朝が来た。暖かな日差しがカーテンの隙間から降り注ぎ、ベッドのそばへ落ちていく。朝が来た。バジルはゆっくりと目を開ける。
「……ふぁ、」
小さな欠伸をひとつついて、乾いた眼を潤す。大きく伸びをして、自分の身体を優しく包んでくれていた布団をまくる。バジルは目覚めがいい方ではなかった。布団の縁に腰かけて、うつらうつらと舟をこいで、夢とうつつを行き来する。今日は休日だ。もう少し寝ても良いかもしれないけれど、でも、今日はお花の世話をすると決めたのだ。夢に引っ張られそうになる意識を無理やり引き戻して、バジルは……布団に倒れた。
「ぅ……」
目は覚めたけれど、まだ少し、横になっていたかった。いや、布団がぼくを離してくれないのだ、だから、仕方ないのだ……そう言い訳をしながら、ふたたびやわらかい布団に包まれ、沈んでいく。
「……」
天井が、陽の光を浴びてグレーと白に染まっている。何も考えず、ただぼおっとその模様を見ていると、隣から、ごそ、と物音がした。顔を少し傾けて、そちらを見ると、すやすやと眠っている少年の、愛らしい寝顔が見えた。
「……サニーくん」
「……」
バジルは小さく呼びかけてみた。けれど、彼はまだ夢の中にいたいようだった。バジルは静かに寝返りを打って、サニーの方を向いた。
「……」
サニーは随分と気持ちよさそうに眠っていた。小さな口が、少しだけ開いていた。日差しと布団に挟まれて暖かいのだろう、その頬は血色がよくて、ほんのりピンクがかっていた。バジルは無意識のうちに手を伸ばし、彼のほそい髪をそうっと掬った。柔らかい髪はバジルの手の隙間から零れて、またひとつの束になっていく。
「……ん、」
サニーが軽く身じろぎしたので、バジルは慌てて彼のそばから離れた。起こしてしまったかと思ってじいっと見つめていたが、再びすぅと小さな寝息が聞こえてきたので、ほっと胸をなでおろした。
サニーが引っ越していってから、だいぶ経つ。あの時離れ離れになったふたりは、少しずつ、もとのような関係に戻っていった。完全に元に戻れた訳ではないけれど、でも、こうして彼が何の気兼ねもなくこの町に戻って来られるくらいには、良くなっていっている、と思う。
バジルとサニーがこうしてまた一緒の布団で眠るようになったのは、彼が引っ越してから1年半ほどたった頃だった気がする。文字だけのやり取りから、彼がふたたびこの町へ帰ってきて、そうしていつしかふたりは親友以上の関係となっていた。といってもそれで変わったことなんて、手をつなぐ回数が増えたくらいで、同年代の男女よりずっと恋人らしいことなんてしてないように思う。
今日だってそうだ。別にやましいことをしていたわけではない。ただ一人がさみしいから、二人で一緒に寝ただけだ。互いの体温を確かめ合うように、けれどくっついて眠るなんて少し気恥ずかしくて、どうにも心臓がバクバクしてしまって、逆に目が冴えてしまいそうだったから、だから手を繋ぐだけしかできなかった。
今日もまた朝が来て、結局その手は離れてしまっていた。けれど、でも、不安はなかった。互いが隣にいるだけで、そのあどけない寝顔が見られるだけで、暖かい布団がちいさく上下するさまを見ているだけで、ただそれだけで幸せだった。ほかには、何もいらない。
生きているだけで、命があるだけで、それだけで十分なんだって、君に教えてもらったから。
(……なんて、ね……)
我ながら、随分とクサい話だ。バジルは苦笑した。朝はどうにも感傷的になりやすい。もう、過去と下を見ながら生きるのはやめたはずなのだが。朝の日差しは柔らかくふたりを見守る。ほら、もう過去のように、朝を嫌悪することだって、なくなった。
「ふ、くぁ」
バジルはもうひとつ、先程よりも小さな欠伸をした。眠気は彼を微睡みへ連れて行くのをやめたらしい。手の甲で目を擦り、上半身を起こした。少しぼやけていた視界がクリアになって、ふたたび、サニーの顔が目に飛び込んできた。
「ふふ、……可愛いなぁ」
なんの気なしにバジルはそう思った。昇ってきた日に照らされた頬は心なしか先程よりも赤らんでいるように見える。真っ黒くてきれいな髪はきらきらとかすかに輝いていた。
ふと、眠っている彼の顔にある、ちいさな口元に目が言った。うすく色づくそれを見て、トクン、とバジルの心臓が跳ねた。
(……あ、)
どうしてか、目が離せなかった。みょうに心がどきどきして、頬にねつがたまる感覚がして、こくり、とバジルの喉が唾を飲み込む音がした。今まで、そう、彼と付き合い始めてから、時折こんなふうに……“不思議な”気持ちになることは、ままあった。けれど、どうしてだろうか。今日はその何倍も何倍も、抗えないくらいひどく、ひどく強く、彼への気持ちが溢れてしまって、落ち着かなかった。
バジルはそうっとサニーの顔を覗き込んだ。サニーの規則正しい静かな寝息と対照的に、バジルの心臓の音は、おおきくて、ひどく、不規則な、ように、感じた。
「……サニー、くん」
バジルはドキドキする心臓を左手で押さえながら、右手で落ちてきた髪を耳にかけた。彼の穏やかな寝顔をじっと見つめ、そしてほんのり色づく唇に、そっと自身の唇を重ねた。
日差しはすっかりカーテンの向こうに隠れてしまって、部屋には薄暗さが残るのみである。二人のキスは、静かな朝のちいさな出来事として、やがて過去のものとなって、そして忘れ去られていくだろう。
けれど、それでよいのだ。過去があるから、今があって、そして未来が訪れる。朝が来る。明日も、明後日も、その先も。
バジルはサニーから口を離した。そして、頬も耳も真っ赤にしながらへにゃりと笑って、慌ただしく部屋を出ていった。
あとには、さっきからずうっと寝たふりをしていた少年が、今しがた部屋を出て行った彼と同じくらい頬も耳も真っ赤にしながら、いつ起きようかと必死に考えているだけだった。