メイド長は見た! シェーラ王妃様は、わたくしの事をいつも「ねえや」とお呼びになる。
それはシェーラ様がレイドック王に見初められ、若い身空でこのお城にお輿入れされたころから。
わたくしがシェーラ様の侍女に抜擢され、初めてお会いした時、シェーラ様はご自身と同じ年頃のわたくしに、
「ねえ、あなたのこと、ねえやとお呼びしてもいいかしら? 私、普通の家の出だから、レイドック王家のしきたりや、そういうことは何もわからなくて、正直、不安なんだけれど……でも、あなたみたいに年の近い方がそばにいてくださるのなら安心だわ」
と言って、わたくしに微笑まれた。
そう言われてふんわりと嬉しくなり、頷いたのがきっかけで、今に至るまでわたくしはシェーラ様にねえやと呼ばれている。もう、ねえやというような歳では、お互いにないのだけれど。
「ねえや、久しぶりに一緒にお茶しない?」
シェーラ様が突然、倉庫の入口からひょいと顔を出し、そう仰った。
倉庫の中で、洗い上がったリネンのシーツを入念に見ていたわたくしは、その声にゆっくりと顔を上げる。
わたくしの横で同じようにリネンをチェックしていた若い新入りのメイドは、その声に弾かれたように顔を上げ、驚いた顔をしてから、シェーラ様に向かって深々と頭を下げた。
ふう、とひとつ小さなため息をついてから、ちらりとシェーラ様を見やれば、その手には何かが入っているらしき紙袋、そして、ずいぶんと嬉しそうな笑顔。
「恐れながら、今は仕事中です、シェーラ様。この仕事が終わってからお部屋に伺いますわ」
「少しくらいいいじゃないの、他の子におまかせしたら」
「いいえ、王族の皆様がお使いになられるベッドシーツ、万が一にでも妙なものが混入していたりすればお命にかかわります。特に今はレック王子様がお城にお帰りになられたのですから、きちんと見ておかないと」
わたくしがそう言うと、シェーラ様は肩をすくめて、「わかったわ、じゃあそれが終わったらすぐ部屋に来てちょうだいね」と言って、倉庫の前から去られた。
シェーラ様の足音が遠ざかったところで、新入りのメイドが恐る恐るといったふうに頭を上げる。
そして私の方を見ると、驚いたような顔で、
「メイド長は、シェーラ王妃様とよくお茶をなさるんですか?」
と聞いてきたので、思わず、ふふ、と笑ってしまった。
「ええ、まあ、たまにね。長いお付き合いだから」
「すごーい! わたしなんて、もしレック王子様にお茶に誘われたら、きっと緊張しすぎて何も喉を通らないですよ。王子様の、あの素敵なお姿を眺めるだけでお腹がいっぱいになりそう…」
「もう、ばかなこと言ってないで、ほら、仕事仕事」
「はあい、すみません」
軽口を叩きながらも、手際よく仕事をこなしていく新入りのメイドに苦笑しながら、わたくしも手元のリネンに再び目を走らせる。これが終わればお部屋へベッドメイクに伺わないと、と今日の予定を頭の中に浮かべながら。
コンコン、と扉をノックすると、はあい、とシェーラ様の嬉しそうな声が聞こえてきた。
すぐに扉が開かれ、現れたシェーラ様は、わたくしが持っているリネンのシーツを見て少し不服そうな顔をされる。
「ねえやったら、まだ仕事してるの」
「王子様のお部屋のぶんは終わりましたわ。あとはここの、王様と王妃様のベッドだけです」
「仕方ないわね、私も手伝うわ」
早く終わらせましょ、とドレスの袖を捲り、わたくしの手からシーツを素早く奪い取るシェーラ様を見て、思わず笑いが漏れた。
「一体どこの国に自分でベッドメイクする王妃様がおられるんです」
「ここにいるわよ」
「あらあら、世にも珍しい王妃様ですこと。…でも、レック王子様もたまに、ご自分でなさると仰ることがありますから、世にも珍しい親子かもしれませんわね」
「あら、そうなの? ……あの子も、長い旅に出て、いい意味で王族らしさが薄れたわね」
まあ、私も元々は王族の出ではないし、こういうことをたまにすると妙に落ち着くのよ、と言いながら、慣れた手つきでシーツを敷くシェーラ様を見ながら、そうですか、と相槌を打つ。
「こんなものかしらね」
どうせ私と夫が寝るだけなんだから、これくらいでいいでしょう、と言いながらシェーラ様はこちらにウィンクをした。
「さあ、お茶にしましょう」
と言って、シェーラ様はもうすでにお茶とお菓子が用意された机を指差した。
「ありがたくご相伴に預かりますわ」
「ほほ、どうぞどうぞ」
椅子に腰掛け、改めて机の上を見れば、ティーカップに注がれた紅茶と、素朴な風合いのクッキーが銀の皿に載せられている。
「ひょっとして、これが、先程お持ちだった紙袋の中身ですか?」
「そうなのよ。昨日ね、レックがお友達と会うからって出かけて行ったでしょう? 名前は確か、ハッサン、といったかしら。どうもそのお母様が焼かれたクッキーをたくさんお土産にいただいたみたいでね。母上もいかがですかと言ってくれたから、ありがたくいただいたのよ」
あんまり嬉しいから、これはぜひねえやと一緒に食べようと思って、と言って、シェーラ様はにっこりと微笑み、クッキーをひとつ手に取ると、口に放り込んだ。
それにならって、同じようにクッキーを口に運ぶ。素朴な味わいの、おいしいクッキーだった。
「おいしいですわね、とっても」
「本当に。そういえば子供の頃、母と一緒によく焼き菓子を焼いたのを懐かしく思い出したわ」
私は、時間も気持ちも余裕がなくて、ついぞ、レックにもセーラにも、こんないいものは作ってやれなかった。本当に、だめな母親ね。そう呟いたシェーラ王妃様に、わたくしは首を振った。
「焼き菓子ひとつ焼かなかったところで、何だっていうんです。そんなこと、大した事じゃありませんわ。レック王子様も、…セーラ王女様も、素晴らしくお育ちでしたよ。あなた様が料理をせずとも、おふたりともよくおままごとをして仲良く遊んでおられました。よく王様の大事なお皿を使いながら…ごくたまに、割っておられましたけれど」
わたくしがそう言うと、シェーラ様は寂しそうに微笑む。
「そうよ、子供たちがそんな風にいい子にしているのを、私はねえややじいやから聞くばかりで、……もう今更、取り返しもつかない話なんだけれどね」
でも、と言いながら、シェーラ様はもうひとつクッキーに手を伸ばし、頬張った。
「ずっと寂しい思いをさせていたあの子に仲の良いお友達ができて、大魔王を倒して世界を救って、こんな風に私に嬉しいことをしてくれて、なんだかね、罰が当たりやしないかしらって、心配なのよ、私」
「もう充分、罰は受けられましたよ」
呪いでずっと眠っておられたでしょう、あの時はシーツを替えるのが本当に大変でしたわ、とわたくしが言うと、シェーラ様は吹き出す。
「ほほほ、そうだったわねえ、あの時は苦労をかけたわね。本当に大変だったでしょう、ふたり分も」
「そうですよ、……心配しましたわ、本当に」
二度とお目覚めにならなかったらどうしようかと思いました、と言うと、シェーラ様は頷いた。
「レックのおかげだわ」
「ええ、レック王子様は、本当に見違えるほどご立派になられました」
「本当よ、……でもね、少し心配なことがあるの」
シェーラ様はそう言うと顔を少ししかめて、「ここだけの話なんだけれど、あの子ね、全然結婚する気がなさそうなのよ」と声をひそめて呟く。
「夫が特に心配しているんだけれど、お見合いの話をいくら持って行っても全部にべもなくきっぱり断られてしまって…もしかして誰か心に決めた方がいるのかしら、それならそれでこちらも気を揉まずに済むのだから、少しくらい教えてくれてもいいのに」
そう言ってため息をつくシェーラ様を見ながら、わたくしはカップを手に取り、紅茶を口に含んだ。
レック王子様が心に決めた方、それは。
「それはね、まあ、おられますわよ」
わたくしがそう言うと、シェーラ様は、あら、と言って、驚いたように目を見開いてわたくしの顔をまじまじと覗き込む。
「……ねえや、さてはあなた何か知ってるわね? まさかレックに相談されたりしたの!?」
「いえいえ、そのような恐れ多いことは全く御座いませんよ。ただ、わたくしも、伊達に長くメイド長をやっているわけでは御座いませんからね。レック王子様が幼い頃、お世話もよくさせていただきましたから」
そう言って、わたくしはカップを置き、再びクッキーを一枚、口に放り込んだ。
レック王子様が、シーツをご自身で替えたいと仰る時は、いつも、旅のお仲間で、お友達だというハッサン様がお部屋に遊びに来られた後。それに、ハッサン様に会いに出かけられる前は、必ずお風呂に入って、念入りに身支度をされているご様子。
その上、すべてのご縁談をきっぱりとお断りされているとなれば、おそらくレック王子様は、ハッサン様と。
「大丈夫ですわ、シェーラ様。レック王子様は、お一人で旅に出て、大魔王を倒して世界を救われたほどの方ですのよ。しかるべき時が来れば、ご自身で考えて、きっとお幸せになられますわ」
レック王子様はお優しい方だから、きっと、国のことや、周りの人々のことや、色々なことを考えて、悩むこともおありかもしれない。
でも、昔とは見違えるほどご立派になられたレック様なら、ご自身の手で幸せを掴み取られるはず。きっとハッサン様と、それがどのような形になるかは、わたくしには見当もつかないけれど。
「そんなことよりもシェーラ様、この焼き菓子のお礼をきちんとされた方がよろしいと思いますわ。レック王子様がまたハッサン様と会われる時に、ご先方に何かお渡しになられては」
もしかしたら、レック様の未来の伴侶になるかもしれない方のご母堂に、礼を尽くしておいて損はないはず。
「そんなことじゃないわよ、私は真剣に悩んでるのよ!」
「いいえ、小さな事を疎かにする人間には大事は成せませんわ、シェーラ様。全てのことは繋がっているのです。いっそのこと料理長に作らせましょうかね。いえ、シェーラ様が手づからお作りになられてもいいかも…」
「そ、そこまで頑張らなくてもいいのではないかしら!? どうしたのねえや、随分と真剣な顔つきね」
そう言って怪訝な顔で首を傾げられるシェーラ様に、私は微笑む。
そりゃあそうですわ、ここの対応を間違えたら、ひょっとすると未来のレイドックの国の運命を左右するかもしれないんですもの。
それに何より、レック王子様の幸せを何より願う立場としては、できる限りのことをして差し上げたいもの。
「いいえ、わたくしは、レイドックの国のメイド長として、この件だけは絶対に手を抜くわけには参りませんわ。シェーラ様もそのおつもりでいらして下さいまし」
「そこまで重大な事なの!? 一体どういうことなのかしら……まあいいわ、ねえやがそこまで言うならきっと大事な事なのでしょう」
わかりました、何か考えておきます。そう言ってわたくしの顔を見て、ため息をつきながら、やけくそのようにクッキーをいくつも頬張るシェーラ様に、わたくしは思わず笑ったのだった。