担当医 A 記録ファイル:2「体調の方はどうだい?近頃は発作は起きてないかな?」
前回の診察から約2週間、今回の彼は随分と静かだ。
今日は朝から小雨が降り、ぽつぽつと窓を叩く優しい音が診察室に小さく響いている。
「…ちょっとだけ怖いことあった……けど、発作は起きなかった。」
「発作は無いようで良かった。怖いことは…嫌でなければ聞かせてくれるかい?」
自由奔放な彼の口から出る、"怖いこと"と言うと大体が"過去の記憶"を呼び起こすような出来事だ。
しかし、今回は恐怖を感じても発作が起きなかったと言う。なにやら、彼の中で変化が起きているかも知れない。
「えっと、この間SNSでね。なんか知らないおじさんにフォローされて、リプ貰ったんだけど…ちょっとだけ変な感じだったのね…?」
言葉を探す様に辿たどしく紡いでいく姿は、どうしても拭いきれない恐怖心に駆られている様に見えた。
「少しずつで良いよ。ちゃんと伝わってるから。」
「…うん、別に今までだって変な人から絡まれたりストーカーされたりとか、あったしまたかなって…なってたんだけど…」
言葉が詰まったようで、ゆっくりと紡がれるのを待つ。
彼は少しだけ赤い目をして、嫋やかな指が弱々しく伸ばされたのでその手を静かに傷を付けぬよう受け取った。
「…そしたら、お家のみんながね…し、心配してくれて、なんか、守ってくれて…?」
「そうなのかい?それは良かった…!」
医者でもできる事とできない事がある。
この青年の幸せをどんなに願って居ても、私はその治療と言うサポートくらいしか出来ず歯がゆい思いをしていた。
しかし、身近な人達によって恐怖から守られていたことが解り、医者としても一人の人間としても、大変に嬉しく思ったのだ。
「あ…で、でも今回はね!SNSだったからびっりしなかったのかも!きっと!!その後おじさんからのフォローは消えてて…でも、ごめんねって言ってたから悪い人じゃ無かったかも……?」
「でも、君は多少なりとも恐怖を感じた。違うかい?」
私がそう諭すと、図星だったようで
彼はまた自分の思う言葉を探している。
「…先生が前に言った、自分を大事にするってやつ…お家のみんなも言うのが、ずっと不思議だったけど…ちょっと…たぶん解った気がして」
「…今回の件をきっかけに?」
そう訊ねるとコクンと静かに頷く。
「その夜はね、みんながいっぱいハグしてくれたりアロマ焚いてくれたり、一緒にテレビ見たりゲームしたり、眠くなるまで皆でリビングで遊んで…いつの間にか寝ちゃってた…ほんと、すごい楽しくて…」
シェアハウスの様子を話す時、彼はいつも楽しげに話してくれる。先程まで怯えた顔は消え、その目には少しずつ光が差しているように見えた。
「こんな…ボクを……大事に?かな…?してくれるなんて、思ってなくて…くすぐったくてソワソワしちゃった…」
「君を大事にしてくれる人は君が思っている以上にたくさん居るんだよ。もちろん、私もその一人だ。」
彼はへにゃ…と、照れくさそうに笑みを浮かべた。
「やっぱりくすぐったいや」
その後は新しい住人が増えたことや、赤裸々な性事情なんかも一方的に聞かされてしまったが、いつもの調子を取り戻しつつあるようだ。
まだ雨は降っていたが、診察後彼は虹色のお気に入りの傘を差して小走りで帰って行った。
担当医 A 記録ファイル:2