「創ちん。ちょっと車で出かけないか?」
いずれこうなることは、もうに〜ちゃんも分かっていたのかもしれません。
「今から……ですか?」
「うん」
少し歩けば海もある、自然豊かな場所でした。
逃げ隠れるようにしてひっそりと暮らし始めたこの町。に〜ちゃんはぼくのために、この素敵な町を選んでくれたんだと思います。
「見せたい景色があるんだ。いいだろ?」
ぼくはなんとなく、に〜ちゃんの言いたいことが分かってしまって目を伏せた。
特に言うこともないので、ぼくは黙ってに〜ちゃんと車庫に向かいます。
言い忘れていましたが時間は夜。
ここのところ、に〜ちゃんは毎日毎日、眠れない、朝が来るのが怖いといっていました。
「こんなおれじゃ、これから先、お前のことを守ってやれる自信がない」
その言葉が引き金だったんだと思います。
に〜ちゃんはその日から、何にも喋らなくなってしまいました。
「誰もいない場所にいこう?創ちん」
__に〜ちゃんは、壊れてしまったんだと思います。
*
その日は氷点下でした。
だからか分かりませんが、ぼくたちが乗り込んだ車は眠ってしまったみたいに動きませんでした。
「に〜ちゃん、それ、動きますか」
に〜ちゃんは無言でエンジンをかけ続けます。
二、三度キーを差し込んだところで、やっと車がふるふる身を震わせました。
きっと狸寝入りだったんでしょう。
向かう場所は海です。に〜ちゃんが言わなくても分かるのは、だんだんと塩の匂いがきつくなってきていたからです。
遠くのほうには都会の灯り。町はまだまだ眠らないみたいだった。
とてもじゃないけど、車が通るようじゃない剥げた土の上を走っていきます。
「綺麗だろ、創ちん」
車窓の外は、いつの間にか真っ黒な海。
お世辞にも綺麗とは言えませんでした。
けれどぼくは
「そうですね、とっても綺麗です」
に〜ちゃんが作り上げた世界を壊したくありませんでした。
綺麗だったに〜ちゃんをここまで汚してしまったのはぼくだ。叶うなら、一緒に、どこまでも添い遂げたかった。
程なくして、に〜ちゃんが車を停めました。
まるでドラマのワンシーンみたいな場所。
「……に〜ちゃん?」
「……ぅ、う、ぁ……」
嗚咽でした。
に〜ちゃんは、直前になって、捨てることを躊躇ったのです。
「は、創ちん……ごめん。やっぱり帰ろう、家に」
「に〜ちゃん」
「ちょっと辛くなっちゃって、全部終わらせたくなっちゃったんだ……おれ」
ぼく達は前から、緩やかな終わりを待ち望んでいたんだと思う。
に〜ちゃんは創ちんが悪い訳ないってずっと言ってくれていたけど……。
そんなのいつか、ガタが来てしまうのに。
ある日、に〜ちゃんが言った。
ぜんぶぜんぶ、おかしくなったお前のせいだって。
たぶん、心からの本心だったんでしょう。
それから、壊れていくのはあっという間でした。仕事にも行かなくなったに〜ちゃんは、寝るのも忘れてぼーっとしていることが増えました。
夜。ふと目が覚めたら、目の前に包丁を持ったに〜ちゃんがいました。正気のなさそうな、血走った目。
ぼくはここで、に〜ちゃんに殺される。
だから、ぼくはいつ愛憎の刃が差し込まれてもいいように薄く目を閉じました。
でも、に〜ちゃんはぼくを殺せませんでした。
鋭利な刃先が肌に触れるか触れないかのところで、に〜ちゃんはぼろぼろ崩れ落ち、「ごめんな、ごめんな」とうわ言みたいに呟いていました。
に〜ちゃんは、ぼくが静かに涙を流しているのを見て、手を止めてしまったのでしょう。
ぼくが、人間性の全く無いただの化け物だったならどんなによかっただろう。
でも、あの後、に〜ちゃんは確かにああ言ってくれた。
『そ、そんな顔されたら、殺せないらろ…っ…?』
それは、ぼく達がアイドルとして活動していた時にみた顔そのものでした。
ぼくはまた、に〜ちゃんの優しさに触れてしまった。
その日は、2人で朝までわんわん泣きました。
結局……に〜ちゃんの精神が持ち直すことは二度となかったけれど。
「いいですよ……に〜ちゃん。もう、終わらせちゃいましょう?」
「創ちん……っ」
人殺しになるのはぼくだ。大好きなに〜ちゃんに、人を殺めた印を刻ませたくなかった。
に〜ちゃんを泣かせたのも、壊したのも、殺してしまったのもぜーんぶぼく。
だから、に〜ちゃんが謝ることなんて何ひとつないんですよ?
「また……会えるよな?」
「もちろんです」
ぼくは、ハンドルを握ったに〜ちゃんの手の上に、そっと手のひらを重ねた。