慣れない苦味と酸味。あの人のように、これを美味しいと感じる日がいつか来るんだろうか。
こんな切羽詰まった状況でも思い浮かべてしまうくらい、俺の中はあの人でいっぱいで。彼を思い浮かべるだけで胸の中がぽかぽかして、萎んだ気力が復活するのだから、俺も大概単純だ。
「……あの人は、こんなに苦労しないで終わらせてたのかな」
彼が大学生だった頃はただただ姿を追うことに必死で、彼の学生生活について考えたことがなかった(恋人や好きな人がいるかどうかは気になっていた)けど、パズルのピースを嵌めるような表現力で言葉を連ねることが上手く、要領のいい彼のことだ。もしかしたら、レポートなどお手の物だったかもしれない。そこまで思いを巡らせて、ふと家にお邪魔したときに「レポート提出明けでぶっ倒れてるぞ、アイツ」と話していた綾人が脳裏を過ぎり、俺は無意識に肩を揺らす。やはりレポートというのは、総じて学生を苦しめるものなのかもしれない。
「それにしても、間に合う気がしねぇ……」
いや、明日の夜の絶対に外せない大切な用事の為にも必ず終わらせないといけないのだが、それには睡眠時間を大幅に削る必要がある。時間調整の甘さと己の技量の無さに、大きな溜め息が出た。
「……東條に資料借りときゃ良かったな」
昼間の時点で提出を済ませていた友人を思い出すが、もう遅い。どんな形であれ、最悪提出さえすればいいか。必修科目でもないし。そんな現実から目を逸らし出した思考を咎めるように、テーブルの上に置いたスマフォから聞き慣れた通知音が鳴った。俺が通知設定しているのは、あの人しかいない。こんな夜中にどうしたのだろうと、急いでスマフォを掴む。
『レポートがんばってね』
画面に表示されたシンプルな一言。たったそれだけでも一瞬で舞い上がり、緩む口元を抑えながら速攻で『がんばります!』と返す。既読は直ぐについた。
『既読早いな』
『ちゃんと集中しなね』
ポコンポコンと立て続けにスマフォが震え、今度はハチマキをした猫のスタンプと共に2件のメッセージが届く。
しまった、この人には明日がレポート提出日で、追い込まれていることを伝えていたんだっけ。提示された課題も満足にこなせない、だらしのない奴だと思われたらどうしよう。高揚した気分が一気に急降下し、誰もいない部屋で泣きそうになりながら首を振って画面越しに必死に弁明する。
『違くて、ちょうど休憩してたときにアンタからメッセージが届いたんで、サボってたとかじゃないですから』
『アンタに励ましてもらえたから、徹夜でも頑張れます!』
慌てて返したメッセージに既読はつくが、彼からの返事はない。もう遅い時間だし、寝てしまったのだろうか。それとも、呆れられたのか。キーボードに置いた手を動かすことも出来ず、じわじわと不安だけが募っていく。
───ポコン!
いよいよ本当に目頭が熱くなり出した頃、ようやく通知音が鳴って。直ぐに見ない方がいいかもと思いつつ、焦燥感には勝てず恐る恐る画面をタップする。
『明日の初デートでうたた寝したら、しょうちしない』
「……ひぇっ」
耐え切れなかった思いが、喉奥から上擦った声となってまろび出る。
え、え、なにこれ、かわいい。そんなことありえないのに。というか、やっぱり明日はデートって認識で良かったのか。夕飯を一緒に食うだけで飲み会のようなもんだと、思い上っちゃダメだと思ってたけど、そうだよな、付き合ってるんだもんな。初デートだって、あの人も思ってくれていたんだ。うれしい。
目頭どころが顔が茹るほど熱くなり、落ち込んだ気分が再び天まで駆け昇る。情緒がジェットコースターみたいで、どう返そうか思考が纏まらないまま画面に表示されたメッセージを食い入るように見詰めていると、また彼からのメッセージが届く。
『ちゃんとレポート提出して、しっかり寝る時間も確保出来たら、ご褒美あげる』
「頑張ります!!!!」
声に出したところで離れた場所にいる彼に伝わることはないのに、俺はバカみたいにデカい音量で返事を返してしまった。
そのあとはもう彼からのメッセージは届かなかったけれど、今度はこの人の考える“ご褒美”がなんなのか気になってしまい、レポートを再開するまでに随分時間が掛かってしまったのは、……彼には内緒だ。
【それは駅までの恋人繋ぎ】