題名『この絵はおまえの灰と共に』 フランスのとある廃墟で一枚の絵画が発見された。今まで人目に晒されず、暗闇に眠っていたそれは、不気味な赤黒い絵だった。
前例もあったことから調査、復元を依頼されたルーヴル美術館はX線検査を実施。
結果、表面はカビに覆われていて、その下には二層の絵が存在することがわかった。
ただ特殊なことに、名立たる作家達の作品のように別の絵が重ねられているのではなく、意図的に赤い油絵具で塗り潰され、本来の絵が隠されていることが判明。
奇妙なことに、表面だけではなく裏側も炭で塗り潰され、そこには「モンテ・クリスト伯爵は存在した」と殴り書きされていたのだ。
職員達はその言葉に首を傾げた。モデルとなる人物の噂やファリア神父が実際に投獄されていることは事実だが、エドモン・ダンテスことモンテ・クリスト伯爵は飽くまで、アレクサンドル・デュマ・ペールが著した物語の人物に過ぎない。
だが、調査を進めていくうちに様々な証拠が出てきたのだ。
豪華な彫刻が施された額縁に使われた木、油絵具の鑑定結果から十九世紀前半に描かれたもの。絵の傍にあった手記もだ。内容も当時のことが事細かく記されていた。この持ち主は貴族の使用人だったらしく、モンテ・クリスト伯爵とも面識があり、かなり彼に魅了されていたようだ。
絵を塗り潰した理由も判明した。「神に仕える者の姿をしながら、神を冒涜する獣」が現れ、危機を感じた彼はやむを得ず、塗り潰して隠したらしい。筆の乱れから察するにかなり動揺していたことが窺える。
兎も角、この絵が残っていたことは奇跡だった。もし彼が本当に実在したのならば、証拠を残すことはありえないだろう。顔は当時であれば一番有力な個人情報なのだから。
これらの証拠に実在したという答えが色濃くなっていき、職員の間で期待が高まっていった。
修復チームによる絵の復元が始まり、二年という歳月が経った。
X線検査の段階で、描かれていたのは長い髪の男だということは分かっていた、分かっていたはずだ。
だというのに、全ての処理を終えて絵が光の下に晒された時、そのことを忘れさせてしまうほど彼等の心を大きく揺るがす。
それは────美しい絵だった。
漆黒に、闇に浮かび上がる青白い肌に白髪。彼が高貴なる存在だということがそれだけでわかる。
そして、心を奪われたのは眼だ。彼の赤い、赫い瞳。
憎悪を秘めた、信仰を秘めた、神秘的な瞳は正に復讐という言葉が相応しい。
この国において名高い復讐鬼の本当の姿。
ある者はその絵に恐怖を抱き、またある者は涙を流した者もいた。
今まで見てきたモンテ・クリスト伯爵は全て偽物だと否定し、これが本当の姿だと思わせる。
誰もがその絵に息を呑み、心を奪われた。彼が正しいのだ────。
絵を見た者全員が同時にこう思った。
これは後世に残すべきものだと。
人々の目に触れるべき美しい絵だと。
我々は復讐を恐れるべきだと。
そこからの行動は早かった。反論もなく職員全員の意見は一致し、『モンテ・クリスト伯爵』の展示が決まった。
だが、展示に向けて職員が動く最中、彼等を絶望へ叩き落とすかのように一本の電話が入った。
電話はロンドンから。内容は絵画の展示中止。絵は然るべき場所で保管するので、派遣する人物に引き渡せと。
それは命令だ。一方的で高圧的で、拒否できないもの。
当然、職員達から批判の声は上がったが、国からの圧力に誰も逆らうことはできなかった。
絵画の受け渡しは秘密裏に、数人の職員だけで行われることになった。保管するという組織の代表が訪れるそうだ。ロンドンは飽くまで電話のみの仲介役だと。
そして、引き取りに来たのは日本人の青年。一言で表すならば好青年というべきだろう。日本人には珍しく、青い瞳を持っていた。
「藤丸立香です。今日はよろしくお願いします」
笑みを浮かべながら差し伸べられる手。
職員は皮肉でも言ってやろうかと思っていたが、青年には年齢と見た目に似合わない貫禄があった。誰もが圧倒されて何も言えず、彼の好意で差し伸べられた手に、笑顔で応えるしかない。既にこの時から大人しく絵を渡すという選択肢しか考えられなかった。
もう一人は青年より身長が高い白髪の男。オールバックに、彼の体のラインに合わせたダークスーツ、目元はサングラスで隠していた。その姿はまるで裏社会の人間を思わせる。
「ジャン・デュポンです」
素っ気の無い態度で名乗った男に、職員達は引き攣った顔をした。青年の方は本名だろうが、白髪の男の方はあからさまな偽名。しかも男の方は手を出すこともなく、彼が口を開いたのはここだけだった。どちらも只者ではないことがよくわかる。
彼等に気圧されていたのもあったが、手続きと引き渡しは難なく終わり、職員達は美術館の外で彼等を見送った。
日本人の青年は大事そうに絵が収められた黒い保護ケースを抱え、白髪の男は彼が転ばないように腰に手を添えている。
ふと、白髪の男が青年に向かって口の端を上げながらサングラスを下げた。彼自身の手によって暴かれた顔。その場にいた三人の職員は息を呑んだ。
男は、絵画と同じ顔をしていたのだ。十字架を秘めた同じ瞳を。
血の如く、地獄の業火の如く────赤い、赫い瞳。
彼等が去った後、引き渡しを担当した男性職員一人、女性職員二人の間で白髪の男について話が持ち切りになった。
モンテ・クリスト伯爵は本当に存在して彼は子孫、何も関係なく他人の空似。様々な意見が飛び交う。
「それでもジャン・デュポンはないわね。この前、書類で見たばかり」
「俺も三日前に見たよ。真逆の男だろ」
「まだモンテ・クリスト伯爵の方が納得できたと思うの」
三人は肩を竦めて笑い合う。
或いは、全員ハッピーになるラムネを飲むと現れる妖精やユニコーンと同じような存在とも話した。
「よし。仮にこれが本当にあったこと、俺達が見たあの男がクスリで見た幻覚じゃないことを前提で話そう」
女性職員は賛同する。
「これは確実に言える。あの男、一緒にいた日本人に惚れていたな」
「ええ、そうね。あれは堕ちているわ、確実に」
「まるで運命っていう目だったわね。いいこと考えた。鱈のフライでも食べに行きましょう。あの男だと思って食らってやるの。ワイルドにね。行儀悪いかもしれないけど」
「いい店を知っている。この何処にも行きようのない怒りを抱えている俺達にはぴったりだ。おっと、怒りだけじゃないな。伯爵の秘密の恋もだ」
ノウム・カルデアのマスターのこと藤丸立香は仕事を終えて、プライベートジェット内の席で体を伸ばしていた。
「予定よりも早く終わって良かったよ」
「そうだな」
立香の隣に座る白髪の男。ジャン・デュポンではなく、カルデアのサーヴァント巌窟王はセットした髪を掻き乱す。
「迎えにきた魔術協会と時計塔の人、キミを見た時複雑な顔をしていたけど」
「まさか本人が受け取りにくるとは思うまい」
立香は「確かに」と歯を見せて笑う。
「魔力の方は? ただでさえパスが弱いのに、同行条件が外にいる間は霊体化禁止に加えてカルデアから補給なしでしょ」
「些かまずいな。キスしていただいても? 我がマスター」
甘い声で微笑む巌窟王に、立香は頬を赤く染めて「はいはい」と、彼の唇に自分の唇を重ねて、魔力を渡せばぐらりと視界が揺れた。
「キミ、魔力持っていきすぎ」
「それは悪かった。食事よりもこちらの方が好みでな」
疲労を感じている立香に対し、巌窟王は目を伏せて親指で自らの唇を拭いながら満足気な顔をする。立香は睨み付けると「フランス野郎」と口を尖らせ、該当の男は声を上げて笑った。
深く席に座り直し、立香は今回の仕事である黒い保護ケースへ視線を移した。中には生前の彼、モンテ・クリスト伯爵を描いた絵画がある。慎重にケースから取り出し、膝に乗せてよく観察した。
「触っても大丈夫かな」
「問題あるまい」
立香は絵の表面に触れた。油絵特有の凹凸を指に感じながら彼の輪郭をそっとなぞっていく。名立たる画家による作品、それとはまた違った味わいの絵に、美しさに立香は息を漏らした。
「まさか、キミの絵があるとは思っていなかった」
「私もだ」
「この絵が出てきた時さ、綺麗だと思った」
左目の、赫い瞳に潜む十字架をなぞる。
「キミは生きていたんだって思った」
そう言葉を零しながら今度は彼の唇に触れる。
「水瓶は何度も水汲みに行くうちに、しまいには壊れる」
「それ、フランスの諺?」
少し苛ついている低い声だった。気になった立香が顔を上げて確認しようとすれば、彼は顔を逸らして黙り込む。
「巌窟王、キミ怒ってる?」
思い切って尋ねれば返事の変わりに一瞥される。
「まさか絵の自分に嫉妬してる? 他のサーヴァントには嫉妬しないキミが?」
立香は驚きに声を上げ、それに対して巌窟王は目を細めて「ああ」と答えた。
「隣に俺がいながら絵を愛で続けるおまえにな」
さり気なく額縁に手を掛けて、絵を奪い取ろうとする巌窟王に、立香は引き寄せて抵抗するが、強く握られて取り返すことができない。彼の予想外の態度と動き内心焦りつつも、立香は言い返すことにした。
「ごめん。キミのことが好きだから、オレが知らないキミに夢中になった」
上目遣いで彼の弱点を突けば、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、巌窟王は絵を掴んでいない方の手で、顔を覆い隠して深く溜め息を吐く。
「……おまえは、既に三つの罪を犯した」
「今のはノーカンでしょ」
「ダメだ」
声を上げて抗議するが意見を変えようとしない男に、立香はまたもや唇を尖らす。今回は頑なに譲ろうとしない男に、立香が折れることにした。
「わかったよ。罰に三回キスすればいいんだろ」
立香は腰を上げると彼の青白い肌へキスを落としていく。額に。目尻に。最後の一回だけはわざと焦らして唇の端に。捕らえてこようとする腕をすり抜けて「はい、三回」と、言ってすぐに離れた。不服気な顔をする男に、立香は勝ち誇った顔をする。
「随分と魔性になったものだ」
「そりゃあ、鍛えられているからね。オレを誰だと思っているの?」
「これは失言だったな」
目を伏せて口元に笑みを浮かべる巌窟王。
立香は巌窟王の手から絵を完全に奪い返すと、対サーヴァント用の魔術が施された黒い保護ケースに絵画を納めた。鍵が閉まる音が静かな室内で響く。
「……立香、その絵はどうするつもりだ」
何を思ったのか、ふとそう訊いてきた。
穏やかに笑っているかのように表情を取り繕ってはいたが、その目には鋭さが宿っている。隠し通せていない。殺気にも近いそれに、立香は自分が思ったある可能性について言葉にする。
「飾るつもりでいるけど? でも、これって触媒になる可能性が高いからオレが死んだ後のことも考えておかないと。キミ、オレ以外に召喚されるのは嫌でしょ」
「…………ん」
短い返事、それは肯定だ。
「分かっているのならばそれでいい。おまえの好きにしろ」
立香の勘は合っていたらしい。
不機嫌から一変、御機嫌になった巌窟王に立香はムカつき、意地悪したくなった。
「最初の一週間は食堂に飾っておく?」
「それはやめておけ」