反転青年!『た』『すけ』『て』
と断続的なメッセージを送ってきた友人、真瀬康介は俺の目の前でほとんどテーブルに突っ伏していた。
俺の家の近所にあるカフェ。コーヒーはまずいが代わりに人がいないので、下世話な話をするときに便利だ。というわけで、そういう話をするとき使われる。
というわけで、そういう話をするものだと思って俺は呼び出されたわけである。
なのに、康介は俺と顔も合わせずに両手を頭にやり、ああだのううだの唸り続けている。コーヒーは冷めていく。
考えてみれば、考えてみなくても、会ったときからもうおかしかった。俺が来る方が遅かったが、カフェの隅っこで迎えた康介の顔は明らかにひきつっていた。そして旨くはないコーヒーを頼み、届いたと思ったらこれである。まあ助けを求めてくるのだからそういうものかもしれない。
だが、こいつに限ってはとても意外なことだ。いつもへらへらにこにこ、自虐ネタも満載でマシンガンのように喋り続ける男だが、本当に弱いところは見せない、と睨んでいる。これはこいつと同じ心理学部に通っている俺の見立てなのでそう間違いはないと思う。要するに、社交的なのは表面だけで、内心を隠す奴なのだ。まして、あんなガチみたいな、つまり切実なヘルプメッセージを送ってくるなど、前代未聞だった。
「いやさ」
俺は呆れた声で言った。
「困ってるのは解ったけど、それじゃ話が進まないんだよ」
「ぐう」
明確な言葉が出たが、それは意味のある単語ではなかった。よろよろと赤紫の派手な毛先が揺れる。
「ほら、顔上げろって。話せないだろ」
「うぅう」
うめき声とともに、しかしようやく康介は俺に従った。予想はしていたが、それより上の表情に俺は驚いた。顔が真っ赤になって、眉根が寄せられ、まなじりが下がっている。あ、ガチの上のガチのやつだ。
一つため息をつく。こいつの状態について、思い当たる節がないわけではなかった。推測に過ぎないが、おおむね確信している。
「お前、彼女だか彼氏だか、できたな?」
「……うん」
思いのほか、素直な返事だった。ただし、またうつむきかけたので睨みつけると、なんとか思いとどまったようだった。
「すぐ認めるじゃん」
「や」
と、康介は軽く首を振った。それでようやく多少の落ち着きを取り戻したようだった。こいつにとっての『落ち着き』は騒がしさに直結するが。
「そりゃ解るだろとは思うよ。クラブもサークルも行ってねぇし、断ってるし。大学サボるし」
「大学にはいろ」
「そしたらまあ、他に相手あさる場所見つけたか、じゃなきゃ……あの、恋人ができたって思うのは当たり前だと思うわけで……」
「思ったより冷静な分析」
ただ、普段の落ち着きようではなかった。声は小さく弱々しい。大体こんな喋り方するやつだったか?
もっとも、俺はそういうところが面白そう、と思って呼びつけられたので、むしろこの反応は良かった。恋人ができただろうなあ、とは思っていたが、それはとんでもなく意外なことだった。もともと一夜限りの相手しか探さず、二度同じ女と寝ることはなかったし、バイのこいつは男も同様だった。それは公言してたし、相手が本気になろうとしかけたらすぐに離れるようなやつだ。
それが恋人ができたらどうなるんだ? もちろん、興味深かった、のは深かった。のだが。
予想の斜め上だった。こんな、まるで初恋した中学生みたいな。
「あれ?」
ふと気づく。
「初恋?」
康介は口を開きかけて、やめた。視線が横に泳ぐ。明らかに隙だらけだ。
俺はなんだか嬉しくなってきた。だって、つまり、こいつは俺に隙を見せてもいいと判断してわざわざメッセージを送ってきたわけだ。
こいつには、友人はほとんどいない。俺も、多分、もともとは友人とは思われていなかっただろう。金蔓ならぬコネ蔓だったと思う。出会いを得るならやっぱり誰かと繋がってなきゃいけないし、表面的な話で言えば、こいつはほぼパーフェクトだった。関係の作り方が軽々しいのも、単にそれが好きだからと思わせるのも上手なやつだ。俺は、本当は逆なのだと思っていたのだ。重い関係が苦しいのだと。
それが相談してくれるというのだから、つまり信用があるということになる。
「いやあ、喜ばしいな」
「るせぇ」
抑えた声。視線はまだ合わない。
「おや? 他に当てがあんのか?」
「……増やしたくない」
「素直」
また康介は何やらぶつぶつ言っていたが、意を決したようだ。深く息を吸い、吐き。
そしてかつてない真剣な目で俺を見た。
「恋人って何したらいい?」
「そのレベルだったかあ」
これは予想の範囲内だったが、かといって答を用意していたわけじゃなかった。何しろこんなやつの思考回路をプロファイリングするのは非常に厄介だ。ケースとして授業にレポートを持っていってもいいくらいである。
「えぇ……別にお前、漫画とか読むじゃん。恋愛モノも読まないわけじゃないだろ。そういうのじゃだめなわけ?」
「や、それは結構難しい、つか」
「映画とか、買い物とか」
「買い物は行くけど、あのー……」
と、口が一度止まった。たぶん、相手のプライバシーに配慮してるんだろう。
そしてたぶん。こいつは一応誠実なやつなんだと思う。
恋人を作らない、一晩しか相手にしないのを公言しているのも、半分は自分を守るためだろうが、もう半分は相手を守るためだ。そりゃ本気にさせてりゃ向こうも傷つくからな。そういう割り切りができる相手としかセックスしない。しなかった。
「ここだけの話にするって。信用してくれよ。だいたい、そんなんじゃ相談に乗りようがないだろ」
「……あんまり外が得意じゃないやつなんだ。だから、連れまわし過ぎんのもどうかなって。いやちょっとずつ行くけどさ」
「ああ、なるほど」
「いつも俺があいつんち行ってるし、そうするとすげえもてなしてくるし。俺が完全にただのお客様っつぅか」
「つまり、何かしてやりたいと」
「……そういうことデス」
妙に片言だったが、ともかく康介は肯定した。
「手伝いもさせてくんねえし、料理手伝おうとしても猫と遊んでろとか言うし、まあそれは俺が不器用すぎるからなんだけど」
「それは知ってる」
鉄板の自虐ネタだ。曰く、折り鶴が作れた試しがない。こいつが得意なのはそれこそセックスくらいだ。それだって経験を積みまくったからだとかなんとか、酒の席でげらげら笑って話すくらいだが。
「……あれ?」
もう一度、気づく。
「もしかして、まだヤってない?」
沈黙。図星。肯定。
「えっマジで」
さすがに素でやたら驚いた。あの手この手ですぐにベッドインに持ち込むやつなのに。ちょっとさすがに意味が解らなくて、俺まで混乱する。え、ああでも道理でこんな恥ずかしそうに。恥ずかしそうな顔なんて見たことなかったな。
「だぁって」
康介はぴくぴく頬を動かしながら話した。
「手癖で抱いちまいそうで」
「パワーワード」
「冗談じゃねえよぉマジで! 違うんだって! いや別に、今まで一緒だったやつがどうでもいいわけじゃねえんだよ。ちがくて」
「落ち着け」
康介は素直に従った。もう一度深呼吸。
「……違くてさ。今までヤってたやつだって、ちゃんと本気で遊んでたよ。かわいいかわいいっつってさ」
「シラフで聞くべきじゃなかったな……」
心底思うが、もう遅い。康介は真っ赤な顔のまま、ぼそぼそ続けた。
「でもそれをあいつにやるのはさぁ……別枠じゃん……。させてって言ったらさせてくれると思うけど、どうやろうかなって考えたら、その、まだ、俺の心の準備が」
「はぁ」
一応本気で聞いてやろうとは思っているのだが、何しろ半分くらいはのろけになっているのにこいつは気付いているんだろうか。別にいいけど。やる気は若干削がれていく。
「普通にいちゃいちゃしろっていうのがお前は解んねえんだろうな」
「ぶっちゃけ、解らん。それはどーいう定義なんだ?」
「定義とか言っちゃう時点でダメだと思う」
「んなの解ってるって。でもそう思っちゃうんだからしゃーねえじゃん」
康介は肩を落とす。約束したからにはこの醜態について誰かに漏らすつもりはないが、後悔はしている。こんなの、酒のつまみにするしかない。一人は辛いものがある。
「はあ、難し」
「何か差し入れしてやれば? 映画だって家で観れるだろ」
「んなのはしてるけど。……なんか喋るのも、難しいっつうか。初めての関係だから何をどう喋ったらいいか」
「ああもう!」
そろそろ痺れが切れた。俺はたん、と軽くテーブルを叩く。康介がびくりと肩を震わせた。
「なら相手に聞けよ! でもでも言ってんじゃねえぞ」
「で、でも」
「禁止っつってんだろ」
「……解ったよ」
康介はようやく腹が決まったのか、多少はまともな目つきになって俺を見やった。
「とりあえず話す回数増やしてみる」
「どんだけ話してんの」
「え? いや」
そして康介が発した一日の電話時間に俺は驚愕するのであった。
お前ら重くね?