オペの依頼をすればすぐにでもこちらへ来てくれる。では他の用事ならどうだろう。富永は手のなかにある携帯電話をぽちぽちと操作して、目に馴染む数字の並びを呼び出しながら、ひとりもやもやと考えた。
電話帳への登録名はただの『診療所』になっている。正式には『T村診療所』であるのだが、富永にとっての診療所とはあの村の、Kがいるあそこだけだった。だからあえて他の言葉は加えない。ここに表示される文字を見るだけで、富永は山奥にあるあの古い洋風建築を思い出す。そこに住む、マントの似合う男の姿が今なお脳に焼きついたままでいる。
「Kェ、今日は診療所にいるのかな」
親指はまだ、発信ボタンを押せていない。押してしまえばすぐにでも答えが分かる無意味な問いを、画面を見ながら口にする。今の富永はもうKの予定を知り得ない。往診の日はいつなのか、オペの日取りはどうなのか。ともに暮らしていた頃でさえ、すべてを把握できてはいなかった。離れてしまえばなおさら何も分からない。
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