2.揺るぎなき力 たまたま今日はみんなが忙しい日だった。サルガスもアルゴルもプロキオンも、みんなそれぞれやることがあるらしい。最近ずっと忙しかったし、たまにはそんな日があってもいいかな、なんて思っていた。
あの日からメイサさんの姿をあまり見かけない。見かけても視線すら合わせてもらえない日々が続いていた。――リゲルさんにあんなことがあったあとだから無理もないけれど……。
なんとなくボクはミッドガルドのなかを歩いていた。時間を潰す術が他に見当たらなかったからだ。部屋に籠っていても苦しいだけだし、それなら散歩していた方がマシだ。
でも外は外でやっぱり良い気はしない。ボクを見てヒソヒソと話をする人々が視界の端に映る。でもボクは見て見ぬふりをするしかない。関わったって良いことは起こらないし、ボクにはボクを理解してくれる人がいるから。あの赤いアームを振り回して嬉々として笑うサルガスが脳裏に浮かんで、少し心が軽くなった。
「おい」
サルガスのことを考えていると後ろから声をかけられた。知らない声だ。ハッと振り返ってみると、そこには大鎌を携えた黒いフードの男が立っていた。噂だけは知っている、この人はたしか禁縛エトランゼの――
「ウェズン様たぁ俺様のことだ!」
まるでボクの心を読んだかのようにウェズンはニヤリと笑う。
……プロキオンから禁縛エトランゼの話は聞いていた。ホシビトの研究をしているとかどうとか。この人も噂ではホシビトになりたいとか言っているときいたけど、本当なのだろうか。
こうなるのなら散歩しなければよかった、そう思いながらきっとボクは怪訝そうな顔をしている。でもウェズンは気づいてないのか話を続ける。
「お前、暇なんだろ? ちょっと付き合え」
そう言いながらウェズンはボクの腕を引っ張ったので、突然のことにバランスを崩しそうになった。
「ま、待ってよ。付き合えってどこに?」
「決まってんだろ。俺様が潰したものを浄化してほしいだけだ」
ボクの返答など待たずにウェズンはボクを連れていこうとする。確かに暇だったし、確かにボクに出来ることだし……。でも無理矢理過ぎる!
「心配する事はねぇ、俺様がぜーんぶ血の海に変えてやるからよ」
無理矢理過ぎるんだけど……その自信たっぷりなウェズンの顔を見ると、なんとなく頼もしく感じて断るタイミングを失ってしまった。
連れていかれたのはセレーネ杜だった。ボクは初めて来たけれど、なんとなく嫌な感じだった。昔は綺麗だったのかもしれない。でも今では狂暴なホシビトの巣窟になっているし、そんなところに会ったばかりの禁縛エトランゼ人と来るなんて不安しかなかった。
でもボクの不安をよそに、ウェズンは目につくホシビトをどんどん薙ぎ倒していく。血の海というのは喩えなんかでなく、本当の事だったみたいだ。
倒しては浄化し……何度も続けていたところで、ウェズンが返り血で汚れていることに気がついた。でも彼はそれすらも気にしておらず、頬に付いた血をグローブで拭っている。
ホシビトの血も危険な物質なのに……そう思った瞬間ハッと我に返る。そうだ、この人はホシビトになりたいっていう噂だった。どうしてそんなことを考えるのだろう、ボクには理解できない。
「……なんだよ」
ボクは気づかないうちにウェズンをじっと見ていたようだ。ボクの視線に気づいたウェズンが嫌そうな顔をしている。
「その……ホシビトになりたいって本当なの?」
ウェズンは今度は意外そうな表情になった。
「あぁ、そうだぜ?」
「……どうしてホシビトになりたいの?」
何故だろう質問が止まらない。この人のことは怖いけど、どうしても知りたくてたまらない。
「強さが、圧倒的な強さが欲しいんだよ」
ブン、と大鎌が風を切る。ここにくるまでにたくさんホシビトを倒してきたけれど、ウェズンは少しも呼吸を乱すことなく倒してきている。十分強いと思うけど……。
「まだ足りねぇんだよ」
そう憎々しげに呟くウェズンの目は怒りが込もっているように見えた。
「あの力がどうしても欲しくてたまんねぇ」
ふと、ウェズンにリゲルさんの姿が重なって見えた。この人もいつかはリゲルさんみたいになってしまうのだろうか。そんな考えが一瞬よぎっただけなのに、ボクの中に恐怖なのか悲しみなのかわからない感情が溢れて止まらなかった。
「ホシビトになってまで力が欲しいなんて、ボクにはわからないよ」
無意識だった。こんなこと言うつもりじゃなかったのに、気づいたら口が動いてしまっていた。この人に感情をぶつけても仕方がないと分かっているのに……。
「……なに泣いてんだよ」
ウェズンに指摘されて気づいた。ボクは涙を流していた。そうだ、ボクはリゲルさんを救えなくて苦しかったんだ。
「お前だって無力なのが悔しいんだろ。俺様と同じじゃねぇか」
一緒にはされたくはない。でも手段は違えど確かに同じだ。ボクも力が欲しい。もう誰も傷つかなくて済むように。
その瞬間だった、ボクの真後ろから突然咆哮が聞こえた。油断していた。振り向いた時にはホシビトの爪が眼前に近づいていた。でもその爪がボクに振り下ろされるよりも速く、ウェズンの大鎌がホシビトを捉え、真っ二つに切り裂いた。
「こんな下らねぇ奴にはならねぇ」
足元に転がっているホシビトだったものを爪先で蹴飛ばしながらニヤリとウェズンは笑う。
「最後の瞬間まで俺様は、すべてを壊し尽くす。それだけだ」
返り血に染まったウェズンは恐ろしく見えたけど、でも本当はそこまで怖い人じゃないのかもしれない。
「それに俺様がホシビトになったら、そんときは俺様をぶっ潰してくれる奴がいるしな」
そう言うウェズンはどこか嬉しそうにも見えた。……やっぱりボクにはこの人を理解することは出来ないかもしれない。