おにいちゃん、ふたり 花がさいている、くさのしげみの中に、いい大きさの石がありました。
ハッサンはそれをとりだすと、じめんにおいて、足でえいっとけりました。
石は、かべの、ちょうどねらったところに当たって、こつんといっておちたので、ハッサンはガッツポーズをしました。
すると、「こらっ」というこえがきこえました。
見ると、こわいかおをした兵士がこちらにやってきます。
「なにをしている、ここはおしろの中だぞ」
そう言ってちかづいてくるへいしから、ハッサンは走ってにげましたが、すぐにおいつかれてしまいました。
「あぶないだろう、石をけりたいならよそでやれ。どこの子だ? かってにおしろに入っちゃいかん」
ハッサンは、はらをたてて言いました。
「とうちゃんのしごとで、いっしょにきたんだよ」
「とうちゃん? なんのしごとだ」
「だいく」
「だいく? ……ああ、サンマリーノの」
兵士はハッサンのことばをきいてうなずきました。
「それならしかたないが、あぶないことをするな」
今このおしろは、みんないそがしくてたいへんなんだから、という兵士のことばに、ハッサンもしぶしぶうなずきました。
「はい、ごめんなさい」
「わかればよろしい」
それだけ言うと、兵士はいそがしそうにどこかへ行ってしまいました。
ハッサンのいえは、サンマリーノというところにあります。
おとうさんはだいくさんです。
よく、レイドックのおしろから、しごとをたのまれています。
レイドックのおしろのしごとは、いえでできるものもあれば、おしろにいかないといけないものもあります。
ハッサンは、いちどおしろにいってみたくて、おしろでのしごとがあるときにじぶんもつれていってほしいと、おとうさんになんどもたのみましたが、いつも「まだだめだ」といわれていました。
「もうすこし大きくなったらつれていってやる」
そういわれつづけて、ハッサンはその日がくるのをたのしみにしていました。
でも、まてどくらせど、ぜんぜんつれていってくれないので、ハッサンはいつしかそういわなくなりました。
だいくのしごとも、小さいころはよくてつだっていました。
でも、大きくなるにつれて、じょうずにできないとおこられるようになってきて、だんだんいやになり、友だちとあそぶほうがたのしいや、とおもうようになっていました。
そんなある日、おとうさんが、
「ハッサン、あしたはレイドックのおしろにいくぞ。うれしいだろ? もっと小さいころ、ずっと行きてえって言ってたもんな」
と言いました。
おとうさんはなんだかいつになくうれしそうです。
ハッサンはこまりました。あしたは、もう友だちとあそぶやくそくをしていました。
それに、レイドックのおしろのしごとをするときは、おとうさんはいつもきまってふきげんになるのです。ハッサンには「これはだいじなものなんだ、さわるな」ときびしく言ってきます。それでも気になって、いちどさわってみたことがありましたが、げんこつとおおめだまをくらって、ハッサンは大泣きしました。
だから、レイドックのおしろ、ということばをきくだけで、ハッサンはいやなきもちになりました。
「いやだ、行きたくねえよ」
きっとおしろにいったって、おもしろいことなんてなにもないにきまってる。
ハッサンがそう言うと、おとうさんはおこりました。
「ばかやろう、せっかくつれていってやろうってのに」
「あしたは友だちと遊ぶんだよ」
「そんなのいつだって遊べるだろう。あしたはな、レイドックのおしろの、ベビーベッドやうばぐるまをしゅうりするんだ。いっしょうにいちど、見られるかどうかわからないくらいのもんだぞ。いっぺん見といたほうがいい」
そう言われて、ハッサンはくびをかしげました。
「ベビーベッドとうばぐるまってなに?」
「赤んぼうがねかされたり、はこばれたりするもんだ」
「なんでしゅうりするの」
「おしろで赤んぼうがうまれるんだよ。王子さまのおとうとか、いもうとだ。王子さまがつかってたのを、しゅうりしてまたつかうんだ」
おとうとか、いもうと。
ハッサンは、いいなあ、とおもわずつぶやきました。
きょうだいのいる友だちが、たのしそうにきょうだいと遊んだり、けんかしたりしているのが、一人っ子のハッサンにはいつもうらやましかったのです。
「とうちゃん、おれもほしい、おとうとかいもうと。にいちゃんかねえちゃんでもいい」
「……考えとくぜ。とにかく、あしたはおしろに行くからな」
わかったな、とおこったようにおとうさんは言いました。
つぎの日、ハッサンとおとうさんは、長いじかん、ふねにのり、それからあるいて、やっとレイドックのおしろにつきました。
おしろについてみると、いろんな人がおおあわてで走りまわっていました。
ぎょくざのまにいくと、王さまもあわてていました。
「おお、そなたか! わざわざ遠いところからごくろうであった。じつはシェーラがもうさんけづいてしまってな、いそいでしゅうりをたのむぞ」
「そうですか、わかりました。ではさっそくしゅうりにとりかかります」
そう言うと、王さまはぎょくざから立ちあがり、そわそわしながらどこかへ行ってしまいました。
ハッサンとおとうさんは、やっぱりあわてたようすの兵士にあんないされ、ぎょくざのまを出ました。
おとうさんと兵士がずいぶんはやく歩くので、ハッサンはひっしでおいつこうと走りました。
でも、みなれないおしろのたてものがおもしろくて、いろんなところに目をうばわれているうちに、おとうさんと兵士はどこかへ行ってしまいました。
うろうろしているうちに、ハッサンは、庭のようなばしょにつきました。
いろんな色の花がたくさん咲いて、ネコがのんきにねています。
おとうさんはきっと今ごろ、おしろのどこかで、ベビーベッドとうばぐるまのしゅうりをしているはずです。
どうせ、おとうさんをさがして見にいっても、おこられそうだな、とハッサンはおもいました。
赤んぼうがつかうベッドやうばぐるまなら、きっとだいじなものにきまっているし。
しかたないからひとりで遊ぼうとおもって、石をけってみたら、こわい兵士におこられてしまいました。
「ちぇっ」
ハッサンはしたうちをして、とぼとぼとあるきはじめました。
そして、おそるおそる、おしろの中へ入るとびらをあけると、そこは台所でした。
「お湯がいるんだ、はやくわかせ!」
「今やってますよ! うたげのじゅんびもしなくちゃ、ああ、いそがしいいそがしい!」
中では大人たちがいっそうあわてたようすでさけんで、走りまわっているので、ハッサンはそこには入らず、とびらをしめました。
気をとりなおして、少しはなれたところにあるとびらをあけると、そこはしんとして、ひとけがありませんでした。
じめんに、地下へつづくかいだんがありました。
(おしろに、地下しつがあるのか)
ハッサンは気になって、かいだんをゆっくりと下りていきました。
すると、えーん、えーん、と、地下のほうから泣き声がきこえてきました。
ハッサンはびっくりして足をとめました。
(おばけかもしれない)
とこわくなって、かえろうかとおもいました。
でも、もしかしたら、こまっている人がいるのかもしれない、とおもいなおして、おそるおそる、かいだんをおりていきました。
かいだんをおりたハッサンが見たものは、たからばこがいくつも並んでいるへや、の前で、うずくまって泣いている女の子のすがたでした。
「おい、どうした、だいじょうぶか?」
そろりそろりと近づき、話しかけると、その子はゆっくりと顔をあげました。
あっ、とハッサンはおもわず声をあげました。
とてもかわいい女の子でした。
茶色くてまんまるい、大きな目。青いかみ。かみにゆわえた水色のリボンと、同じ色のドレスがよく似合っています。まるでおにんぎょうみたいだ、とハッサンはおもいました。
「あっ、あの、………だ、だいじょうぶ、か?」
ハッサンはきんちょうして、またおなじことを言ってしまいました。
おとうさんのしごとのてつだいで、あまり友だちと遊べないハッサンが、それでもたまに遊ぶ相手は男の子ばかりで、女の子とはほとんど遊んだことがありません。だから、女の子と何を話せばいいのかわからなくて、きんちょうしたのです。特に、サンマリーノでは見たことがないくらい、こんなにかわいい女の子相手には。
女の子は、おどろいたようにハッサンの顔をじっと見つめました。
見つめられて、ハッサンはよけいにきんちょうしました。
「………ころんだの」
どのくらいたった後か、女の子は小さな声でそうつぶやきました。
「へっ…? ころんだ?」
ハッサンがそうききかえすと、女の子はうなずいて、ひざを立てました。
女の子のひざこぞうにはたしかに血がにじんでいます。
ハッサンは、ズボンのポケットに手を入れました。たしか、おしろにいくまえに、おかあさんに、もっていきなさい、といってむりやりもたされたものが入っているはず。
「あった!」
ハッサンは、ポケットからきれいなハンカチを取り出すと、きずの上から、女の子のひざにハンカチを巻いてやりました。
外で遊んでよくけがをするハッサンは、きずの手当にかんしてはくわしいのです。
「よし、これでバッチリだぜ!」
ハッサンがそう言って笑うと、女の子は、しばらくハッサンの顔を見た後、にっこりと笑いました。
「ありがとう、おにいちゃん」
おにいちゃん、と言われて、ハッサンはうれしくて、とびあがりそうになりました。
かわいいいもうとができたような気がしたのです。
「えっ、え、えへへ…ど、どういたしまして…」
「…おにいちゃん、どうしてここにいるの?」
そう言ってくびをかしげる女の子のその言葉に、ハッサンははっとしました。
そういえば、何しにきたんだっけ?
「オレ、とうちゃんのしごとで、おしろについてきたんだけど、はぐれちまったんだ」
「そうなの? だいじょうぶ?」
「大人の人にきけばわかるから、だいじょうぶかな。お前はなんでここにいるんだ?」
たからばこが見たかったのか? と、ハッサンが、へやのおくにあるたからばこを見ながら言うと、女の子は首をふりました。
「……ぼく、おかあさんにあいたいの」
女の子なのに、ぼく、と言ったので、ハッサンは、めずらしい子だな、と思いました。
「おかあさんに会おうとしても、みんなだめだって言うから、いやになって、ここにきたんだ。でも、だれもきてくれない。……ぼくのこと、だれも見てないんだ。ぼくなんて、いてもいなくてもおなじなんだ。おかあさんだって、ぼくのことなんか、もう……」
いつのまにか、女の子の目には涙がいっぱいたまっています。
「そんなわけねえよ!」
ハッサンはそれを見て、あわててさけびました。
「かあちゃんがそんなこと思うわけねえよ、大丈夫だよ!」
「でも」
「お前んちのかあちゃん、やさしくないのか?」
「やさしい…」
「じゃあ、だいじょうぶだよ。うちのかあちゃんだって、おこるときはこわいけど、やさしいんだから」
ハッサンは、いつもおかあさんにしてもらうみたいに、女の子をぎゅっと抱きしめて、ぽんぽんとせなかをたたいてやりました。
すると女の子は、せきをきったように泣き始め、しばらくえんえんと泣き続けましたが、やがて、泣き止みました。
しばらくそうしていると、どこからか、「王女さまだ!」「王女さまがおうまれになったぞ!」という声が、きこえてきました。
その声をきいて、女の子がぱっと顔を上げました。
「おうじょさま……」
女の子はそう言うと、ハッサンのうでをふりほどいて立ち上がり、ハッサンはそのいきおいでしりもちをつきました。
「うおっ!?」
「あっ、ごめんね、おにいちゃん」
「や、べつに、だいじょうぶ…」
「……ぼく、行かなきゃ」
そうつぶやくと、女の子は、スカートのすそを両手でつかみ、かいだんのほうへいきおいよく走りだしました。
「おい、気をつけろよ! ころぶなよ!」
ハッサンがそう声をかけると、女の子はふりかえって、きらきらとかがやくようなえがおをうかべました。
「うん、わかった! おにいちゃん、ありがとう!」
そう言うと、女の子はもうふり返らず、いちもくさんにかいだんを上って、あっというまにすがたをけしてしまったのでした。
**********
「……とまあ、そんなことがあってだな」
ハッサンがなんだか誇らしげに、鼻の下を擦りながらそう言うのを聞いて、ボクは「へえ…」と言うことしかできなかった。
ハッサンとは、ボクが一人で旅に出ようとしていた時にたまたま中庭で出会った。ムドーを倒してレイドックを救うという目的が一致し、一緒に旅をしている。
今は、野宿のために焚き火をおこして、少し休憩していたところだった。
何のきっかけだったか、家族の話になって、
「実はオレさ、お前の妹…王女さまが産まれた時に、レイドック城にいたんだぜ」
と言うハッサンに、驚いてその顛末を聞いてみたら、そんな話をされたのだった。
レイドック王家には、5歳になるまで、悪しきものから守るため、男子に女子の格好をさせて育てるという風習がある。
ボクもその風習に則って、5歳の誕生日までは、女子のドレスを着せられていた。
だから、ハッサンが会ったという女の子は、本当は。
「それでさ、あの時……あの子にありがとうって言われたのが妙に嬉しくってよ。大工仕事より、人を助ける仕事がしてえなって思ったんだ。体動かすのも好きだったから、いっそ武闘家になって、悪い魔王を倒して感謝されたりしたら、最高かなって…」
あの日。
セーラが生まれた日。
誰だかわからないけれど、おにいちゃんに優しくしてもらって。
それでボクも、おにいちゃんとして、妹に優しくしなきゃって思ったんだ。
おにいちゃんっていうのはそういうものなんだって、そう、思ったから。
そうか、あの時、そばにいてくれたおにいちゃんは、ハッサンだったんだ。それで、またボクのことを助けてくれたんだ。
胸の奥の方から、じわじわとうれしさが全身に広がってくる。
これはもしかしたら運命かも、と思って、ボクは口を開いた。
「あ、…あのさ、ハッサン。あの女の子のことなんだけど…」
あれ、ボクなんだ、と言う前に、ハッサンがずい、とこちらに身を乗り出し、話しかけてきた。
「おいレック、もしかしてあの子のこと知ってんのか!? たぶんお前と同じくらいの歳だよな? ドレス着てたし、きっといいとこのお嬢さんだったんだろうなって思うんだけどよ」
そう前のめりに質問してくるハッサンに、なぜか、なんとなく、面白くない気持ちになってくる。
いや、まあ、どうせ正体はボクなんだけど、……いくら自分のこととはいえ、昔会ったかわいい女の子のことを根掘り葉掘り聞かれるというのも、あんまり嬉しくないような気がする、というか、もやもやする、というか。
うれしかった気持ちが一気にしゅんとしぼんで、ボクは思わずため息をついてしまった。
「…………ごめん、実はその、知らないんだ…」
「……って知らねえのかよ!? …まあ、別に、知らねえならいいんだけどよ。いや、あんだけかわいくてお城にいるような子なら、お前と許嫁とか、そういう関係のお嬢さんか何かなんじゃねえかって思って…」
「え、許嫁? …ボク、そんな相手いないよ」
「そうなのか? ……そうか、なんとなく、王子様ならそういう相手がいるのかなって思ってたんだけどよ、そうか、そりゃよかっ……あ、い、いや、なんでもねえ」
そう言って、ハッサンは気まずそうにふいっと向こうを向いてしまった。
……ボクの許嫁じゃなくて、よかった、ってことは。
昔会った女の子が、ボクの結婚相手じゃないなら、もしかしたらその子と脈があるかもしれないって思ってる…ってこと? いや、どうせボクなんだけど……。
やっぱりなんとなく、面白くないな、と思って、ボクは思わずため息をつく。向こうを向いたままのハッサンの耳たぶが赤いのには、ついぞ気がつかないまま。