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    tsr169

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    もう少し巽マヨっぽい続きが書けたら支部に入れます/多分長いのでぼちぼち区切って投稿します

    月都巽と忍者マヨイの話※特定条件下で男体妊娠出来るという設定を含みます。
    ※キャラが色々出てきてなんかフラグがありそうな雰囲気があったりしてもカプ描写は巽マヨのみです。
    ※心持ち室町~戦国くらいの時代パロですが、色々ご都合主義ファンタジーなので適当に流して下さい。呼び方・表記も諸々捏造有ります。


     風の向きが変わった。雲の流れを見つめていたマヨイは腰かけていた木の枝の上で立ち上がって、遠くに見える城の狼煙の動きがゆらめくのを視認した。
    (雲が来ている……夜半には雨……城で宴があるという今夜がやっぱり狙い目ですねぇ)
     足袋を結んでいた紐を少しきつく締め直して、木の上からひらりと地面に降り立つ。戦乱の絶えないこの世に於いて、己の身軽さはマヨイの武器の一つだった。木の根元に立てかけて置いた棒にくくりつけたかごを背負い商人に扮すると、編み笠を深めに被ってその場を後にする。


    「ただいま戻りました、お頭ぁぁ」
     土間でかごを投げ出して、畳の上で商品の茶葉を丁寧に広げているお頭こと仙石忍にマヨイはひとっとびに飛び込んだ。忍はそれでもマヨイをがっちりと抱きしめると、苦しいでござるよ、と笑いながら自分をいなしてくれる。
    「玲明城の様子はどうでござったか」
    「ふうう……困ったようなその眉の寄せ方も素敵ですね……♪」
    「マヨイ殿は出来る忍者であるのに、たまにちょっとおかしなことを言うでござるな。まあ拙者としては、マヨイ殿が元気よく仕事をしてくれるのであればそれが一番でござるが」
    「勿論、今日もお頭のために元気に頑張ってきましたっ」
     決して払いのけようとはせずマヨイを撫でてくれる忍の手に、仕事の疲れが吹き飛ぶ心地だ。
    「城の中ではどうやら今宵宴があるようですねぇ、聞き取りしていたらどうやら姫がそろそろ年頃だからとよその城にいくつか見合いの連絡を送っているようです。どこと組むつもりかはまだ分かりかねますが、有力候補は秀越かと。今宵は秀越城の城主がお忍びで参られています」
     マヨイは木の上から眺めて書き綴った城内の見取り図を広げる。玲明城は山城で守りが固いが、その分山側への守備は手薄になっている。裏手から回れば外から城を一望出来た。
    「秀越城でござるか、あそこと組まれると我が夢ノ咲は地理上挟まれるような形になって厄介でござるな」
    「まさにそれが狙いかと思われます。しかし私の知る限り玲明の城主に姫が居たなどと、聞いた事がありません。あそこは息子ばかりであったはず……何かがあったのではないかと」
     城下町で聞き込みをするには随分見目麗しく、品行方正な姫だという。城下町では時折姿を見せる事があるらしく、随分と評判を聞いた。曰く、通りすがりに困っている老婆に手ずからおぶって峠を越えてあげたとか。曰く、惣の中で起きたもめごとを双方の言い分を聞き分けて解決したとか。
     何となく姫らしからぬ豪胆な所業を感じるが、ともかく城下町の評判は上々なうえに、間違いなくその姫とやらは存在しているらしい。
    「どこかの貴族からの養子であるとかでござるか? しかし姫の養子など考えにくい事でござるな」
    「もう一つ、聞いた噂ですが。この姫はかぐや姫とも呼ばれているようで、本当かどうかは分かりませんが、玲明の城主の元に天から舞い降りた天女のような姫なのだとか。ここはさすがに御伽噺のように感じますが」
     報告には気乗りしないような突飛もない話だが、念のためとマヨイは報告した。
    「ははあ、さては竹取翁のかぐや姫、でござるか」
    「ああっよく覚えておられましたね……♪ さすがお頭ですぅ」
     昔から伝わる有名な物語で、いくつか本にもなっている。昔から本を読むのが好きだったマヨイが以前彼に語って聞かせた物語の中にそれがあった。
    「ともあれ、それについては真偽のほどを確かめる必要があります。城の中の武器の確認を含め、私が今晩一度城へ潜入してきます」
    「一人で大丈夫でござるか?」
     不安の色が浮かぶ忍の瞳の揺らめきにマヨイは大層興奮しかけたが、下卑た興奮を押し込めてこくりと頷く。
    「お頭は我が主、衣更殿へご報告をお願いします。現状では戦の準備を行っているような気配もないですし、私一人で問題ありませんよ。お頭が出るまでもない、という事です」
    「ううん、マヨイ殿がそう判断したのであれば拙者は報告のために先に夢ノ咲の領地へ戻った方が良いでござるな、相分かった。任せるでござる」
    「ああっもう少し不安そうなお顔を堪能したかったですが……いえ。よろしくお願いしますね、お頭」
     

     玲明の城下町に二人で商人に扮して一週間。度々城の様子を調べてきたマヨイには気になった事がある。忍と二人で行くと、彼が危険な目に合う可能性があるという事だった。決して彼の身体能力が劣るなどという事はない。銃の備え以外に、何か新しい武器を手に入れたという噂を手にしたからだ。こと身軽さや気配をなくすことに関しては自分が誰より長けているという自負もある。
     そして何より。
    (詳細を報告するのは調べてからで問題ないでしょう。しかし何かという事が分からない以上、お頭を危険な目に合わせるわけにはいきませんからね)
     彼はマヨイにとっては光であり、生き甲斐とも言えるべき大事な人だ。夢ノ咲の城主に仕えている身ながら、マヨイの心は忍にのみ忠誠を誓っていると言っても過言ではない。


     戦争孤児として焼けた村で途方にくれていた幼いマヨイを『放下』という大道芸を行う旅の一座がその村から連れ出してくれたのがおよそ10年前。忍はその一座に連なる最年少の子供たちの内の一人だった。
     連れ出されてから判明したが、城下に留まって芸を見せる一座というのは仮の姿で、その実体はその時々に城主や大名に雇われて働くしのびの集団である。戦火から逃れられたと思えば戦場を渡り歩く日々になり、マヨイは心休まる隙もなく、自身も手に刀を取って戦う羽目になった。
     忍は人見知りで臆病なマヨイに対して年下ながら懸命に一座の技などを教えてくれた人で、日々を過ごすうちにマヨイにとってはいつしか特別な人になっていった。一座は国をいくつか転々としたが今の夢ノ咲に定着したのが半年前で、それからは夢ノ咲城お抱えの忍として仕事を始めて今に至っている。座長も代替わりし、今は忍がこの一座の座長であった。年齢としては集団の中でも相当に若い彼だが、技量は確かなものでこれまで与えられた任務は必ずこなしているし、人にも好かれやすい。
     忍を見込んで破格の賃金で雇う事を決めたのは今の夢ノ咲城で侍大将を務める衣更という柔和な様相をしている武人であった。ここ数年は戦もなく平和な場所だったが、近年やにわにキナ臭くなってきたのだという。そこで付近の城に潜入して情報を探ってきてほしいというのが彼から与えられた任務だった。


     マヨイの読みどおり、日が暮れると雨が降り始めた。こういう日は雨音のおかげで侵入がたやすい。それも今宵は宴会があるという。多少の音も楽器や声で紛れるだろう。
     城をぐるりと取り囲む深い堀にかかる石橋には警備のために衛兵がついているが、かがり火の傍にいるので暗闇に紛れて滑るように移動したマヨイに彼らは気が付かなかった。鉤縄(かぎなわ)の鉤の部分を屋根に向かって放り投げると、屋根にしっかりと刃先が食い込んだ。二度三度、鉤から伸びた縄を引っ張って鉤が落ちてこない事を確認してから、マヨイは石垣に足をかけてするすると登っていく。雨なので足場には気を使ったが、これもなんら問題なく登り終えて屋根の上に登った。
     本丸の方で宴会が行われているだろうから、武器の保管蔵とめぼしをつけている二の丸の方には人が多くないはずだ。頭の中に城の地図も叩き込んである。マヨイは庭の木々を縫うように移動すると屋敷の柱の傍に立ち、そのまま猿のように柱を素早く登り天井板を一つ外して中に飛び込んだ。多少の音がしたが、庭に待機していた衛兵はのんきに話し込んでいてマヨイが忍び込んだ事には気が付く様子もない。
    (平和そのものですね、本当にキナ臭いと言われていたようなはかりごとが進められているような気配は感じませんが……)
     手早く濡れた服を脱ぎ、胸元に入れて置いた新しい服を取り出す。濡れてしまった衣服は重みが増すので、とっとと着替えてしまいたかった。手ぬぐいであらかたの水分を拭い、服を着替えると目印として色のついた米を並べて置いておく。万一自分に何かがあって仲間が捜しに来た時に、ここに確かにいたのだというしるしだ。色の違いで暗号にもなる。取り決めを知っている者だけが理解出来るマヨイの名前を示す米の文字だった。
     後は仕事を遂行するのみだ。太い天井の梁の上に立ち、武器が収められている蔵とめぼしをつけていた場所へ最短距離で進む。天井裏は見張りがいないのでどうにでも動ける。幸い夜目が利くマヨイは天井板の隙間から洩れる僅かなあかりだけで天井裏の様子が見えていた。蔵の近くまでたどり着くと、下の部屋に人の気配がない事を確認してから板を外して静かに部屋に降り立つ。蔵はもう目の前だった。ここは普段は衛兵の詰め所なのだろう。雑多に散らかった武具は変装におあつらえ向きだった。その場の機転で無造作に置かれていた武具を身に着けると、マヨイは外に出た。万が一誰かに声をかけられるかもしれないという緊張はあったが、蔵に着くまでにすれ違った衛兵はねぎらいの挨拶をかけてくるのみで何ら不審がられる事もない。
     漆喰塗りの蔵は雨夜の中でもうっすらと白く浮かんでいて趣がある。周りに目を配ってそろりと蔵の木戸を止めている木の棒を抜き取って中に忍び込む。果たしてそこは、目論見どおり武器がしまい込まれていた。綺麗に木の棚に並べられた火縄銃にマヨイは眉を顰める。それなりに数がある。自分の想定よりも上だ。銃だけではない、多くの刀や槍の奥に黒々とした鉄の塊が鎮座している。
    (おやまあ、大砲まで揃っているなんて。衣更殿の言っていたキナ臭いというのもあながちデマではなさそうですね)
     マヨイは手早くおおまかな武器の数を数えて布に炭で数を書き綴ると布を手甲に忍ばせて外に出た。
    「どうした、お前こんな時間に」
     外に出たところで通りすがった年かさの衛兵に声をかけられて、マヨイは肝を冷やす。
    「ああいえ、実は訓練の時にしまい忘れた武器がありまして……」
     口から出まかせだが、昼間にここの城で兵の訓練が行われていたことは勿論知っている。
    「なんだ、こんな夜にこっそり返しに来たのかよ」
    「ええ、そうなんです、すみません」
     彼からは酒の匂いがする。城内で酒が振舞われているのだろうか。衛兵はそれ以上はマヨイを不審がる事なく通り過ぎて行った。来た道を足早に戻って、とっとと天井裏に帰ろう。詰め所に戻ると人がいない間に急いで服を脱ぐ。ところが、忍び装束に戻ったところで間の悪い事に誰かが歩いてくる音がした。天井裏に登る時間がない。咄嗟に詰め所の土間と床の隙間に潜り込んだ。
     足音は二人分だ。ひそひそとした話し声が響いてくる。
    「それで、結局分からないままなんですね」
     少し低めの声……男だろうとマヨイは検討を付けた。何か収穫があるかもしれない。マヨイは息をつめた。
    「そうですな、俺にもう少しそういう知識があれば良かったんですが……ああ、今更ですがそっちの勉強を怠っていた自分が情けないです」
    「こればかりはきみが悔やんでも仕方がないでしょう。誰か別に詳しいような人がいればいいですけど……でもこの地にそれを分かる者がいるとはぼくは思えません。きみの言うてくのろじい、とやらがこの地では普及していませんし」
    「そんなテクノロジーとか大それた話ではないんですが……。まあそちらの方は追々また考えるとして」
     漠然としていて主語がないが、何やら起きた問題に対して男が二人で悩んでいるような話である。聞いたことのない単語にマヨイの体は緊張した。もしかすると、新しい武器とやらの話題かもしれなかった。
    「とりあえずあなたは今宵の宴を乗り切って下さい。あちらの城主の思惑をしっかり探ればあとは上手く躱す事です。必要であれば俺が護衛につきますが」
    「ああ、そんな必要はないですよ。今日はあくまで挨拶です。こちらの事情を主は理解していますからね。ぼくに直接何かをさせるつもりもないでしょう」
    「姫様。こちらにいらっしゃいましたか。ご準備を」
     別の女性の声がしたかと思うと、あわただしく人が立ち去って、途端に静かになった。その女性が侍女だろうというのは分かったが、姫様と言ったか。どう聞いても男の声がしていたがどういう事なのだろう。一人が言っていた『こちらの事情』というのがまさか噂の姫が男であったりする……なんてそんなとんでもない事があったりするのだろうか。
     思考に沈みかけたが、マヨイは今のうちにと慌てて床の下から明るい場所に出た。それが油断だった。
    「見つけましたよ、大きなねずみさん」
     人の気配は確かになかった、はずだった。マヨイは降ってきた声の方角とは咄嗟に別の方へ飛び退る。手甲から苦無を抜き出して、目の前で構えた。土間から一段上にあがった廊下に上背のある男が静かに立っている。春に芽吹く新芽のような鮮やかな髪の色をした男だった。萌黄の落ち着いた色合いの素襖を着ている彼は、見た目に武器らしい武器も持っていない。分はこちらにあるはずだった。
    「武器をおろしてください。ここで騒ぐとあなたに危険が及びます」
     まるで敵に向かって味方のような言い回しをするが、何か油断させるつもりかもしれない。マヨイは返事をせずに武器を構えたまま、じり、と後ろに下がった。雨の中だ。庭に飛び込んでしまえばどうにか逃げおおせるはずだ。
    「話を聞いていただけないようですね。手荒な真似はしたくなかったのですが、仕方ありませんな」
     ため息をついた彼が袖の下から抜き出したものは小さな鉄の塊だ。火縄銃の筒の部分を随分と短くしたようなそれは男の手の中に納まっていた。何か暗器か飛び道具の可能性がある。それ如きで怯んでも仕方がないので、飛び掛かる為の間合いを詰めるためにマヨイは数歩前に進んだ。
    「さて、しばらく眠ってもらいましょうか」
     男が手の中の鉄の塊を動かす。カチリと乾いた音が響いたかと思うと、腕にちくりとした痛みが走った。
    「っ……」
     数を数える暇もないまま、目の前が急に暗くなる。何が起きたのかマヨイには分からなかった。まずい、倒れる、とよろけた体は受け身を取る前に誰かに受け止められた。


     目を開けると、まず始めに木目の天井が目に入った。マヨイは何度か瞬きをして周りの明るさに目を慣らそうと試みる。何が起きたのか分からなかったが、とりあえず石畳や土の上にいないので自分は今部屋の中にいるのだろう。雨の音が静かに続いているので、気を失ってからはさほどの時間は経っていないはずだった。
    「目が覚めましたか、マヨイさん」
    「……!」
     起き上がりかけて、均衡を崩してマヨイは再び倒れこんだ。柔らかい感触がある。これは綿の布団の上だ。普通に布団に寝かされていたというのだろうか。ただし後ろ手できっちりと布で縛られている感覚があった。
    「申し訳ありませんが、あなたの事はいったん束縛させていただいていますよ」
     静かな物言いで剣呑な言葉をかけてくる男がすぐ傍で座ってこちらを見下ろしている。背筋を伸ばして正座している彼は普段からそのような居住まいをしているのだろうか。部屋のあかりで先ほど対峙していた男だということはすぐに分かった。先ほど着ていた素襖ではなく、肌着同然の白い小袖姿でマヨイの傍に座っている。
    「……私は何も吐きません」
    「ああいえ、目的はうちの武器の数である事は既に存じていますよ」
     手甲にしまいこんだはずの布を広げて見せられて、マヨイは唇を噛みしめた。
    「ちなみにあなたの名前はこのお守りに書いてあったので……マヨイさんとおっしゃるのでしょう」
     見せられた布巾着に、マヨイはさっと青ざめる。それは忍が昔作ってくれたお守りだった。後生大事にずっと持ち歩いている宝物だ。
    「か、返して下さい!」
     咄嗟に出た言葉は懇願だった。もう一度起き上がろうと体をねじるが、男に布団に押し戻されてしまう。
    「起きたばかりの時に暴れてはいけません。まだ体の神経に痺れがある可能性はありますから」
     そこでようやく自分もいつのまにか白い小袖に着替えさせられている事に気が付いた。持ち物は服に至るまで彼に取り上げられてしまったらしい。
    「ど、毒ですか?」
    「まあ毒といえば毒かもしれませんが、体に残るようなものではありません。一時的に眠らせたというだけです」
     眠りの煙などあの場で嗅いだ記憶もない。やはり新しい武器なのかもしれない。
    「私を捕らえてどうするおつもりですか」
     相手の真意が分からない。捕らえられたにしてはなぜか丁重な扱いを受けている気もする。
    「俺はあなたに協力して欲しいのです。俺は巽と言います。八卦で示す方角のあの辰と巳の『巽』です、覚えて下さいね。この城の姫の付き人のような事をしています」
     この言い分だと先ほど話し込んでいた男らしい声が姫という事になってしまうが、本当だろうか。まだ信頼するには相手の情報がなさすぎる。巽は名乗るとマヨイを覗き込んでにこりと微笑んだ。付き人というからには護衛のために刀を振るう事もあるのだろうが、どうにもそういった事には無縁のようなのんびりとした雰囲気を感じる。
    「何故私に協力なんかを……」
    「今は情勢が不安定でしてな。今度うちの姫と婚姻にかこつけて同盟を結びたいと言ってきている秀越城の動きがどうにも怪しいのです。相手を知りもしないのに悪く言うものではないのですが」
    「やはり同盟を結ぶつもりですね」
    「しかしここの同盟が成るとあなたがたは困る、そうでしょう」
    「ええ……というか、巽、さん……って呼びますけど、そんな同盟とか敵に漏らしちゃだめですよ」
     相手が一応敵であるという事を忘れてあまりにもするすると話を進める巽に、むしろマヨイが慌ててしまう。
    「もう敵じゃないでしょう、俺とあなたはこれから協力関係になるのですから」
     諾と言ったつもりはないのだが、という言葉をマヨイは飲み込んだ。相手があまりにも真っすぐな目でこちらを見ていた。自分を信じて疑わない眼だ。どうしてだかこの瞳を曇らせるような言葉は口に出せなかった。
    「俺の見立てでは、秀越は夢ノ咲に戦を仕掛けて勝利した後、我が城に牙を剥くつもりだと思っています」
    「さらりととんでもない事を言わないで下さい。うちの城が落ちるとでも……」
    「もし我々と秀越が手を結んだら、ありえなくはないでしょうな」
    「ううっ……」
     冷静に指摘されて、マヨイは項垂れる。背面から守りの固い玲明に攻められるのは確かに恐ろしい。秀越城の状況は分からないが、こちらの城にも相当の武器量がある事は先ほど確認したばかりだ。夢ノ咲が傷一つなく戦を終えるという事は不可能だろう。
    「この見立てが正しいかどうかを秀越へ調べに行きたいのですが、主にこのことを知らせるほどまだ確信が持てないのです。我が主は今回の婚姻の同盟に随分乗り気でしてな、迂闊に相手を貶めるような事は今は言えないのです。ですから城のしのびを出すことが出来ず困っていました。そこに姫への見合い話が来てしまったのでいよいよ刻限が迫っている状況です」
    「一体私にどうしろと言うんですか」
    「俺を夢ノ咲の人間として城に連れ帰ってもらえませんか。そこから何らかの理由を作り上げて秀越に潜入するのです。そうすれば何かあっても我が主には落ち度が生まれません」
     つまりは味方を欺けと言っているのだ。
    「そ、それは……一体どうすれば……」
    「そうですな。では城下町でお互いに一目惚れして夫婦の契りを交わしたということでいかがでしょう」
    「めおと?!」
     巽が意識の遠のくような突飛な事を言う。いやこれは先ほどの眠らされたという薬がまだ体に残っている影響に違いなかった。
    「はああ……なんかとんでもない幻聴が聞こえましたが、とりあえず道で行き倒れていた所を拾ったとか言い訳つけて誤魔化しますから……これをほどいて持ち物を全て返して下さい」
     後ろ手で拘束されている手を見せるために、背中を見せて巽に訴えかける。
    「行き倒れですか、少々浪漫がないですが……協力はいただけるということですね、助かります。マヨイさん」
     うきうきとした様子で巽が拘束していた布をほどいてくれた。ようやく自由になったマヨイは起き上がってまずは羽織らされていた小袖を脱ごうとして、はたと気づいた。本当に小袖を羽織っただけで下に何も着ていない。
    「マヨイさんの衣服のありとあらゆる所に武器が仕込まれていましたからな。申し訳ないですが、念のために褌も預かりました」
     捕まったのは自分だから文句は言えないが、大事なお頭にすら見せた事のない自分の全てをこの行きずりで遭遇した怪しげな男に見られてしまった事はマヨイの心にそれなりの傷をつけた。
    「ああ……何たる失態を……」
    「あなたの失態ではなく俺の行き過ぎた判断ですよ、悪い事をしてしまいました」
     脱ぎかけた小袖の前を閉じて座り込むマヨイを、巽は何故かよしよしと頭を撫でてくる。
    「な、何をするんですかぁ……」
     大きな手だ。忍に撫でてもらう時よりも指の長さを感じる。つい先程まではやるかやられるかの攻防を繰り広げていた相手だというのに、どうしてだか彼はマヨイの懐に無防備に飛び込んでこようとする。
     いや、敵は敵ですよ、マヨイ。心の中の自分を叱咤して、マヨイは巽の手を振り払った。
    「と、とりあえず返していただけませ」
     側に積まれている衣服に手を伸ばした刹那だ。
    「マヨイさん、すみません」
     緊張した声の巽に抱きかかえられてマヨイは喉の奥でヒィ、という悲鳴を鳴らした。押し倒されて小袖がはだける。直す間もなく腿の間に巽の膝が割り込んで、固定されてしまう。勢い、守るもののない股間を膝で擦り上げられて、体に衝撃が走った。
    「っ……!」
     何を、と非難する声は慌ただしく開けられた引き戸の音でかき消された。
    「風早殿、ここにおられましたか」
    「はい、俺はここにいますよ、組頭殿。しかし了承もなく扉を開けるのは感心しませんな。女が怯えます」
    「も、申し訳ありません。まさかその、あなたに情人がいたなどとは露知らず」
     情人というのはまさか自分の事なのか。だが布団の上で大人二人で抱き合っているのを見れば、誰だってまぐわっているようにしか見えないのだろう。こんな距離で見知らぬ男と抱き合う事など経験はない。巽の衣からは焚きしめられた落ち着いた香の香りがしていて、体全体を包まれているような心地だった。
     緊張と混乱で心臓がおかしくなりそうなくらいばくばくと音を立てている。今のこの一瞬がまるで永遠のようだ。冷える指先の感覚を取り戻したくて、マヨイは手近な布を握りしめた。
    「火急の用であれば伺いますが」
     巽の腕に抱き込まれて外で話しかけている人間がどういう相手なのか一切分からないが、組頭と呼ばれた事とがちゃがちゃと腰に巻かれた草摺(くさずり)の鎧の音がするのを聞くに、庭の衛兵たちの長だろうか。
    「先ほど兵の詰め所の一角の天井の板が外れておりまして、何やら賊でも侵入したのではないかと兵たちが騒いでおりまする。しかし侵入者のようなものは今のところおりません」
     マヨイが天井裏から帰るためにと開けていた板の事だろう。戻す間もなく拘束されてしまったせいできっとそれを見つけた者がいたのだ。隠しきれない、と背中を冷たい汗が伝う。
    「それでしたら昼間に天井に迷いこんだ猫を助けるために俺が外したものです、申し訳ないです。直そうと思ってそのままになっていたんでしょうな」
    「ああ、なんだ、そうであれば問題ありませんな。いやあ、せっかくの酒がまずくなるところでした。兵はこちらで収めておきます、では失礼」 
     ほどなく引き戸が締められて慌ただしく遠ざかっていく足音を聞きながらマヨイは詰めていた息を吐き出す。敵である自分を庇ったのは何よりの巽の意思の証左だった。
    「マヨイさん、マヨイさん」
    「はい……?」
     ひそひそとした声のまま巽が話しかけてくるのをぼんやりとした返事で返してしまう。まだ心臓が騒がしいままだった。どうすれば止むのか想像もつかない。自分の体は何か緊張し過ぎておかしくなってしまったのではないかとさえ思う。
    「共衿を掴まれていると、俺がこのまま動けないのですが」
    「ヒィっ」
     指摘されてようやく巽の胸ぐらを思いきり握ったままだったことに気づき、マヨイは慌てて手を離した。
    「女などという扱いを咄嗟にしてしまいすみません、他に良い言い訳を思いつかなくて……あなたの髪が長いのは幸いでした」
     巽は乱れた衿をさっと直して立ち上がると、マヨイに今度こそ衣服を手渡してくれる。
    「夜のうちに城を抜け出します、さあ行きましょう」
    「あのう、事情は分かったんですけど。それなりの要職なのでしょう巽さん。急にいなくなってしまってはそれこそ城内で騒ぎになるのでは」
     うるさいままの心臓を押し込めるように受け取った忍び装束をきりきりと身につける。巽も白い小袖の上から夜に紛れそうな藍色の素襖を手早く羽織る。
    「大丈夫です、しばらくは俺じゃない風早巽が城にいます」
     謎かけのような返事だ。影武者でもいるという事なのだろうか。それ以上はさすがに機密なのだろう。巽はにこにことしたまま、言葉を続けない。
    「問題ないのならいいですけど……城を抜け出すっていうのはどうするんですか」
    「この部屋から少し廊下を行くと脱出のための地下の通路に繋がる部屋があるので案内します」
    「……敵である私にそれを教えるつもりですか?」
     先ほどからこの御仁はあまりにも懐を見せすぎている。教えるふりをして寝首でもかかれるのではとマヨイが警戒してしまうほどに。
    「それ以外の脱出方法が分からないので、致し方ありません。俺はしのびではないですし、あなたのように床下に隠れたり天井裏を移動したりなどという芸当は出来ませんからな」
     暗に天井裏を這っていた事を揶揄されて、マヨイは押し黙った。床下に潜んでいた時はともかく、天井裏を移動していた時に既に察知されていたのだろうか。実際そうでもなければ天井板が外れていた事に対してあのような嘘をすらすらと唱えるはずがなかった。
    「それに、マヨイさんは俺の味方でしょう」
     敵なんですが……という反論をするには相手の屈託のない笑顔が眩しすぎる。
    「さて、行きますよ」
     立ち上がって扉に向かう巽が何の遠慮もなく手を握ってきた。
    「なななっ何で手を握ってるんですか」
    「道をお教えするのにこちらの方が早いでしょう」
     心臓がずっと跳ねる音を聞いている気がしていた。それが何をしてもどうして収まらないのか、マヨイには分からなかった。
    「こ、子供じゃないので……結構ですっ……」
     精一杯の拒絶は蚊の鳴くような声だったせいで巽には届かない。そのまま手を引っ張られて、雨の響く廊下に出る。
    「急ぎますよ、誰かに会うのは俺もあなたもまずいですからね」
     そこから先は気持ちをどうにか切り替えて、マヨイは巽の後に続いて静かに走り出した。 


     隙間から差し込む陽の光に瞼を刺激されて目を開けると、外はすっかり明るくなった気配がする。土間作りの仮宿で木材を並べただけの床に敷かれた麻の布団では疲れが取れない。マヨイが猫のように転がったままぐっと腕を伸ばすと、誰かの体に手が押しあたった。
    「んん……お頭……?」
    「いえ、巽です」
    「っ!!!!」
     甘えるためにその腰に手を絡めかけて、マヨイはようやく覚醒した。飛び起きて土間の隅まで飛び退ると、巽は声を立てて笑った。
    「朝から随分元気ですね」
    「わ、忘れてましたぁぁ……」
     昨日まではここにお頭こと忍がいたのだ。今日は人が入れ替わって昨日拾ってきたという体でマヨイに付いてきた男が鎮座している。
    「はあ……朝の楽しみだったんですが」
     毎朝お頭の寝坊助な様子を間近で見る事はマヨイのひそかな楽しみだったのだ。城に先に返してしまった自分の判断を間違っているとは思わないが、残念な気持ちはぬぐい切れない。
    「何を楽しみにされていたんですか?」
    「いえ、あなたに言うほどの事ではないので……というより巽さん、ご飯を……?」
     机もないので床に敷かれた竹の葉の上に、ころころとした握り飯が用意されている。
    「早く起きたので、朝餉になればと」
     寝起きとはいえ一晩何も食べずに城から抜け出て山道を駆け下りてきたので、お腹はぺこぺこだった。
    「ありがとうございます」
     素直に礼を伝えて、マヨイは握り飯にかぶりつく。塩をまぶしてくれているらしい、わずかなしょっぱさが米の甘味を引き立てていて、美味しい。朝起きてから火を起こしてわざわざかまどで米を炊いてくれたのだと思うと、素直にありがたかった。
    「美味しいですか?」
    「ええ、はい」
    「それは良かったです」
     ほのぼのと握り飯を食べているが、いまだにこの男がどういう男なのかをマヨイはほとんど知らない。分かっている事は玲明城でそれなりの要職であるという事。何か得体のしれない武器を持っているという事。そして秀越に潜入するために自分と協力関係を築きたいと思っている事だった。
    「巽さんは、どこのお生まれなんですか?」
     探り半分、世間話半分だった。
    「そうですな。ここではない、どこか遠くの国です」
    「おや、秘密でしたか?」
    「今は少々説明しがたい事情がありまして、また追々にはお教えします」
     なんだかはぐらかされてしまった。
    「俺が言わないままでは公平ではありませんが……マヨイさんの出身はどちらに」
    「私はここよりもっと南の方で――」
     そこからはマヨイ自身の身の上話をひとしきりしながら、元の城に帰る旅支度をする。来た時は茶葉を売り歩く商人の装いだったが、それは忍が小柄で子供の装いをして怪しまれなかったので、問題はなかった。関所をくぐるには、巽用の服を何か調達しなければならない。
    「変装の経験は?」
    「いやあ、ないですな」
     にこにことしたままの巽は困った様子もない。どうしてこの人はいつでもこうも泰然としていられるのだろう。臆病な性格を自負しているマヨイからすると、堂々としていて羨ましいとも思うし、あまりにも暢気で警戒心がなさすぎるとも思う。
    「ううん、私は何にでもなれますけど……困りましたね。巽さんはそのままだと関所を通るには目立つような……」


     結果、非常に不本意な形の様相となってしまい、マヨイは長い溜息を一つ吐いた。怪しまれる事なく関所を抜けれたのは良かったが、問題は別にある。
    「マヨイさんは女性の装いをしてもお美しいです」
     巽はたびたびそうやって褒めてくれるが、自身を美しいという分類に振り分けた事がないマヨイはその度にため息をつくのだった。
    「変装が上手く出来ているという意味の褒め言葉として受け取っておきます……」
     髪の毛をおろし、後ろで束ねて女性ものの着物を着、多少の紅で化粧も施してある。結局不自然に思われない組み合わせかつ変装の小道具がさほどいらないというものを選んだ結果、商人の夫婦のふりをして関所を抜ける羽目になったのだ。関所でかかる通行税は巽に払ってもらったので多少の留飲は下げたものの、あまり目立つ格好をしたくないマヨイとしては下策であったし、女性らしい振舞いをしないわけにはいかない。結果、いつもより狭い歩幅で歩く事も手伝って想定よりも随分と遅々とした旅程になってしまっている。
     溜息を繰り返すマヨイとは一転して、巽は何故だかずっと嬉しそうだ。おしのびで外に出れた事ではしゃいでいるのかもしれない。
    「ここから先、夢ノ咲の城下町の関所まではあと一日かかりますから、どこかで野宿ですねぇ」
     今は夏の終わり。夜は冷えるが耐えられない寒さではないだろう。落ちかけた日を見て日の入りまでの時間に思考を巡らせていると、巽がマヨイの袖を引いた。
    「でしたら少し道は外れますが、俺が雨風をしのげる場所を知っていますから、ついてきてもらえますか?」
     

     雨上がりの鬱蒼と湿った空気の山道を巽は入っていく。村もなさそうなこの空間に寺社でもあるのだろうか。幾らもしないうちに背の高い竹林に行き当たった。
     少し小高い山になっているその竹林はもはや道と呼べるような道もない。縦横無尽に生えている竹をかきわけて進んでいくので、袴ではないマヨイには少々難儀だった。
    「巽さん、一体ここに何が」
    「すみません、思っていたよりも随分竹が成長していますね」
     分け入った先で、少しだけ広い空間の場所に出た。
    「ここです」
     巽が地面の中に手を埋めたかと思うと、地面がせり上がった。
    「……」
     マヨイがあっけにとられている間に、大人の大きさはゆうにあるようなこんもりとした半円の銀の建物が地面から出てきて姿を現した。
    「目立つので普段は土の中に埋めているのですが、野宿よりはよほどか安全です」
    「……ええっと…これは……」
    「俺が月から降りてきた時に乗っていた乗り物です」
    「月、というと……」
     丁度太陽が暮れた時間だった。空を見上げると輝いている今宵の光は目の前の建物と丁度同じ半円だった。
    「あの月、ですか?」
    「そうです。俺はあそこで生まれました」
     遠くの国、と言っていた朝のやり取りを思い出す。一迅の風が吹き抜けて、ざあっと竹の葉を揺らしていく。巽はそれ以上は言葉で説明を重ねず静かに指で上をさした後、銀の建物に触れた。シュイン、と風を切るような音がして扉が勝手に開いたので、マヨイは誰かが出てくるのかと咄嗟に構える。
    「誰もいませんよ、これは俺の手を認証して鍵を外す仕組みになっていますから、俺以外は誰も入れません」
     手招きされておそるおそる入ると、銀色の建物の中は三畳程の広さで大人二人で部屋に入ると少々狭さを感じる。マヨイが中に入った途端後ろの扉が再び勝手に閉まったので、マヨイは驚きで飛び跳ねる。
    「移動用の乗り物ですから何らおもてなしは出来ませんけど、一応寝袋もありますし」
     部屋の中は得体のしれないものがたくさん置いてある。奥の方には何やら押したらどうにかなるのだろうかという鉄の棒がこれまた鉄の箱にいくつもささっている。
    「これは……絡繰りですか?」
     放下で芸をする時にマヨイは絡繰りを動かしてみせるのが得意だった。木で組んだ仕掛けで、端の木ををはじくと次々に連なった木の板が動き出し、回転したり玉を移動させたりしていく。
    「絡繰り、というものを俺は見た事がないので分かりませんが、ここらへんはこの乗り物の制御装置です」
    「私こそこんな制御装置とやらは見た事もないです……」
     興味を引かれてその制御装置と説明されたものを見つめていると、巽がどこからか大きな布の塊を引っ張りだしてきた。
    「これが寝袋です。防寒性もありますし、綿の布団ほどの柔らかさがあります。丁度予備がありますからマヨイさんはこちらを使って下さい。ああ、着物は皺になりますから脱いでしまった方がいいですよ」
     広げてみると着物とは全然違う作りの蓑虫の蓑のように円筒状の布になっている。素襖を脱ぎ、小袖も脱ぎ落とした巽にならって、マヨイもおずおずと服を脱ぐ。あまり人前で服を脱いだ事はないので、既に見られてしまったとはいえ、やけに緊張する。褌だけの姿になるとそそくさと寝袋なるものに体を滑り込ませた。中は狭くてやわやわとした感覚で温かい。確かにこの作りでは、着物は皺になってしまうというのが理解できた。マヨイが寝袋に滑り込んだのを確認すると、巽は部屋の壁をいくつか叩く。途端、部屋を照らしていたあかりがふっと弱まって、薄暗がりになった。これも一体全体どういう仕掛けなのか、マヨイには皆目見当もつかない。
    「巽さんは……どうして月から降りてきたのですか?」
     しばらく無言の時間があってから、マヨイはおずおずと声をかけた。横になった途端緩やかな眠気が体を襲ってくるが、興味が尽きない事が多すぎて心は寝れそうもない。
    「……それが、思い出せないのです。断片的に記憶が抜け落ちているようでして。子供の頃の事とかは思い出せるんですけど」
     薄暗がりの中でも、巽が困った顔をしているのが見える。泰然自若としている彼の、見た事のない表情だった。
    「思い出せない……何かのために俺はこの地に来たはずなのに」
     独りごちるような物言いは自分に言って聞かせているようにも聞こえる。
    「……今は玲明にいらっしゃるようですけど、いずれ月に帰るのですか?」
     マヨイの質問に、巽は首を横に振る。寝袋にぱさぱさと髪の毛が当たった。
    「帰り方も思い出せないのです。色々調べてはいるのですが、そこの制御装置がどうにも動かせなくて。俺はどうにも昔から機械は苦手らしく、壊れているのか俺の操作方法が良くないだけなのかすら分かりません」
     見知らぬ土地に記憶をなくしたまま一人。マヨイは自身の昔の事を思い出していた。
     火の手から逃げおおせたものの戦火で焼け落ちた村はまるで昨日までの見慣れた村とは一変し、まるで知らない場所のようになっていた。母はマヨイを逃がすのが精いっぱいだった。火が落ち着いてから自分の家があったあたりに戻ると、母だった人の躯が黒焦げの梁の下敷きになっていた。父はその時戦に出ていたが、そのままマヨイのところに帰ってはこなかった。あの、途方に暮れた幼い頃の日々。
    「それはさぞお辛かったでしょう」
     考える前に感情が口から零れ落ちていた。巽は数度瞬きをしてから、微笑む。
    「マヨイさんは優しいですね」
     寝袋の中から巽が手を出した。そのままマヨイの頬を指先だけでそっと撫でる。目元に滲んでいた涙を巽が掬ってくれたおかげで、頬が濡れる事がなかった。
    「実はこの地に降りてきてから、ここの竹林の管理をしているおじいさんに助けられまして」
    「おじいさん、ですか」
    「この竹林の裏手にある村なんですけどね、この乗り物って動く時光るので、丁度これが落ちるところを近くの村から見ていたようです」
     竹林で光る乗り物を……。まさか、もしかして。マヨイの中で霞がかっていた部分の霧が晴れていく。
    「俺は着地でへまをしたようでして、怪我をして動けなかったんですけど、そこの家の息子さんに看病してもらえたのは幸いでした。当時の記憶は墜落の衝撃であまり残っていないのですが、目を覚ますと屋敷の中にいたのです」
    「あの……城下町でまことしやかにささやかれていたかぐや姫のお話というのはまさか」
    「当時は今よりは髪が長めだったのと、羽織が丁度こちらの国の女性の晴れ着のような羽織だったもので」
     マヨイに言わんとしている事を巽は理解しているようだった。
    「えっでもお……巽さんは、お、男ですよね……」
     困惑するマヨイにつられるように、巽も眉をハの字に下げるとため息を一つついた。
    「知らなかったんです、俺は」
     まさか自分の性別を? そんな事があるのだろうか。マヨイは混乱して言葉が継げないままだったが、
    「こちらの国の男が妊娠出来ないということを、知らなかったんです」
     続いた言葉にマヨイの思考はさらなる混乱を極めた。彼の住んでいた場所ではつまり男性も子を宿す事が出来るということなのだろうか。
    「少し長い話になりますが……聞いてもらえますか?」
     巽の目に憂いが浮かんでいる。マヨイの頬の傍にある巽の手を、マヨイは握った。迷い子のような表情の彼を放ってはおけなかった。
    「夜は長いですから、大丈夫ですよ」
     マヨイの返事を聞いて、静かに語り始める巽の低い声は心地が良い。
     
     
     時は約数か月前まで遡る。

     
     巽の中で最後に残っている直前の記憶は、同郷の友人のいってらっしゃいという笑顔だった。
    「あなたならきっと上手くいくと思うわ」
     何を? その問いかけをすると途端に記憶の輪郭がぼやけてしまう。
    「大丈夫ですか? 巽殿」
    「……はい、大丈夫です」
    「巽殿の番ですよ。すごろく」
    「そうでしたか」
     回想から引き戻されて、目を開けると鮮やかな新緑の庭が広がる縁側にいる。
     手もとにある漢字が記されたさいころを転がして、人が極楽にたどり着くまで遊ぶこちらの国の遊びを、この目の前の男としていたのだった。
    「……俺はどうすればいいのでしょうな」
     欠けた記憶の中に何かがあったはずなのに。追い求めてもそれが何なのかまるで思い出せない。落ちた時に負った怪我も養生させてもらったおかげですっかり良くなった。そうなると、目的もなく日がなぼんやりと過ごすにはあまりにも張り合いがない。生きる目的がないと人はこうも堕落出来てしまうのかというのが今の巽の心境だった。
    「巽殿の出した目は『諸』ですから、こちらの上のマスですよ」
     巽の問いかけをすごろくの手順だと思ったようだった。そうして丁寧に解説してくれる事を否定はせずに、巽はありがとうございますと伝えた。
    「そういえば、きみの事が評判になっていました」
    「俺が何かしましたかな」
     からりとさいころを落とした男が、あっと声をあげた。出してはいけない目を出してしまったらしい。
    「村の人たちの田植えを手伝ったり、薪を割ったりしてあげているのでしょう。それに我が家には大量の金を持ってきてくれたおかげで屋敷を相当大きく出来ると。父が喜んでいます」
     すごろくは必然的に、巽の勝ちになってしまった。目の前の男は負けて飽きてしまったのか、縁側に足を投げ出すと畳に向かって体を投げ出した。
    「助けていただいたからには当然です」
     自身が金を積んでいたのにも何か理由はあったのだろうか。乗り物の中にあった財産は、拾ってもらった恩義を少しでも返したくて全てこの屋敷に持ち込んだのだ。
    「かぐや姫と、言われているみたいです」
    「かぐや姫というのは?」
     新緑がさやさやと風に揺られて煌めく。柔らかい木漏れ日が地面を優しく撫でている。月にはこのような鮮やかな色彩の自然がなかったので、巽はこの地の景色がとても気に入っていた。
    「昔からある伝承です。竹取翁が竹の中で拾ったおなごを育てていったら美しい姫になったというお話があるのです。育てる間に竹から金が出てきてその屋敷を裕福にしたという話まで、まるできみのようです」
    「ははあなるほど。確かに竹藪の中に落ちていたと教えていただきましたが、お父上が殊の外俺を歓迎してくれているのはそういうわけもあるのでしょうか」
    「先ほど城主に呼ばれたのも、巽殿の事を噂に聞いたのかもしれませんね」
     そんな話で盛り上がっていた矢先だった。慌ただしい足音がして、屋敷の主が帰ってくる。
    「風早殿っ……! お話が…!」
    「おかえりなさい、十条殿」
     狼狽した様子の屋敷の主のすぐ後ろを見知らぬ男たちが付いてきていた。高貴な絹の素襖を纏っているのを見るに、それなりの地位の者のようだ。
    「あなたが、かぐや姫か」
     先頭の男が声高に叫ぶ。
     その名前を知ったのはつい先ほどですが、と巽は心の中で返事をした。尋常ならざる主の様子を見ていると不用意な発言はしない方が良さそうだ。
    「はい、ぼくがそうです」
     巽の後ろでその時に声がした。
    「要さん…?!」
    「お前……!」
     立ち上がる友人に一体何の策があるというのだろうか。父と巽が驚くのをよそに、ついてきた男たちはさっと居住まいを正して指を畳につけ、頭を垂れた。
    「城主殿が十条殿のお話に、いたく興味をお持ちです。かぐや姫殿、我が城へ着いてきていただきたい」


     巽の回想はそこで途切れた。つまりは、かぐや姫と噂されていたのは巽だが、今城でかぐや姫として扱われているのはその友人なのだという。
    「俺には、友人が何を考えていたのかその時は分からなかったのですが……彼は本気でした」
    「それでも……そのご友人の要さんも、男なのでしょう。どうして姫などと」
    「ああ、それも俺の無知ゆえの罪のせいなのです」
     目を伏せる巽はずいぶんと哀しそうだった。
    「十条の家は……今は惣の乙名に名を連ねるだけの村の権力者の一人でしかありませんが、元々は城仕えの武士だったようです。詳しくは知らないのですが、何かがきっかけで零落してしまったようで。要さんはその事を随分と気にされていました。そして此度の話を、十条の家を城の家臣に戻すチャンスだと」
    「ちゃんす……」
    「ああ、すみません。こちらの言葉では絶好の機会、という言い回しが妥当でしょう」
     時折聞きなれない単語を聞くが、月で使われている言葉らしい。
    「俺がこの事件が起きる以前に、要さんに伝えてしまった事があるのです」
    「というと」
    「月の都に住むのは全て男なのです。それでも繁栄しているのは、男が子を宿すために飲む薬が存在しているのです。無知だった俺はそれがこちらの世界にも当然あるものと思っていまして、不用意にその薬が手元にある事を要さんに伝えてしまい……それが、そもそもの原因でした」
     嫡男であれば、当たり前に城の城主の座が約束されるこの時代だ。生まれた子が女であっても、他の城との同盟を成せる。姫になるということの条件がただただ子を産める体なのであれば、男色が当たり前のこの時代にあまりにも都合が良かった。男であれば、戦に帯同出来る利点もある。
    「巽さんのご友人は、そのお薬とやらを……飲まれたのですか」
    「いえ、まだです。ですがしきりに催促されているので困っている状況です。今は取り出し方が分からないなどとはぐらかして逃げていますが、要さんをだまし続けるのは俺も辛いのです。もし秀越との婚姻の話が立ち消えになれば、その話もしばらくはしなくて済みます」
     色々と信じがたい話だが、彼の目的もようやく理解出来た。何か秀越で良くない噂の一つでも見つければ、婚姻の話をなくすことが出来る。同盟を組んで欲しくない夢ノ咲にとっても、これは利のある話だった。
    「そのお薬、この乗り物にあるのですか」
    「マヨイさんは察しがいいですね」
     順を追って考えれば当然見えてくる答えだった。
    「そうだ、せっかくです。あなたに持っていてもらう方が安全かもしれません」
     起き上がった巽が何やらまた壁をなぞると、壁と思われていた場所がかくりと開いた。中が小物入れのようになっている。しのび屋敷で見られる、武器を床にしのばせてある『刀隠し』のようだ。
    「そのような大それた物を……私が持っていていいんでしょうか」
     手渡されたのは豆のような大きさの、ころりとした丸薬だった。指の関節二つ分程の、小さな瓶に詰められている。
    「マヨイさんは信頼に足る人だと、俺は信じていますから」
     そのような期待をされるほど何もしていないと思いますが、とマヨイは否定したかった。ただ、彼の思惑を考えるといっそ物理的に手もとにない方が良いのだろうとも思う。いつしか口を滑らせて巽が望んでいない事態が起きてしまうのだとすれば。もしくはこの乗り物を無理やり破壊されて取り出されてしまったりする可能性もあった。
    「分かりました、お預かりしましょう」
     口から出た言葉は、思考からではなく感情から出た言葉だった。ここまで全てを話してくれた彼への礼の気持ちもある。
    「ありがとうございます、少しだけ肩の荷が下りました。しかし、どうかこのことは内密にお願いします。ここまでの話をしたのはあなたが初めてですから」
     巽の言葉にマヨイはお約束します、と返事をしてから、忍から貰ったお守りの巾着の中に瓶をしまい込んだ。巽の顔から憂いの感情が消えている。最初はのんびりとした様子にやきもきもしたが、今はその表情にほっとしている自分がいた。
    「おやすみなさい」
     互いに声を掛け合って今度こそ眠りにつく。新しい事を頭に詰め込み過ぎたのだろう。マヨイは目を閉じるとすぐに夢の世界へ落ちていった。

     
     
     次の日は朝日が昇る前にその場所を離れた。あまり人目に付かない方がいいという判断である。泊まった部屋をあまり存在を知られてはいけないという事情もあった。巽の手慣れた操作で、銀の建物は再び地中へ沈んでいく。土の中にすっかり埋もれてしまったのを確認して、急ぎ竹林を抜ける。
     あとの旅程は順調であった。夢ノ咲に入る城下町の関所は、マヨイがもともと持ち合わせている通行手形があるので、問題はない。ただし、他に問題が一つあった。
    「巽さん、早いところ私の家に向かいましょう」
     通り慣れた道を、女装姿であまりうろつきたくはなかった。知り合いに会って不審がられるのも困る。表向きには芸を行う一座の座員なのだ。とっとと自宅に帰って化粧を落としてしまいたいマヨイは早歩きで通りを抜ける。ところが、家の前でよくよく見知った顔と出会った。
    「い、衣更殿……どうしてこちらへ」
    「おっと……そのいで立ちは……礼瀬殿、なのか?」
     派手な髪色によく似合う梅色の素襖を身にまとった武人が立っている。周りに護衛がいないところを見ると正式な仕事というよりは、個人的に顔を出しただけのようだった。この大将にはそういう人付き合いの良さがある。
    「間違いなくマヨイ殿でござるよ、大将殿」 
    「おっ……お頭……」
    「マヨイ殿、任務ご苦労様でござったな。大将殿がマヨイ殿の情報を疾く聞きたいとのことで、こちらに参られたのでござる。それにしても後ろに控えておられる御仁はどなたでござるか?」
     お頭の顔を見るのは数日振りだったが、ここ数日の間に色々ありすぎたせいで随分長く会っていない心地だ。久しぶりのお頭に感極まっていると、後ろからとんでもない声が飛んでくる。
    「風早巽といいます、俺はマヨイさんの伴侶です」
     一声告げた巽がマヨイの腕を取る。
    「そそそそういう設定ですっ! 設定ですからっ」
     怪しまれぬように一日半、しっかり夫婦然とした振舞いをしてきたせいで、自然にマヨイに寄り添う巽の仕草は板についていた。
    「……よ、よくお似合いでござるな」
     あ、もう駄目だ。忍の目つきが胡乱な気がする。そりゃあそうだろう、つい数日の間にそんな見も知らぬ男を伴侶だのと連れて帰ってきたら、マヨイだってそんな顔をしてしまう。
    「まあ別にいいんじゃないか、そういうのはよくある事だし」
     あっさりと状況を肯定してくれる大将こと衣更真緒。確かに男色は普通にあることだが、この状況ではマヨイの説明を信じて欲しかった。
    「やはり夫婦の方が何かと都合が良さそうですな」
     耳元で存外冷静な声音を聞いて、否定の言葉を重ねかけたマヨイは言葉を飲み込んだ。今の巽は敵地である場所で堂々とした振舞をしているが、マヨイの言葉一つで彼の命はいとも簡単に風前の灯火となってしまう。城を抜け出してきた時から数えてまる二日一緒にいたせいですっかり情が芽生えてしまっているので、それはどうしても避けたかった。
     この場合は味方を欺く必要がある。忍に絶対の忠誠を誓っているマヨイは臓腑がきりきりと痛む心地がしたが、声を振り絞った。
    「そうっそうなんです。ひ、人に紹介するのが初めてなので動揺してしまいましたけどっ! み、道すがらに出会って一目惚れを……」
    「おや、奇遇ですな。俺も一目惚れです」
     それは設定ですよね?! という確認を今は出来ない。にこりと微笑む巽を見て、また心臓が騒がしくなっている。彼にはどうしてだか乱されてばかりだ。
    「のろけはとりあえず、中で聞いてやるから」
     からからと笑いながら家に入っていく真緒と、色恋に疎いせいでおろおろとしながらもそれについていく忍。お邪魔しますととっとと部屋に入ってしまう巽。
     やっぱりせめて行き倒れを拾った程度の話にしておけば良かったなどと悔いながら、マヨイも後に続いて久方ぶりの我が家の敷居をくぐったのだった。


     続く
     
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    tsr169

    MEMOアラサーくらいのこじれたタイプの巽マヨ いかがわしい雰囲気はあるけどまだ何もしてない 腸内洗浄描写を書くか書かないか決めたら続きを書いて支部に入れます。アルカメン各自モブと付き合ってるあるいは付き合っていた描写があります。
    感作性の愛 あの日に浴びた愛の囁きも、熱も、何もかも全てが毒だった。熱っぽい体を密着させられて、初めてそれに気が付く。
     過剰に反応した体の奥底から一気に噴出してきた熱の塊に、私は息を呑んだ。目の前で彼は日頃の聖職者然とした微笑みを剥がして、ほのかな影を帯びたまま微笑んでいた。
    「俺の事を何とも思ってないのなら、出来ますよね?」
     そう言われて、出来ないなんて言えなかった。否定する事はそこに情がある事を認めてしまうからだ。だんだんと近づいてくる顔をどうにか拒否したいと思うのに体が動かない。唇に温かい皮膚が触れた瞬間に漏れた吐息はすっかり熱を帯びていた。


    「タッツン先輩の引っ越しを祝って……乾杯~っ」
     藍良さんの元気いっぱいのコールに各々の飲み物をテーブルの中心でぶつけ合う。一彩さんはビール缶、藍良さんは甘い目のカクテルの缶、私と巽さんは丁度巽さんが撮影現場で貰ったというウィスキーをジンジャーエールで割って、ライムを切って入れたものを手にしていた。一口飲むと辛い目のジンジャーエールが口の中で弾ける。
    9410

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