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    dangomechauma

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    ラザ唯Webオンリー展示作品その1
    ラザ唯に至るまでの三人のそれぞれの視点
    まずは仁科

    Triangle Signal ―序曲― (Side Nishina) 彼女を見る笹塚の目に、遠雷が走る様を何度見ただろうか。
     例えばそれは、春の麗かな日差しの下で彼女がヴァイオリンを奏でるとき、夏の午後、木蓮館へと向かう坂道で彼女の首筋に汗が伝うとき、秋の夜、次の演奏会の曲のアナリーゼに彼女が頭を悩ませているとき、冬の日の朝、時折手を擦り合わせながら彼女がヴァイオリンの手入れをしているとき。
     静かで、けれど鮮烈な眼差しは春の日の雷のようだった。きっと俺以外がみれば気づかないような、けれど俺からすれば驚くほどわかりやすい笹塚の変化。
     その変化の、その感情の名前を俺は知っている。けれど名前をつけてしまえばなにもかも――笹塚と朝日奈さんの関係だけではなく、俺と笹塚と彼女の三人の関係が変わってしまう気がして、いつも笹塚のその目を見ないように目を逸らす。
     臆病者だと笑われるだろう。けれど一番滑稽なのは、俺自身が何に対して怯えているのかわからないことだった。


     札幌に比べれば横浜の冬は穏やかだが、室内は案外こちらの方が寒いかもしれない。断熱防寒に特化している北海道の建物とは違い、修復したとはいえ菩提樹寮は年季が入っている。隙間風にぶるりと震えながら、ラウンジへと歩を進めると人影がふたつあった。
     音を立てないように近づく。人影のひとつである笹塚が振り返り、一度こちらに視線を向ける。
    「朝日奈さん、ここで寝ちゃったんだ」
    「みたいだな」
     笹塚が視線をもとに戻す。すやすやと椅子にもたれて眠る彼女の前の机には、数学の問題集と筆記用具が乱雑に散らばっていた。いつだったか彼女が「部屋だとすぐ横にベッドがあるから寝ちゃうんです」と照れ臭そうに笑っていたのを思い出す。
    「課題終わらなくてそのまま寝落ちたんだろ」
    「だな。こんなところで寝て、風邪ひいたら大変だ」
     起こさないよう、声をひそめて話す。羽織っていたカーディガンを彼女にかけても、身じろぎひとつしない。ぐっすり眠る目の前の女の子が可愛くて、つい口端が緩む。
     ふと、笹塚が彼女の傍に一歩近づいた。おもむろにしゃがみ、なにを話すでもなくじっと彼女を見つめる。その姿はまるで、満点の星空を見上げる天文学者のようだった。
     またあの目だ。静謐で、掴み所がないのに、熱情に溢れた目。居た堪れない気持ちが込み上げてきて、いつものようにそっと視線を外そうとすると、笹塚が小さく呟く。
    「仁科。お前なにが怖いわけ?」
    「え?」
     心臓が大きくひとつ跳ねる。
    「……なに、って。いや、そもそも怖いってなんの話だよ」
    「無意識? そんな訳ないな。お前、いつも俺が朝日奈を見てると目を逸らすだろ」
     鼓動が速くなる。そうだ、こいつにはこういうところがある。神様みたいになにもかもお見通しで、遠慮がなくて、こちらの気持ちなんて無視して切り込んでくる。
     朝日奈さんを見つめていた目が、こちらをじっと見てくる。見透かすような目に胸がざわめくと同時に、僅かな苛立ちが腹の底を撫でた。
    「……お前こそわかりやすいよ、笹塚。朝日奈さんのことそんなふうに見て」
     思わず口に出た、揶揄するような自分の言葉に眉を顰めた。稚気にまみれた己の言動に、自己嫌悪がじわりと胸の底から湧き上がる。
     けれど、そんな俺の言葉を受けた笹塚は、きょとんとしたあと小さく吹き出した。あくまでも眠る朝日奈さんを起こさないように小さく肩を震わせて笑う様子に、動揺や苛立ちよりも驚きの方が勝る。こいつがこういう笑い方をするのはめったにないことだから。
    「っく、はは。そうか」
    「……勝手に笑って勝手に納得するなって」
    「笑いたくもなるだろ、自覚がなかったのはそっちか」
     なにが、と問おうとして、けれど笹塚の目を見て俺は言葉を失った。笹塚の表情が、新しい曲を思いついた時のような、自分の求める「完璧」を見つけた時のようなものだったから。
    「俺とお前は同じだよ、仁科。同じ目で、朝日奈を見てる」
     同じ、目。同じ目?
     さっきよりもよほど強く、心臓が音を立てる。耳元に心臓があるんじゃないかってくらい、どくどくと巡る血液の音が煩い。
    「案外、俺たちはわかりやすいんだよ、きっと」
     そう薄く笑った笹塚は「曲、思いついたから」と言ってラウンジを後にする。残されたのは俺と、眠る朝日奈さんと、静かな冬の朝の空気だけだ。
     笹塚の言葉が、頭の中でリフレインする。そうだ、彼女を、朝日奈さんのことを「そうやって」見ていたのは笹塚だけじゃない、同じように見ていたのは、きっと。
     やり場のない感情をどうにか逃したくて、手の甲で目元を覆う。もっとも、そんなことで自覚したこの感情をどうにか出来るなんて毛頭なかったが。
     ぐちゃぐちゃになった頭の中にどうにかなりそうになりながら、俺は震える息を細く吐き出した。
     心臓の音は、まだ煩い。
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