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    tsr169

    @tsr169

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    tsr169

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    ※名前のついたオリキャラ色々でてきます
    ※雰囲気明治時代パロ
    ※倫理観がガバな巽がいます
    ※その内R18

    明治時代パロのたつまよ(途中まで) 日差しが暖かい。神社の石段を木漏れ日がさざめきながら光をあちらこちらに照らしている。
    「もうすっかり春ですな」
     返事が返る事はなく、巽の独り言は静かに朝の陽ざしに溶け込んでいく。静かないつもの朝、だというのに、巽の心は少々穏やかではなかった。
     というのも、今朝がた母から唐突にお見合いの話が降って湧いたのだ。もう成人して数年が経つ。そろそろ妻を娶ってもおかしくないというわけだ。

     
    「ご縁ですか」
     差し出された額縁の写真の中には、たおやかに微笑む女性がいる。ああ、ついに俺にもその時が来てしまったのですね、というこの感情はどちらかといえば諦めに近い。信徒として神社に通っているご夫婦から丁度妙齢の女性がいるということで、親同士盛り上がって貰ってきてしまったらしい。
    「今は帝都の女学校に通ってるらしいんだけど、もうじきこちらに帰ってこられるとかでね、お話をいただいてきたの。巽さんたら、一向にいい人連れてこないもんだから」
     困ったような調子の母に、巽は苦い笑いを零すしか出来なかった。昔の初恋の思い出を引きずったまま恋愛もろくにせずに大人になってしまったのだ。今更『いい人』なんて言われても、ピンと来るはずもなかった。


     禁教令が解かれ、文明開化が声高に叫ばれるようになった今日この頃でも、すっかり神社の体をしている我が教会はいかにも神社らしく長い石段を備え、いまだに宮司だの祢宜だのと名乗りながら薄暗い地下の礼拝堂で週末の礼拝が行われている。
     江戸から帝都と名乗りを変えた都の方では外国人の出入りも多いおかげで排除されるべき存在と捉えられる事もなくなったようだが、都から少々離れたこの片田舎ではいまだに深い偏見の目を向けられる事もあるのだ。
     文明開化の折に生まれた身としては熱い文化の芽吹きの奔流に乗っかってみたいというややハイカラな気持ちがないでもないが、父はいまだに宮司と名乗っているし、そうなると息子の自分も神父だのと名乗る事は出来ずに、いまだに祢宜としてこの神社で日々神に祈りを捧げている。


     神社を登る階段の両脇には木々が生い茂っていて、今の時期は緑が豊かに色づいている。毎朝掃除しているおかげで掃除の収穫物は少ないが、朝の日課となっているこれが今は、ざわめいている心を穏やかにしてくれた。
     何も相手に文句があるわけではない。綺麗な女性だと思う。いずれはそうやって結婚し子供を育て、この先もこの教会を脈々と守っていくのだろうという漠然とした未来は以前から想像もしていた。だがいざ話を持ってこられると、戸惑いと共に忘れられない初恋を思い出してしまい、朝からずっとこの暗澹たる気持ちを抱えているのだった。

     
    「おや、これは」
     いつものように石段のふもとまで竹ぼうきで掃きながら降りていって、ふと巽の目に留まったものがあった。
     昨日は見かけなかった石段のふもとに五寸ほどの小さな麻の袋が落ちている。麻袋の袋の口は紐でぐるぐると縛られていたが、紐を引っ張るとあっさりと開いた。中には1円銀貨が10枚ほど、じゃらじゃらと入っていた。巽は当然困惑した。1円銀貨は献金としてでも滅多に見るものではない。
    「どなたかの落とし物でしょうか」
     そうであれば、落とした人はさぞ困っているだろう。巽はそう判断すると、すぐに派出所に持っていった。


     巽の住む神社から少し山を下りた村にある派出所には、顔馴染みの警官である井崎という男が派出所の前で紙巻き煙草をふかしていた。紙巻き煙草は都会の洒落たものという認識が巽にはあったが、彼は何か馴染みのつてがあるとかで、よくその煙草をくわえている。
    「アレ風早さんちの坊ちゃんじゃあないですか」
     父親と同じくらいのこの警官は明治維新の前から邏卒という職業につき、今はこの村を守る警官として長年勤めあげている信頼のおける男だった。巽に気が付いてにこやかに手を挙げると煙草をくわえたまま派出所に入っていって巽を手招きする。成人済みだというのにいまだに子ども扱いをしてくるこの年かさの男は、昔からこうやって巽を可愛がってくれているのだ。
    「今日は井崎さんだけなんですね。実は落とし物を拾いましてそれを届けに来たんです」
    「いやいや、今日は特別ですよ。他の連中は町の怪盗騒ぎで駆り出されてましてね、私だけなんです」
     ああ、と巽は相槌を打ちながらあとに続いた。木製の粗末な小屋のようなこの場所は、出入りする警官たちの煙草の匂いが充満していた。

     
     帝都の華やかな夜闇に紛れて怪盗と名乗る人物が地主の屋敷に忍び込み、お宝をくすねている―――というのがもっぱらこの世間を騒がせている話題でもある。日々新聞には『怪盗今宵もお宝を頂戴す』だの『警察奔走 次の標的は』などとやや面白おかしくこの話題を取り上げる記事が掲載されている。
     帝都の士族の屋敷が被害にあっているという噂だが、この辺りにも出たのだろうか。世間で持て囃され、支持を受けているのには事情がある。この怪盗はもっぱら士族の屋敷にしか忍び込まないので、大半の平民からすればまず自分たちに実害がないのだ。
    「その怪盗さんとやらが、帝都ではなくこの辺りに現れたんですか?」
    「私が聞いたところによると、地主のじいさんの目撃証言があっただけらしいですがね。今のところ警察の面目丸つぶれですから、少しの情報にもこうやって飛びついて何とか捕まえたいんですよ」
     はは、と声を立てて笑う井崎はまるでその事を本気にはしていないようだ。巽は拾得物届を書き込みながら井崎に麻袋を渡した。
    「……坊ちゃん。一体これをどこで」
     中身を確認した井崎は眉をひそめる。井崎程の警官でもおよそひと月分の給与がまるまるが落ちていたようなものなのだ。そういう顔をするのは当然ともいえる。
    「ええと、俺の家の傍ですが」
    「財布が落ちていたならともかく、こんな袋にこれだけ高価なお金を詰めるというのは少し変な話ですが。まあ預かっておきましょう」


     派出所を出たところで、おーいと大音声で名前を呼ばれ、巽は振り返った。
    「巽先輩!」
    「ああ、一彩さんでしたか」
     学生帽を被り学ランを着こなす彼はこの村の村長を務める地主、天城家の次男坊だ。同じ学校の先輩でもないのに『先輩』と呼び慕ってくれる彼が、帽子を脱いで一礼をする。
    「実はこれから炊き出しに行くつもりなんだけど、巽先輩も手伝ってくれると嬉しいよ」
     一彩の背中に木製の滑車が見え、その上に大きな銅の鍋が並んでいる。天城家は広い農作地帯を管理しており裕福な家庭だが、一彩はその裕福さにあぐらをかくこともなく、こうやって慈善活動を行っているのだ。元々は巽が始めた事だったが、祢宜として任される仕事が増えてしまった今では、一彩が快く引き受けてくれたので概ねの事を任せている。
    「勿論ですよ」
     今日は礼拝もないので、巽は一彩の後ろに回り、滑車を押す事にする。
     距離はさほどもなかった。五分もすれば、村の外れの粗末な藁ぶき小屋が並ぶ場所に着く。道を埋めるように粗末な家が並ぶこの場所は身よりのない子供たちのたまり場だった。
    「皆ーー!ご飯だよ」
     よく通る彼の声で、元気よく子供がわらわらと出てくる。およそここに住まう数十人ほどのこの子たちは戸籍もなければ親もいない。この辺の集落から色々な事情で家を失った子供たちの最後の砦だった。教育費がすべて国民の負担だったこの時代、勿論学校にも行けるはずがなかった。物を拾ったり物乞いをしてようやくの生計を立てているような子供たちだ。
    「一彩兄ちゃん、巽兄ちゃん」
     いの一番に一彩に飛びついてくる少女の名前はイトという。年は今年で七つだったか。着古した着物が擦り切れて汚れているので気になる。実家で何か着せてあげられるような着物を探してやらないといけませんね、と巽は心の中で呟く。
    「今日ね、すごいものが届いたんだよ」
     イトの後ろに着いてきた少し背の高い男の子は正一だ。正一はもうすぐで九つになる。今年から一彩の家の畑を手伝ってもらう約束をしている。正一がポケットの中から取り出したのは、小さな麻の袋だった。
    「あっ」
     巽は思わず声をもらしたが、くりくりとした目で見上げてくる子供たちの前だ。咳払いをして誤魔化す。
    「中にお金が入ってたんだ、こんなに」
     果たして、1円銀貨が10枚ほど。チャリ、と重たい音を立てて袋の中に詰まっている。
    「私初めて見るんだけど、やっぱりこれもお金なの?」
     イトが首を傾げながら巽を見上げるので、そうですよ、と巽は言葉を返した。
    「これをどこで拾ったんですか?」
     優しく正一に問うと、起きたら小屋の前に置いてあったのだという。巽は袋の中から取り出した銀貨を確認してから、正一の手に返してやった。
    「これは神様からの贈り物でしょう。大事に使うようにしなさい」


     一通り子供たちを食べさせて帰る道すがら、一彩がそういえば、と話を切り出す。
    「僕の学校で聞いた話なんだけど、あの今話題の怪盗何某とかいうあいつ、盗んだお金であちこちに寄付をしてるらしいんだ。もしかしたら正一の持っていたお金、それかもしれないね」
     すっかり空になった銅の鍋が滑車に揺られてカチャカチャと軽い音を鳴らしている。
    「そうでしたか」
     では、あの石段のふもとに落ちていたお金は教会への献金だったのだろうか。だが何も文の書き添えがない袋をそうと受け取るわけにもいかなかった。
    「ほら、隣町でおじいさんが怪盗を見たって目撃証言もあったみたいだし。僕の学校でも今日その事でもちきりだったよ」
    「寄付と言っても、俺は少し抵抗があります。何せ怪盗というからには、そのお金の出どころはあまりよろしくないものだということなのでしょう」
     心にある引っかかりを素直に吐露すると、一彩はそうだね、と肯定をしてから言葉を続けた。
    「でも、正一たちには薬を買うお金が必要だよ。僕や巽先輩の小遣いでしてやれる事は精々炊き出しくらいだしね」
     一彩は意思の強い目で前を見据えている。正論だった。先日あの集落で一人子供が亡くなってしまったのだ。高熱で倒れて数日。あっという間だった。町の医師に二人で掛け合ったが、衛生状態の良くないこの場所に来てくれるはずもなかった。流行り病の麻疹を警戒されてしまうのも仕方ないし、効果が高いと噂の薬は舶来の品で自分たちがおいそれと手に入れられるものでもない。なすすべがなかったのだ。
    「一彩さんの言うとおりですな。俺のきれいごとなんかより、よほど筋が通っています」
     神に仕える身としては言うべき事ではないのかもしれないが、綺麗な言葉だけで人を救えない場面が多々ある事を巽は痛感していた。
    「巽先輩の論理も正しいものだと僕は思ってるよ」
     一彩はにこりと笑う。巽の心に陰った雲を払うには十分の笑顔だった。


     一彩と別れて自宅に戻るために件の石段のところまできて、巽はあれ、と言葉を零した。今朝見た場所と同じ場所に何やら見た事のある麻の小袋が落ちている。
    「……」
     拾って中身を開けるとやはり1円銀貨が詰まっていた。やはり、落とし物などではなかったのだと確信に変わった瞬間、石段の傍の木の茂みに何やら気配を感じ、巽は振り返った。
     がさ、と音を立てて人らしき姿が木の後ろに回り込むのが見える。こんなあからさまな挙動で隠れたつもりなのだろうか。
    「そこのお人、よろしければ出てきませんか」
     ピンと張りつめた空気が、束の間続いた。相手は息を殺してこちらの様子を窺っているらしい。
    「では、俺の方から行きましょう」
     そう言って茂みに踏み込むと観念したのか、影からおずおずと人が出てきた。背の丈は巽とさほど変わらない、若い細身の男だ。角袖外套を羽織った中は、長袖シャツに黒の股引というこの辺では珍しい洋装の格好だが、髪の毛は女性のように長く首元で三つ編みに束ねられている。
    「す、すみません。お会いするつもりはなかったんですけどぉぉ……ま、間違えてまた派出所に届けられるのも困るので……」
     いっそ恨めしげにすら聴こえる這うような低い声は間違いなく男だ。長い前髪の間から見え隠れする緑青の瞳に目を奪われる。この瞳の色彩。髪の毛の色。
    「もしや……マヨイさんでしょうか?」
     久方ぶりにその名前を口にした。男は瞬きして、巽を見つめる。その瞬きがまるでチカチカと光って、宝石のように、巽には見えた。
    「ヒィ」
     返事が何故か悲鳴なのは解せぬが、否定の言葉はなかった。何よりその返事に聞き覚えがあった。
    「やっぱり、マヨイさんじゃないですか!」
     嬉しくて手を握ると、マヨイは肩をすくめて居心地悪そうに目を泳がせていたが、巽は気にしなかった。昔から少し引っ込み思案で恥ずかしがり屋だったのだ、この子は。
    「十年ぶりくらいでしょうか」
     思わず美しくなった、という言葉が喉元まで登ってきたが、巽は飲み込む。実際おしろいがはたかれ、薄づきの紅が引かれたその顔はまるで女性のような艶っぽい印象を与えるが、年月が彼をそう変化させてしまった事を、巽は素直に受け止め切れなかった。
    「そうですねぇ。たまたま近くに寄る事が出来ましたので……その、恩返しをしたくて」


     マヨイは、巽と一彩が面倒を見ているみなしごたちの一人だった。今よりもっと昔、巽が一人であの集落の面倒を見ていた時期に、あの場所に似つかわしくないような美しい髪の男の子がいた。それがマヨイだった。最初の頃はひどく怯えられたが、懐いてくれてからはよく一緒に遊んだものだった。だが、ある日突然彼は消えてしまったのだ。
     子供たちは夜の間に夜盗に連れ去られたと言って悔しがっていた。巽はただただ、彼を守れなかった事に愕然とした。当時、親のいない、戸籍も持ち得ない子供の消失などで警察は動かない。子供たちを交えた必死の捜索もむなしく、忽然とマヨイは消えてしまった。もう会える事もないと思っていたのに。
    「今までどこにおられたのですか」
     巽は一瞬ためらったが、思い切って訊いてみる。マヨイはやはり首を横に振った。それできっと言いづらい事なのだろうと察した。
    「今は各地の芝居小屋を転々としてオペラを披露しているんですけど、昔は辛い事が多かったので……す、すみませぇん…」
     揺れる声に、巽は慌てて手を横に振った。
    「いえ、いえ。いいんです。ただ、その……心配だったので……今はその、舶来の演劇をなさっておられるのですね」
     気まずくなる前に言葉を重ねた巽に、マヨイは首を縦に振った。巽はほっとする。それを知れただけでも本当に良かった。
    「ここの土地に久しぶりに立ち寄れたものですから。巽さんにはすごくお世話になったので、その、立ち寄るついでにお礼を置いていきたかったんです」
     マヨイは巽の手の中にある麻の小袋を、指す。
    「まさか。こんな大金受け取れません」
    「巽さんが、私のような身よりのない子供たちを今も面倒を見て下さっているのは知っているんです。あの子たちに何か買ってあげて下さい」
     持ち主が分かった以上慌てて返そうとするが、マヨイは頑として受け取らない。そのまま頭を下げて去っていこうとするマヨイの手を巽は思わず掴んだ。
    「マヨイさん、いつまでこちらに?」
    「早ければ一週間ですけど、演劇の日程が実はまだ先まで決まっていないので、もう少し長いかもしれません。」
     一週間。なんと早い。
    「では、今夜はご一緒にいかがでしょうか。積もる話もありますから」
     猪口を傾ける仕草をしてみると、マヨイは少しためらうそぶりを見せてから、頷いた。
    「それでは。団長に一度伝えに戻りますから、夜に来ますね」
     

     頭を一度下げてから去っていくマヨイの背が曲がり角で見えなくなるまで、巽はその場で見守っていた。
     頬が熱い。擦ってみて、気のせいではないのだと自覚する。咄嗟に掴んだ手の白さが目に焼き付いていた。
     少なくともうちの宗派に於いて男色はご法度ですが、と巽は内心で唱えながら石段を上る。

     神社を模した教会には当然のように入口に手水がある。
     溜まった水を覗き込むと情けない顔の若者が映っていた。
    「せめてマヨイさんに気付かれないようにしたいものです」
     
     声に出したのは決意のようなものだった。封印していた幼い頃の淡い恋心がいつの間にか、くっきりとした輪郭を持って巽の中に形を成していた。男女の差を知らぬ時期の初恋の人だった。成人し、神父の立場となった今、手を出してはいけない恋路になった。
     初恋の人を失って傷ついた心が立ち直るまでにも相当の時間を要した。それなのにどうして今頃。
    「……」
     手水を柄杓で掬って、情けない顔を浮かべる水面をかき消す。せめてもの理性の抵抗だった。跳ねた水が溜まり場からばしゃりと音を立てて、溢れた。


    ***

     
     巽の住む場所は、神社の敷地内にあり、社から続く本宅より少々離れた、木造建築の小さな戸建てだった。元々は子供たち用の礼拝に使っていた建屋だが、雨漏りがするということでその場所が別の敷地に建て替えられたために、空き部屋となった部屋を修繕して住まいとしている。病気の子供をつきっきりで面倒を見たりするために、部屋をもらい受けたのだ。
     一部屋あるきりのとても質素な作りだが、今日は客を呼ぶ。そうなるとまずは本宅から布団を借りてこなければならなかった。それに普段の食事ももっぱら本宅なので、それなりに食料品も調達してくる必要があった。部屋には以前に祝言の世話をした人からのビールの差し入れがそのままになっていたので、今日はこれを飲ませていただきましょうと巽は瓶を取り出す。そこそこ高級なものなので、おいそれと飲めないと思い、そのままになっていたのだが、今日のような客人をもてなすにはちょうど良い。
     結局、マヨイが来るといっていた夕暮れ時までは、母に頼み込んで食事の準備をしてもらったり、魚を焼くための七輪の準備をしたりなど準備に追われている間に日が落ちていった。


    「巽さぁん」
     遠くで声がするので炭を入れた七輪を置いて、巽は神社の境内を抜け、石段のところに駆け寄る。
    「マヨイさん!」
     マヨイは昼に見た洋風の装いとは打って変わって、落ち着いた小袖姿だ。
    「小袖姿も愛らしいです」
     口に出してから巽はしまった、と内心で冷や汗をかいた。男性に向けて言う褒め言葉ではないだろう今のは。だがマヨイはもじもじと首を振るだけで、悪いようには受け取られていないようだった。
    「巽さんは昔からその、なんというか……何かにつけて私の容姿を褒めて下さっていたので、懐かしいです」
     それから微笑を浮かべてそんな事を言う。そうだったのだろうか。記憶から抜け落ちていたが、昔から自分はマヨイに対してこんな調子だったらしい。


     そこから先は、母に準備してもらった夕食と酒のアテにと村で買ってきた魚を焼きながら色々な話をした。酒も進んだ。マヨイは案外酒はイケる口のようで、巽が用意していたビールはあっという間に空になり、マヨイが客からもらったという甘い葡萄酒を、これまた客からもらったという西洋くるみという木の実を摘まみながら色々な話をした。独特なにおいのするそれは、さくさくとしていてなんとも美味だ。
     マヨイが芝居小屋で披露しているというオペラも聞かせてもらった。大きな声は出せませんが、と静かに子守唄だという曲を歌ってくれた。
     しっとりと濡れたような色気の歌声は、さざなみのように揺れ、羽毛のように柔らかく、巽の鼓膜を溶かす。
    「すごく素敵です」
     一曲歌い終わったマヨイに思わず拍手をしながらそう伝えると、マヨイは微笑んだ。
    「これは基督教の歌なんです。仏蘭西の叙情悲劇なのですが、いつかあなたに披露したくて覚えた曲です」
    「そうなのですか」
    「主人公が神父様のお話でして……教えてもらった時に、巽さんの事を思い出しながら覚えたものです」
     その言葉に心臓が大きく跳ねる。食事も終わり、小さな文机を前に二人で寄り添うようにして酒を酌み交わしているので、この心臓の音が聞こえてやしないだろうか。
    「マヨイさんが俺を思い出してくれていたなんて、嬉しいです。昔の俺はもっと非力でしたから、あまりあなたを良くしてあげる事も出来ませんでしたけれど」
     ともすれば緊張で震えそうになる声を務めて平静を装いながら吐き出す。マヨイは首を横に振った。
    「いいえ、あの頃の私は……親もおらず住む場所もなくほとほと困り果てていたところで……」
     マヨイの親は遊女だったらしい。父親の顔は分からない。彼は元々は遊女たちの住まう長屋で暮らしていたが、母親が病気でなくなり家を失ったと言っていた。たまたま村の近くで見慣れない物乞いの子供を見かけ、巽が声をかけたのが出会いのきっかけだったはずだ。
    「巽さんは私にとって、生きる希望の光で……」
     灯油ランプの炎がじり、と揺らめく。すぐ傍にマヨイの顔があった。炎に舐められて浮かび上がる白い頬は朱に染まっていた。それが酒のせいなのか、もっと別の何かのせいなのか、残念ながら酔いのまわった頭では上手く答えを導き出せない。区切った言葉の先が続かないまま、少しの沈黙があった。
    「……私の初恋でした」
     困ったように微笑むマヨイに、巽は思わず手を伸ばした。腕の中でひゅっと息を飲む音を聞きながら、強く強く抱きしめる。理性が手を離すよう訴えかけているが、とりもちでくっつけたかのようにまるで離し方が分からない。
     巽さん、と戸惑いを隠せない呼びかけが腕の中でくぐもって聴こえてくる。夢なのではないでしょうかと現実を疑うが、紛れもなくこの腕の中にいるのはマヨイだった。
    「俺もです、俺もあなたの事が好きでした。だから……守れなかった事が本当に悔しくて」
     巽の言葉を聞いたマヨイが少し遠慮がちに背中に回してくる。
    「その言葉……今でも同じお気持ちを持っていてくれますか?」
     絞り出すように告げられた彼の言葉を聞いて咄嗟によぎったのは、今朝がた見せられたお見合い写真だった。何か返事を、と口を開くが急激に喉が渇いたようで、まるで音が出ない。週末には顔合わせに時間を作っておいてね、という母の言葉が心の中で反芻されている。これは警鐘だ。本能に従おうとするこの罪深い自分を律するために神が与えたもうた楔だ。
     返事を出来ないままでいると、もぞもぞと腕の中のマヨイが動いて巽を見上げてきた。潤んだ目尻には恥じらいの朱が乗っている。吸い寄せられるように顔の距離が縮まっていき、やがて暖かい皮膚に触れた。
    「っ……」
     初めての接吻だった。柔らかな感触の唇は濡れていて、ほのかに甘い葡萄の味がする。勝手が分からないまま夢中で繰り返し吸っていると、ざらりとしたマヨイの舌が巽の唇を割って入ってきた。
    「ん、っ……」
     甘美な香りと濡れた熱っぽい舌が自身の理性の箍をあっという間に溶かし、気が付けばマヨイを布団に組み敷いていた。

     
     はあ、はあ、と荒い息だけが部屋の中に響いている。何も言葉は交えていないが、お互いが同じ気持ちである事が今の行為で伝わってしまった。
    「皺になりますから……」
     そのまましがみついていると、やんわりとマヨイに腕をほどかれてしまった。接吻一つでこんなにも胸がいっぱいになるものだったのか。恋を知らずに多感な時期を過ごした自身にとっては初めての経験だった。そのままぼんやりとマヨイを見つめていると、小袖の帯が解かれ、肌を着物がするりと滑り落ちる。
    「ああ……」
     白い素肌がランプに照らされ、柔らかい輪郭で浮かび上がった。それは間違いなく男の体だった。だというのに、思わず零れたのは感嘆のため息だった。
    「美しいです、本当に……」
     熱に浮かれた思考はもはや留まる事を知らなかった。無遠慮に手を伸ばして、マヨイの腕を引く。抵抗なく再び布団に彼を組み敷くと、もう一度彼の唇を吸った。じんと体が熱くなる。夢中だった。マヨイがそうしてくれるように真似事のように舌を絡め、零れる唾液を吸い、歯列をなぞる。まるで母鳥に餌を与えられる雛の心地だ、と熱に浮かされながら思考する。これは生きるために必要なことなのだ、と本能が訴えている。これがもし宗教上の禁忌であれば、もはやそれは生きるには足枷にしか過ぎなかった。巽は唇を蹂躙しながら自身の帯を夢中で紐解いた。もはや、この場に枷は存在しなかった。


    その内続き書きます。
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    tsr169

    MEMO最後まで書いたので支部の方で読めます。
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=22342451

    アラサーくらいのこじれたタイプの巽マヨ いかがわしい雰囲気はあるけどまだ何もしてない 腸内洗浄描写を書くか書かないか決めたら続きを書いて支部に入れます。アルカメン各自モブと付き合ってるあるいは付き合っていた描写があります。
    感作性の愛 あの日に浴びた愛の囁きも、熱も、何もかも全てが毒だった。熱っぽい体を密着させられて、初めてそれに気が付く。
     過剰に反応した体の奥底から一気に噴出してきた熱の塊に、私は息を呑んだ。目の前で彼は日頃の聖職者然とした微笑みを剥がして、ほのかな影を帯びたまま微笑んでいた。
    「俺の事を何とも思ってないのなら、出来ますよね?」
     そう言われて、出来ないなんて言えなかった。否定する事はそこに情がある事を認めてしまうからだ。だんだんと近づいてくる顔をどうにか拒否したいと思うのに体が動かない。唇に温かい皮膚が触れた瞬間に漏れた吐息はすっかり熱を帯びていた。


    「タッツン先輩の引っ越しを祝って……乾杯~っ」
     藍良さんの元気いっぱいのコールに各々の飲み物をテーブルの中心でぶつけ合う。一彩さんはビール缶、藍良さんは甘い目のカクテルの缶、私と巽さんは丁度巽さんが撮影現場で貰ったというウィスキーをジンジャーエールで割って、ライムを切って入れたものを手にしていた。一口飲むと辛い目のジンジャーエールが口の中で弾ける。
    9410

    tsr169

    MEMOhttps://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21262102
    書き終わったので、上記にアップしています。
    ぽちぽち押してもらってめっちゃ活力になりました!!!ありがとうございます。
    オメガバース巽マヨの続きラジオネーム、はっぴーさんからです。『こんばんは、毎週この番組を楽しみにしています』ふふ、ありがとうございます。『今年の風早くんのクリスマスの予定は何をされますか? 私は彼氏と初めてお泊りで温泉に行くので、どきどきです。緊張して変な事をしてしまわないか、今から心配です』おや、旅行ですか。いいですね。
     俺の予定は……そうですね、たしかクリスマスは休みなんですけど、直前まで長期で地方に出かける仕事がありますから、帰ってきたら家でゆっくりしているかもしれません。予定が空いていれば実家に戻ったりもするんですけど、今年はそれも難しそうです。
     はっぴーさんは緊張してしまわないか心配ということですが、緊張しても失敗しても、恋人のそういう面って相手からすれば可愛らしく見えると思いますから。はっぴーさんは緊張し過ぎず……というのも難しいかもしれませんけど、楽しいお泊まりにして下さいね。またどうだったか、ぜひお便りで教えて下さい。
    6121