俺、ちさひさ推しじゃないから! 目の前にある薄い本を見ながらベッドの上で頭を抱えた。
「買っちゃったよ……買っちゃった」
そうっと頭を上げてその本の表紙を見る。そこにはきらきらと照明の光を反射した輝く本がある。黒く短い髪の青年と黒くさらさらした髪の青年が笑い合っている絵がそこには描かれていた。
「いやだってさあ、買っちゃうじゃん。推し絵師と推し字書きの推しカプは……買っちゃうよ」
通販してくれて本当に良かったと呟いた自分の声があんまりにも嬉しそうだったから笑ってしまった。通販戦争に勝った事を喜びながらその本――みことお同人誌を手に取る。そう、これはみことお同人誌(全年齢向け)だ。幼馴染二人のカップリングを推している自分の業の深さを今日だけは忘れよう。最高の同人誌を楽しむ必要が俺にはあるのだから。
さて、遡る事どのぐらい前なのか。それは自分でも分からないが、九条比鷺は幼馴染が二人でくっついていたりしていると心臓がどきどきする事に気が付いた。例えば、三言が遠流にべったりとくっつかれたまま読書をしている時。例えば、遠流が三言に甘味を食べさせられている時。例えば、遠流の横で猫が寝ている時に三言が嬉しそうに笑った時。俺の心臓はうるさいぐらいに鳴っていた。最初は病気なのかと心配していたが、ネットで調べて分かった。俺は三言×遠流が推しカプなのだと……! 遠流が千慧といちゃいちゃしてても三言が千慧といちゃいちゃしてても何も思わない事から固定という事も分かった。幼馴染が付き合っている妄想をするのは、悪い気持ちもあったけれど、二人に迷惑をかけない事を決めてからというもの俺は吹っ切れて推しカプを愛する事にしたのだ。
三言と遠流は距離が近い。それは幼馴染四人もそうだろうとは言われるが、それはそれ、これはこれだ。大体いつも昼ごはんは一緒に食べているし、帰り道も一緒。幼馴染である俺は無限に与えられる供給でくらくら眩暈でも起こしそうだった。ありがとうみことお。みことおは世界を救う。そう思いながらの学校生活は、まぁ割と楽しかった。幼馴染も一緒だし。けれども、そんな思いを秘めていたのは俺だけじゃなかったらしい。ある日、エゴサをしていた俺はとあるサイトを見つけた。そのサイトは伏せ字やら絵文字やらで分かりにくいようになっていたが、エゴサで鍛えられた俺の目は誤魔化せなかったらしい。そのサイトはみことおサイトだったのだ。現実以外からの供給。それは俺が想像もしていなかったものだった。三言と遠流がキスをしている! 三言と遠流が添い寝している!(それはまあいつもやってる) 一度探し方のコツを見つけてしまえば後は簡単だった。同じようなサイトを網羅して、毎日読んだりしていた俺はついに同人誌にまで手を出す事になった、という訳である。
戦利品の同人誌を開く。嬉しい。中表紙に三言と遠流がいる。素直に嬉しい、と思いながら一ページ目をめくろうとして。
「比鷺ってば!」
「……ひゃっ!?」
大きな声で名前を呼ばれて俺は飛び上がった。
「もう! 何度もノックしてるのに返事がないから心配したのに。本に集中してただけなの?」
ドアから近付いてくる幼馴染の一人、千慧から見えないように慌てて同人誌を隠す。しまったと思うけれど、反射でした行動は仕方ない。案の定、千慧が俺に近付いてきて悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「僕に見られたら不味いものでも見てたの?」
見せてよ、と俺にくっついてくる千慧の魔の手から守ろうとするも同人誌を曲げたくない気持ちのせいで上手に抵抗出来ない。バランスを崩してベッドに倒れ込んでしまったけど、同人誌を背中に引いてないのでセーフだよね。俺の上に千慧がいて、ちょっと重いし、そのせいで千慧に取られちゃったけど!
「なにこれ? 三言と遠流?」
流石は幼馴染。誤魔化す隙すら与えられず正解を叩き出された。そのまま千慧がぱらぱらと中身を見る。まだ俺も読んでないのに!
「はい、返すね」
ぽんっと手渡された同人誌を受け取る。
「ありがと……じゃなくて! その、えっと」
俺の上に乗っかったままの千慧が首を傾げた。
「どうしたの?」
「……ああいうの見て、びっくりしないの?」
「びっくりはしなかったけど」
「そ、そうなんだ。……良かった」
千慧が俺が何が好きだとしても嫌うような人間じゃないのは知っているけど、ちょっとだけ不安だった。
「比鷺って、男同士での恋愛に興味あるって事だよね」
「うん。正確にはみことおが好」
「じゃあ、僕が告白しても意識してくれるんだね」
「はい?」
何を言われたのかが分からなくて固まる。千慧がぐいっと俺の方に顔を寄せてきた。普段見下ろすのに慣れている顔を見上げるのはなんだか変な気分だ。
「僕、比鷺のこと好きなんだ。ねぇ僕と付き合ってよ」
きらきらした瞳が俺の驚いた顔を映し出している。何かを切望するような千慧の表情にどくりと心臓が脈打った。え? なに、これ。
「比鷺にすぐに好きになってとは言わない。でも、男同士に抵抗がないならさ。僕のことも意識してよね」
どんどん近付く顔に思わず目をつぶる。ちゅっという音と共におでこに何かが触れる感覚がした。ばっと目を開けて、千慧の肩を掴んで引き剥がす。千慧は美味しいお菓子を食べた時みたいな嬉しそうな顔をしていて。
「絶対に僕のこと好きにさせてみせるから」
みことおを見ている時とは違った心臓のどきどきに戸惑いながら俺は口を開く。
「背伸びして格好いい感じ出そうとしてるの可愛いじゃん」
「もー! なんで僕が頑張ってるのにそんな事言うの! 比鷺の馬鹿!」
ぽこぽこと怒る千慧は普段通りの千慧で少しほっとした。けれども、胸のざわめきは消えてない。これってもしかしてもう手遅れなんじゃ、と思いかけた自分を追い出すように首を振った。そんな、違うって。千慧はカップリングとしては見てないし、大事な人とはいえ幼馴染で、恋とかそういうの俺はまだよく分かってない。だから、千慧が笑って俺を見るのが嬉しいなんて感情は多分、恋とかじゃない筈なのだ!