「……は? え? 誰だよ、お前」
突如として目の前に現れた青い髪の男に、思わず声を上げる。
それは、オレがよく知っている人物によく似ていて。
「……うるさいぞ、アキラ」
こちらを見下ろす青藍の瞳と、目が合った。
聞き慣れたはずの声とよく似た声音だが、ほんの少しだけ低い。
「え、お前やっぱりレン……か?」
「そうだ」
頷きを返される。見慣れた青藍の瞳と髪。いつも前髪がかかってうっとうしそうだなと思っていたそれは、見慣れたレンのものよりもわずかだが短くなっていた。
自らを如月レンと名乗る男は、確かにオレの知るレンとよく似ていた。
でも、オレの知っているレンと"同じ"ではない。形容できないほどの些細な違和感に眉を寄せていると、アキラお前少し縮んだか?との言葉に思わず声を荒げてしまう。
「……っ、おい、レン〜?」
◇◆◇
「うーん、やっぱりレンくんだねぇ」
検査を終えたらしいノヴァ博士が、ペラペラと結果の書かれた紙をめくりながら苦笑する。
ヒーローのデータは登録、管理されている。血液とDNA片からの整合でも、その人物は如月レンであることに間違いはなかった。
「え、でも26なんだよな……? どういうことだ?」
だからさっきからそう言っているだろうと言うレンには、先ほど結果を待っている間にノヴァ博士から色々とヒアリングが行われている。
その際、レンは自分のことを26歳だと述べたのだ。他にもいろいろと聞きたいことはあったのだが、ノヴァ博士は万が一があったら困るからねと曖昧に笑って"レンであることの証明"ができる質問ばかりに徹していた。
「やっぱりこの間のフェイスくんと同じ、かなぁ〜今回は未来からなんだねぇ」
思い切り手足を伸ばして伸びをしてから、博士はからからと笑い声を上げる。
「救いといえばこっちのレンくんが今、任務で外に出がちで、未来から来たレンくんが小さいフェイスくんとは違って思慮のある年齢だったってことは救いだね〜」
小さい子はどうしても言って聞かせるだけじゃダメだからなぁ、おれもマリオンで苦労したなぁ……と遠い目をした博士の言葉に、レンはほんの少し寂寥の色の浮かぶ顔をしていた。
なにか声を掛けた方がいいのだろうかと迷って、口を開こうとすると博士がああ!と突然声をあげて腰を浮かせた。
その声に驚いて、オレもレンもそちらを見る。
「待って、レンくんが26歳ってことはおれ、もう40近いってことだよね?おれもヴィクもおじさんになってるんだなぁ~」
ちょっと話を聞くのが怖くなってきたぞと言って、博士は青い顔をしている。
今のエリオスで天才と言えば、間違いなくこの人だ。なのにこの人はいつもこんな感じで、周りが重くなりすぎないように気を遣ってくれている。
「前回もなんとかなったから今回もきっと大丈夫だよ。……まあ、科学者が感覚でモノを言っちゃあんまり良くないんだろうから、ナイショにしてくれると嬉しいな」
じゃあこっちで原因とか対処方法は調べてみるねと言って、ノヴァ博士は書類をレンに手渡した。
「では、案内はこちらでやりますねノヴァ」
「ありがとヴィク、よろしくね」
ラボを出ると腕を組んだヴィクターが待っていて、博士に一言声を掛けるとさっさと通路を進んでいく。
「不便だとは思いますが、タワーからは出ないように。ああ、それと不要な混乱を避けるために一般開放されているエリアにも入らないでください」
普段は有事の際に使用することを想定して確保されているというフロアへと案内された。
周囲も同じように災害時に使用する部屋ばかりらしく、フロア自体がしんと静まり返っていて不用意に口を挟めるような雰囲気ではない。
こんなところがあったんだなぁと周囲を見回しながら、ヴィクターとレンの後ろをついていく。フロア自体のつくりは普段見慣れたものと同じものが広がっている。
「ああ、わかった」
「洗濯物なんかはロボさんに頼んで回ってもらいますので、いつも通り……ルーキー時代と同じようにしていただいて構いませんよ」
食材ものちほど届けますのでご安心をと言うと、突き当りの部屋の鍵を開けてヴィクターは一歩下がる。
目線だけでどうぞと促す様子に、目だけで頷いたレンはそのまま部屋へと入っていった。
あなたもどうぞと視線で促されるままに、オレは部屋に足を入れる。ほとんどオレたちが生活をしている部屋と変わりはなかった。
ただ、人も物もほとんど配置されていない部屋は、なんだかがらんどうとして見える。
「ここはラボの研究員が災害時などに使用する部屋なので、集団生活前提のつくりになっています。備品もまあ各セクターの特色などはありませんが物としては同じですから、困ることは少ないかと思いますが」
なにかあれば先ほど渡した書類の最終ページに緊急連絡先を書いてありますので、そちらに連絡してくださいと言いながら、ヴィクターは窓際へ歩いていく。
「少々空気が淀んでいますね。換気をしておきましょう」
「……そういえば、テラスなんかあんまり出たことはなかったな」
ヴィクターが明け放した窓から、滑るようにするりと出たレンが眩しそうに空を見上げて目を細める。
「私は明け方、研究終わりにコーヒー片手にここから街を眺めるのが好きでよく出ていますよ」
まあ、マリオンに窓を開けたまま出るんじゃない寒いだろうとよく怒られていましたが……と思い出すように言ったヴィクターの様子を見てレンは少し口を閉ざした後、そうかと小さく応じた。
「街を眺めるのが好きなんだな、アンタ」
「ええ。正確にはこれだけの数の人の営みがあって、その街が寝静まっている中で見る朝焼けが、ですけどね」
「思ったよりロマンティストなんだな」
「科学者なんてものは究極的な話をしてしまうと、皆自分のロマンを追い求めている人種ですから」
くすりと笑ったヴィクターの長い髪が、風を受けてはらはらと踊る。
並んだふたりは、今よりずっと目線が近くなっていた。その背中を見ながら、オレは何も言えずにソファのひじ掛けに浅く腰掛ける。
「顔を視認できるような場所ではありませんから、テラスは自由に出ていただいて構いません。さ、そろそろ換気も済んだでしょうし戻りましょうか」
「ああ」
◇◆◇
「では私はそろそろ戻ります」
そう言ってヴィクターは目礼をすると来た道を戻っていく。
「……おまえ、なんか丸くなってんのな」
言葉を探しあぐねて、唐突にそう言った。なんとなく顔を見て言えなくて、肩のあたりを眺めながらそう言うとああこいつは本当に未来のレンなんだなとじわじわ実感がやってくる。
「そういうお前は縮んだか?」
すこしだけ、開いた身長差がもどかしい。何もない空間をみたあとで、すいと下げられる視線になんだか無性にもやもやした。
「見た目の話はしてねぇよ!」
憤慨して声を荒げる。そうでもしないと、いたたまれない空気に包まれたまま、要らないことを言ってしまいそうだった。
「そうだな」
すうと目を細めて、レンが笑う。この表情を、オレは知っている。あまり笑わないレンが、よくする笑い方だ。
変わったところも確かにある。でも、本質的にはレンなんだなと思ったらどう接すればいいのかわからずに困惑していたのが、馬鹿らしくなった。
「ん、ほらやることないと暇だろうからあとでオレの持ってる漫画、貸してやるよ」
「アキラの趣味だと偏ってるだろ」
そんなやり取りをしながら、部屋の中へ戻る。先ほどまで窓を開けていたせいか、廊下より部屋の方がわずかに空気が冷たい。
「なんだよ……かわいくねーな。じゃあほら、オレらが小さい頃にすっげー学校ではやってたヤツとかどうだ? あれなら懐かしく読めるだろ」
「わかった、アキラのおすすめで」
ソファに腰を下ろしたレンを目で追って、オレは部屋の隅で壁に背を預ける。
なんでか偶然にも最初にこのレンを発見したせいか、サポートをするようにと言われているのだが正直オレよりずっとしっかりしていそうで、どうすればいいのかわからない。
困るのなんて、まあ多分朝まったくと言っていいほど起きないとか、そのくらいだろう。
「一応、通常業務もあるんだろ? 気にせずに戻っていいぞ」
「……んー、でも一人で食う飯は味気ないだろ。パトロール終わって帰ってきたら、一緒に食おうぜ」
誰もいないフロアは、あまりに静かだ。行動範囲も制限されていて、トレーニングルームすら使用できない。
ほかのヒーローたちも業務があるから、誰かがつきっきりというわけにもいかないし、そもそも以前とは違って今回やってきたのは大人なのだ。
誰もそこまで世話を焼かない。ノヴァ博士あたりは焼くかもしれないが、あの人はあの人で忙しいだろう。
みんなが自分を知っているのに、腫れ物に触れるようにして扱われるのは、オレだったら嫌だ。
だから、オレくらいはいつも通りに接そうと思っての提案だった。
「……ああ、わかった」
レンに見送られて、部屋を後にする。何度も懐かしむように、かみしめる様に細められた目を思い出して、そわそわした。
◇◆◇
「おーいレン、朝だぞー起きろー」
カーテンを開けても、揺すってみても起きやしない。
丸くなって寝ている横顔が、今より幾分大人びている。二十六歳なんて、そう見た目が変わるんだろうかと思っていたのだが……思った以上に違うらしい。二十六歳のオレはどんな風になっているんだろうか。
変わらない変わらないと言われていたのを思い出して、なんだか微妙な気持ちになる。本当に変わらないんだろうか。聞いてみたい気持ちと、聞きたくない気持ちがない混ぜになる。
まあ多分聞いても教えられないんだろうなと思いながら、ひとつ息を吐いた。
未来の自分がどうしているかなど別に興味はないのだが、話全般がダメとなると少々面倒だ。
そっちはどうなんだという気軽に聞ける話もできないのは、地味に困る。これまでの出来事は全部今と同じだったので、どう頑張ってみても過去の話しかできそうにないのだが、つい最近まで意地を張り合っていた従兄弟と朗らかに懐かしの過去を振り返るというのは、思ったより難易度が高い。
加えて、レンがどの程度乗り越えられたのかもわからないので、レンの家族の話に触れすぎるのにも気を遣う。こんなに気を遣ったことなんかないんじゃないのかと思いながら、気持ち良さそうに寝息を立てるレンの鼻を、ぎゅむと摘んでやった。
整った顔が、少しだけ顰められる。
「……いい気なもんだよなぁ、こっちがどーいう気かも知らないで……」
寝顔を眺めながら、ちいさく呟く。いつも見ている顔のはずだった。多少年を重ねたくらいでそう変わるものでもないだろうと思っていたし、今もその思いは変わらない。
それでも、ああ、コイツはいい歳の重ね方をしたんだなぁとわかる顔だった。
あの視線の先にいる未来のオレが、うらやましくなるくらいに。
「う……」
息苦しくなったのか、ちいさく声をあげたレンにオレはもう一度声を掛ける。
「おーいレン、朝だぞ。起きろー」
「んん……、アキラ……? おはよう……」
寝ぼけ眼のレンが、覚醒しきっていない弱々しい声でそう言う。
ごしごしと目元をこすって、布団を抱いている様を見ると、あまりに変わっていなくてつい笑いが漏れた。
「ふは、お前また寝癖ついてる」
「……?」
まともに回っていない頭でなんとか状況を理解したのか、レンは自分の頭をぽすぽすと触り始める。
いつまで経っても見当違いなところを触っている様子も、今と何も変わらない。
「ほら、とりあえず起きようぜ。顔洗って来いよ」
「……わかった……」
ふらふらと洗面所へ向かう背中を見送ってから、ダイニングへ足を運ぶ。
朝と言っても、もうかなり日は高い。朝のパトロール終わりに買ってきたホットドッグをテーブルの上に並べた。
ついそわそわして、視線をあちらこちらにやってしまう。
「何をそわそわしてるんだ、アキラ」
相変わらずというか、落ち着きがないなと言いながらリビングに足を踏み入れてきたレンはそのまま向かいの席に座る。
テーブルを挟んで向かい合わせの形で、各々がホットドッグを手に取った。
「本当に好きだな、ホットドッグ」
「悪いかよ……」
うまいだろ、ともごもご言えば、レンは小さく笑ってそうだなと応じる。
「……食べるか」
「そうだな」
いただきますと手を合わせて、パンを口へ運ぶ。ぱきっと小気味のいい音がして、ウインナーの皮が弾けた。
じゅわりと染み出す肉汁がパンへ染み込んでいく。やっぱりうまいなと噛みしめながら咀嚼する。
しばらく無言でホットドッグを頬張っていると、ややあってレンが口を開いた。
「わざわざ買ってきてくれたのか」
「ん? ……ああ、朝パトロールだったからな。外出られねーし、これくらいはいいだろ」
この時間から作り出したら朝飯だか昼飯だかわかんなくなるぞと言うと、それはそうだなとちいさく笑う。
「久々に食べるとうまい」
「だろ! いつものも好きなんだけど、今日のはなんかシーズン限定品なんだよ」
ここのはどれを食べてもうまいんだよな~と思わず心の声が漏れた。
ほんのすこし、気まずかったのが嘘のようにそれからはするすると話が出てくる。
ベッドの枕元に置かれたままだった、貸した漫画の話。あの頃はああいうのが流行ってたよなという懐かしい話。十八歳と二十六歳で何が一番変わるのか。昔と味の好みとか変わるものなのかという世間話。
いろんな話をした。あっという間に昼も過ぎてしまっているほどに話し込んだ。
「うお、やばい悪いレン。今日、このあとパトロールでそのあとマリオンとのトレーニングがあって、夜は来れそうにない!」
ばたばたとソファから立ち上がって準備をしながら矢継ぎ早にそう告げる。
気にするなという声を背中に受けながら、オレは部屋から飛び出した。
◇◆◇
特に代わり映えのない日が続く。二十六歳のレンが来てから、六日が経とうとしていた。
任務で忙しくしているノースのメンバーはなかなか顔を出せないらしく、あの日以来マリオンのトレーニングも休止になっている。
最初に見つけたのがオレだから、という子猫を拾った子どもに対して親が言うような理由でレンの世話を任されたのだが、それもあっという間に日常になっていた。
まあそもそも本当に小さい頃から一緒だったので、ほかの相手より気を遣わなくていいというのも大きいのだが。
昨日の夜のうちに明日はラボに来てくれと言われていたので、久しぶりに顔を出す。
レンの方は一日おきに呼ばれては身体検査などに協力している様子だったので、何かしら解決には進んでいるのだろう。
ラボへ向かう道すがら、どうなるんだろうなと頭の片隅でレンのことを考える。
こっちの時代の本人も事情は知っているのだが、わざわざ将来の自分になど会いたくないと顰め面で拒絶して取り付く島もなかった。
ノヴァ博士によると、データ比較のための身体検査には協力しているそうだったが、それもそもそも生体データがあるので一、二度程度の話らしい。
以前の幼少期のフェイスがやってきた時と違って、今回は「機体」らしきものもない。
帰る手段が見つかったんだろうかと歩いていると見慣れた姿が目に入ってきた。
「おい、レンなにやってんだ?」
足早に近寄って声を掛ける。こちらを向いたレンはあからさまにバツの悪い顔をした。
「……もしかして、迷ってたんじゃないだろうな……?」
「……そのまさかだ」
ふいと顔をそらして答える様子に、目をぱちくりと瞬いた。
「お前これまで検査でラボに行くときどうしてたんだよ」
思わず剣呑な目でそう尋ねる。
「……ジャックが、迎えに来ていた」
「あー」
なるほどなと頷く。この時間ならジャックは洗濯物で忙しくてその余裕がないのだろう。
「方向音痴の自覚はあるんだな……」
見当違いも甚だしい方向の通路から現れたレンに、ラボはあっちだぞと指さして教える。先導しながら指さして教えれば、そうかと少しばかり落ち込んだ声が背後から聞こえた。
「お前と和解してからは、絶対にひとりで行こうとするなと言われていたから」
ひとりであまりどこかに行こうとしたこと自体が最近はなかったと言われると、思わず言葉に詰まってしまった。
おうと返した言葉がひっくり返る。耳がじんわりと熱い。