ナヴェットの話 マイルーム内に、ふと漂ってきた焦げた匂いに立香は顔を上げ、「巌窟王」と彼の名前を呟いた。
「コーヒー、ありがとう」
「気が向いただけのことだ」
視線を向ければ、彼が手にしていたのはいつものコーヒーだけではなく小皿が。その上には小舟のようなお菓子が乗っていて、初めてみるお菓子に立香は目を瞬かせる。
「何のお菓子? 美味しそう」
「ナヴェットだ。食べなくとも構わん」
「食べるよ。キミが用意してくれたものだから」
彼の言葉を遮るかのように、早速ナヴェットを摘んで「いただきます」と口に含み、硬いビスケットを噛み砕いた。そして、口内で広がったオレンジに立香は顔を綻ばせた。
「ん、美味しい。オレンジの味とこの硬さがクセになりそうだね」
立香が感想を述べれば、彼は口の端を上げて笑い、懐かしむかのように目を伏せる。
「マルセイユの伝統菓子で、私も子供の頃よく食べたものだ」
「そんな昔からあるお菓子なんだ」
彼は「ああ」と答えた。
「おまえに、私が生きていた頃の味を知ってほしかった……故に用意した。赤い弓兵の手を借りたとはいえ些か苦戦したが、おまえのその顔を見られたのだから無駄ではなかったらしい」
若干頬を赤く染めつつも、苦笑しながらそう告白してきた巌窟王に、立香は目を丸くさせる。
「キミが作ったの? 作っているところ見たかった」
「見世物にすらならない光景だったがな。これも二度と作りはしないだろうよ」
「そうだね、次は一緒に作ろう巌窟王」
立香は次のナヴェットを手に取り、彼に向かってそう微笑んだ。