「ご機嫌麗しゅう、影殿」
共用スペースに設置された机で作業をしていたところに、影の如き男がやってきたことに気が付いて、私は丁寧に挨拶をした。
影の如き男の用件は察している。我らが輝かしき光が側にいないのを見るに、その行方を尋ねに来たのだろう。
「どこにいるか、知っているか」
そら来た。
主語すらない問いかけだが、その意図を汲めないわけもない。この影の如き男が自ら尋ねるのはひとりに関することのみだ。
私は少し考え込んでから、首を横に振った。
「いいえ、本日私はかの方にお会いしておりませんので……お役に立てず申し訳ございませんが、他の方に尋ねられたほうがよろしいかと」
影の如き男の温度のない視線に、私は困ったように微笑んだ。幾度かの瞬きの間、微苦笑を崩さずにいると、影の如き男はそうかと一度頷いて去っていった。
ひとつに纏められた夜闇の如き長髪が垂れ下がる背中が遠ざかっていく。足音は聞こえないので目視での確認が重要だ。
その背中がきちんと見えなくなってから、追加で何秒か数えて、私は床に垂れ下がる自身のコートの裾を持ち上げた。丈が長いコートのため、背もたれに掛けると床についてしまうのだ。
「行ったか」
コートの下、つまり椅子の四脚の間から、まばゆい金の髪のこどもが這い出る。彼こそが我らが輝かしき光、つまり影の如き男が探しているものであった。
「どうでしょう?」
こどもは影の如き男が去っていった方向を眺めた。返事を待つ間、嘘をついた気まずさのせいか、なんだか妙に部屋の中が薄暗くなったような気がして、ちいさく肩をすくめる。
「今回も失敗のようだ」
多少拗ねた様子でこどもが言う。私はしょんぼりと肩を落とした。
「なに、卿は良くやってくれたとも。演技も私との訓練でかなり上達していた。今の卿なら、どこぞの秘密警察に尋問されることになっても、うまく乗り切れることだろう」
多少背伸びをして、ぽんと私の方を叩いて、こどもは慈しみに満ちた笑みを浮かべた。
心拍数や汗のコントロールまで出来るようになったのだが、なかなか難しい。どうして嘘がばれるんだろう。
「身に余る光栄です。この後はどうされますか? お部屋に戻られるのなら、私がお運び……ああいえ、あなたがいらっしゃるなら、もちろんお任せいたしますとも」
一瞬目を閉じただけだと言うのに、いつのまにかこどもの背後にいた影の如き男に向かってかるく頭を下げる。
唐突に背後から抱き上げられたというのに、こどもは動じることなく、私に別れの挨拶をして手を振った。
「自分で歩けると言っただろう、カール」
「この前、転んだばかりなのをお忘れかな」
「あれは急な成長のせいで、感覚が狂っただけだ。成長速度が安定した今ならそうそう転ばんよ」
楽しげな声と拗ねた声の会話が遠ざかっていく。
いつも子供扱いされている腹いせに、まあいたずらっ気も込みで、かくれんぼをしてあの影の如き男を驚かせたいとこどもに言われてからそろそろ二週間。
いまのところ成功したことは一度もない。