行為のあとの気だるい時間はアキレウスの寝顔を眺めて過ごしている。
涙の粒に濡れた睫毛。ぽってりと腫れた赤い唇。男の身体というのを忘れるほどに貪って、幾度も無理をさせている。そう振り返ることは多々あれど、健やかな寝息を耳を聞くと安堵した。淫らな声で啼かせた喉を労るように撫でてやれば、眠った身体が甘く震える。その素直な様に、ケイローンは目を細めた。
食事も眠りも不要な身体はそれでもそれらを享受する。生きていた頃にそうしたように、当たり前に何かを食らい、夜が深まれば床につく。それが習慣となっている。そのためそこに肉欲が並んだとしても、取り立てておかしいこととは思わない。ただその欲を己が抱くようになったことと、その矛先がアキレウスだったことだけは、意外なことだと思っている。
ひとり用の簡素なベッドは男ふたりが寝るには適さない。けれどそんなことはお構いなしに、ケイローンとアキレウスはそこで互いを求め合った。衣擦れの音。荒い吐息。スプリングがぎしりと軋む音すらも、行為を加速させるだけで止めはしない。ぐしゃぐしゃになったシーツの上で微睡む終わりの時が来るまでは、ただ目の前の身体に夢中になってしまう。
アキレウスははじめから抱かれることをよしとした。しかしそれを当然であると受け止めるには、現代の知識が邪魔をする。あるいはもう少年とは呼べない立派な体躯を前にして、過去の常識が非難する。
ほんのりと赤く染まる肌。存外にやわらかな肉の感触。大きく開かせた足の間に身を埋めるたび、過ぎる疑念。本当にこんなことをしていいのだろうかと問いかける言葉が胸の奥底へ降り積もる。
抱かれる時のアキレウスは、決して嫌がる素振りを見せはしない。ある時はどう見ても慣れていないと明らかであるにも関わらず、男の、それもまったく慎ましくはない大きさのものを躊躇いもなく口にして、拙くはあれど射精をねだるように愛撫する。またある時は自らの手で繋がる準備を施しながら、はしたない仕草と言葉でケイローンを煽ることもする。
それを淫蕩だ、と蔑むことはもちろんない。アキレウスはおそらくわざとそうした姿を積極的に見せている。きっとあえてそうした姿を見せることで、ケイローンがアキレウスを抱く理由を用意しているつもりなのだろう。この淫乱に育ってしまった教え子のため、師は仕方なく股間を滾らせ腰を振っている。そう精いっぱいの逃げ場を作ってくれている。
だがそんな健気な振る舞いを、ケイローンが有り難く受け取っているかと言えば欠片もそんなことはない。ケイローンはただの一度とて仕方なく行為に及んだことはなく、教え子の媚態に昂ぶる己の性欲を、正しく認識できている。それが現代の倫理に照らせば謗られることであろうとも、ひとたびベッドへもつれ込んだなら食らい尽くさずにはいられない。
それにアキレウスが行為のさなかにどれだけ淫奔な顔を見せようと、なかへと精を注いでやれば子供のような顔をする。熱く肚を満たすものにすら感じるのか、ぁん、と小さく喘ぐ声までもがどこか幼い。種付けをする相手を本能的に抑えこんだケイローンをじっと見つめる蕩けた目。ひくひくと震えながらも縋りつく手足は迷子になった子供の必死さが感じられて仕方ない。
ケイローンは隣で眠る青年の、あどけない顔にそっと小さく息を吐く。濃厚だった性のにおいはすでに遠い。繰り返される穏やかな寝息は何もかもが幻だったと嘯いているようにも聞こえる。それほどに、眠るアキレウスはかつてペリオン山でともに暮らした頃と変わらない。変わってしまったのはむしろ、その安心しきった寝姿を見て、ケイローンがどう思うかの方だった。
愛おしい。その気持ちに何の後ろめたさもないまま過ごした遠い日々が、今となっては懐かしい。子供と大人。身体の違いは確かにあるが、ケイローンにとってアキレウスは親子よりずっと年の離れた子供だった。その子供に劣情を抱くことになろうとは、そして抱くだけでは留まらず、その劣情を性交という形でぶつけることになろうとは、不死を捨てるよりも想定外なことだった。そう言っても決して過言にはならない。
胸元に残る赤い痕。朝を迎えたなら服に隠させるか霊体化して消されるそれに、ケイローンは指先でやさしく触れてみる。ふにふにとやわらかな肉を押す。アキレウスは目覚めない。それをいいことに指先はさらに動いてゆく。
ぬくい体温。隆起した胸の形に手を這わせ、軽く持ち上げるように包み込む。とくとくと鳴る鼓動が仮初めのものでしかないことくらいは分かっているが、それでもその生の証を手のひらに感じていると心地よい。
ケイローンは再びアキレウスが眠っているのを確認すると、身体を屈めてアキレウスの胸に顔を寄せる。そうして心臓に近い胸の中心にもうひとつ新たに痕を刻みつけた。点々と散る欲の証。それをぬろりと舌でなぞっても、アキレウスは変わらず眠っている。
どこまでならば好きにさせてくれるだろう。悪戯な好奇心が囁いた。その声に抗うことは決して難しいとは言えないはずが、気づけばケイローンの舌はそのままアキレウスの胸の頂きをなぶっていた。ぴちゃぴちゃと響く濡れた音が、密やかにケイローンの耳を打つ。
肌を重ねるようになってからもしばらくは、ここへの愛撫はそれほど意味を持たなかった。だが人の身体というのは快楽にも苦痛にも弱い。本来は受け入れる場所ではないところを無理矢理暴かれる痛みのなか、その痛みから逃れるため、アキレウスの身体は胸をいじられると気持ちよくなると思い込んだ。ケイローンがアキレウスの苦痛をまぎらわすため、そう仕向けたのだとも言える。くりくりとこね回される乳首の感覚に戸惑いながら、言わされるまま気持ちいいと繰り返したアキレウスの声を思い出す。
しかしそんな経緯はどうであれ、愛らしいふたつの飾りは今ではすっかり淫らな性感帯へと育っていた。つん、と指先でつつけばもどかしそうに身をよじり、あてがった指に自ら乳首を擦りつけ悶える様は、自慰を見せられているような心地になる。敏感になったそこは少しの刺激でぷっくりと腫れて気持ちいいと喘ぐくせ、抓られたりキツく吸われるのも好きらしい。元々は痛みから気を逸らすための快楽が、溺れてしまえば痛みすら快楽と覚えるのだから人の身体は面白い。
繋がる時も、だんだんと慣れてきてからはより快楽の方が強くなった。だからといってケイローンが前戯に手を抜くことはなく、準備を丁寧に施すことも変わらない。ただ気遣うよりも溺れる時間が互いに増えて、深く深く溶け合う感覚をいつまでもどこまでも追ってしまう。
ちゅう、とひとつ吸いついた唇を離し顔を上げたケイローンはまたしても、こんなことをしていいのかという内なる己の声を聞いた。眠るアキレウスは何も言わない。仮に起きていたとしても、アキレウスは咎める言葉を口にすることはないだろう。
ともに暮らした九年間。半神とはいえ赤子であったアキレウスの記憶にあるのはさらに短い月日だろう。ゆえにその後に生きた時間の方がずっと長く、そのなかで縁を結んだ者――たとえば愛し合った者、たとえば憎み合った者、たとえば背中を預け合った者、そうした者との出会いもまたずっと多いはずだった。
それなのに、アキレウスはケイローンを求めてきた。幼い頃には影もなかった情欲の炎を瞳に灯し、それがケイローンのなかの秘された欲に火をつけたのだとも知らず、伸ばした手が掴まれたことに歓喜した。そこにケイローンからの逃さないという意思が確かにあったことにすら、アキレウスは気づかずはにかむように笑っている。
そうして求め合う手は繋がれて、ただやわらかな棘だけがケイローンのなかに残された。それは痛みも傷も与えないくせに深く刺さって抜けないまま、本当にいいのかと、問いかけばかりを投げ続ける。
んぅ、と小さくもれる声。むずがるような幼い響きとは裏腹に、胸元では濡れた乳首がぷっちりと存在を主張していていやらしい。きっといけないことではあるのだろう。英雄をこんな身体にしたことも、それがこの手で育てた子供であることも。
けれどケイローンに背負うべき罪は何もない。死した身で、人も神もない世界が終わりを前にして、誰が裁くわけでもない。
ゆっくりと夜が朝へと戻る時間。アポロンの声はまだ遠い。そんな気だるい空気のなかで、ケイローンはアキレウスの寝顔を眺めている。