乍朝右界奇譚拾遺集 ─阿墨・瑞州─阿墨・瑞州
──瑞州にては 黥面の孤児を探す人在り 其れ、先王朝より仕ふる王師の将帥ならめ とぞ
再び見つけた黥面の青年、阿墨。
考え込むように、当代の瑞州師中将軍──友尚は 顎に手を当てた。
前の阿墨は二十六で死んだ。
そして黙考の後に答えを出す。
此度見つけた阿墨、その全身を這う青い墨は「前」に見たときよりも随分と薄い。初めて出会ったとき、阿墨は十代で死んだ。その次見つけた時その痣は黒々として薄まった様子は全く見られなかったのも覚えている。二十六で死んだ次の生では、痣は薄くなっている?
きっと今度の阿墨も、友尚が庇護下において危難を遠ざけたとしても二十六を過ぎれば死ぬ。
何故かは分からないが、そこには疑問を差し挟む余地がなかった。(あるいはそれはただ単純に二十六を超えて年を重ねる彼を想像できないという自身の問題なのかもしれない)
そして二十六で死んだ次には痣は薄くなって、其れを繰り返していずれは消えるのだろう、と。
──痣が消えたとき『彼』は? 面影として残された『彼』の存在もまた消えるのだろうか?
言い得ぬ感情が胸に去来する。
そして瞬時に、隙間に入り込むように友尚の無意識に囁きかけるものがあった。
二十六を待たずに死ぬ。それを確実にする方法が一つある。
それが意識に上った瞬間 友尚は己自身にぞっとした。
つまりは、その歳を迎える前に殺せば良い。
「まさか。そのような行い……道義に悖る」
声に出して後、思考を振り払うようにかぶりを振った。
だが
墨が消えれば阿墨を見つける術は失われる。いや、この墨が消えてしまえば彼が再びこの世に生を受けるという保証も無い。
もはや戴においては名を呼ばうこともできなくなった『彼』のことを思い出す。
嘗て自らの手を摺り抜けて逝ってしまった人。
すぐ傍に居たのに、正しい道に留めておくことも、過ちを止めることも出来なかった人。
阿墨はその人に生き写しだ。年貌が当時に近くなればなおのこと、顔かたちは言うまでもなくものの言い方やちょっとした仕草、表情の出し方まで似ている。
人の記憶を読み取って幻覚を見せる妖魔などがいれば、自分にはきっとこのようなものを見せるのだろうと益体もないことを考えるほどだ。 しかし幸か不幸か阿墨はまぼろしではない。
己の記憶と後悔をそのまま形にした様な人間が、何の屈託も無く傍らにいて、語りかければ応えてくれる。それは古傷を抉るような痛みを覚えると共に、幸福であった。
そんな彼が再び失われる。おそらく永遠に。
長らく軍に籍を置いているのだ、人一人手にかけるなど友尚にとってはたやすい事である。
だがこれは軍務ですら無い、完全なる私欲だ。
それに一度殺したとして、次は? 次もまた阿墨を探し出して、手にかけるのか。
二度目も殺したとして、そのまた次は?
昇仙をそれとなく勧めたこともあるが、できると思うのか と笑って流された。さもありなん。
黥面に対する偏見が無くなる日など来るかどうかも分からない。よしんばそのような世が実現したとして、その時に阿墨が任官し昇仙を願うなどとは限らない。その時自分は彼の意思を尊重して死にゆくのを見送ることができるのか?
次の阿墨は昇仙を願うかも知れないと期待を捨てきれずに、やはり手にかけるのではないのか。
箍を外すとはそういうことだろう。
そうして延々殺し続けておいて、いずれ己の生に厭いた時には彼の死も生も放り出すのか。
それに自分は耐えられるのか。
──道義だの仁道だの、口触りの言い言葉に包んだところで結局はそこだ。
自分にその覚悟があるのか?
いくつも繰り返される自問には、一つとして答えが出せなかった。
此度見つけた阿墨はまだ若い。
まだ……時間がある。