ラサ誕今日は、日曜日だと言うのに実験があった。
被験者は2名。【ヌビアの子/優しさ】であるオレ、つまりラナーク・クライドと、【ヌビアの子/博愛】であるラサ・リンカだ。
ヌビア理工学、精神被干渉系統の脳波実験を受けてきた────というと、どうも長ったらしくややこしい。要は、『他の人の言ったことや考えたことに影響を受ける【ヌビアの子】は、その時どんな脳波の状態にあるのかを観察します』ということだ。
色々な機械が繋がったヘルメットを被ったまま問答を繰り返すこと1時間。それからやっと解放され、部屋から出る。
「ふぁー、今日もすごかったねぇ」
「せやなぁ」
廊下の長椅子にぐったりと座ると、同じように被験者であったラサがそう言いながら長い息を吐いた。自分よりも年上ではあるが、一回り小さな体。ヌビアの子の誰よりも穏やかで、柔らかな雰囲気の持ち主。そんなラサに、あの厳ついヘルメットは、つくづく似合っていなかった。少しだけ、憐憫に似た気持ちが湧く。
「おつかれさんなぁ」
「うふふ、ラナークくんも、お疲れ様だね」
ラサは肩を竦めて笑った。
何気なく携帯端末を開く。カレンダーが目に入った時、ふと思い出すことがあった。
「なぁラサ」
「なぁに?」
ラサは首を傾げて、真っ直ぐオレを見る。
「明日誕生日やろ?何か欲しいもんある?」
「えっ!」
ラサは口元に両手を当てた。それから、少しだけ頬を赤くする。
「覚えててくれたの?嬉しいなぁ」
「そらまぁ、なぁ」
明日、つまり3月15日は、(双子を除いて)唯一『二人のヌビアの子』の誕生日が重なった日だ。以前に、その双子─────アイールとテネレ─────がそう騒いでいたから、記憶に残っていた。
「ラサと、セーヌが誕生日やったっけなぁ」
「うん。そうよ。ラナークくんに覚えててもらえるなんて、セーヌちゃんも喜ぶよ、きっと」
うふふっ、とラサは笑う。思わず、「どうやろなぁ」と苦笑してしまった。
セーヌといえば、初期のトゥニャと並び立つ人間不信ぶりを抱えている女性だ。ヌビアの子として共に生活してきたこの1年間で、少し丸くなったような気もしないわけではない。とはいえ、それは彼女が全幅の信頼を置くカステルに対してのものであって、自分たち『その他大勢』に向けられたものではない。
オレは少し逸れた思考を、目の前のラサへ元に戻す。
「そや、それで何かプレゼントとかしよかなーって。オレとラサ、割と一緒に実験することも多いし」
「ええっ、嬉しいなぁ」
オレが言うと、何度でもラサはニコニコと笑って、嬉し恥ずかしと言った調子で頬に手を当てる。トゥニャ────今ではラサにぞっこんの彼でなくとも、何とはなくキュンと来てしまう仕草だ、と思った。【ヌビアの子/博愛】でさえなければ、男でも女でも選り取り見取りだったろう。
オレがそんな事を考えているとは(当然)つゆ知らず、ラサは頬に手を添えたまま「うーん」と唇を突き出した。
「でもねぇ」
「おん」
「わたし、今、欲しい物ってそんなに無いのよ」
「ん……物欲のない奴っちゃなぁ」
「物欲がないわけじゃないよぉ」
ラサは顔の前で手を振った。それから、また「でもねぇ…」と口を開く。
「好きだなー、いいなーって思うものはたくさんあるけど、大好きだなー、欲しいなー、って思うものはないんだよねぇ」
ラサはそう言って、何度目かの微笑みを見せた。
オレはそれに上手く返せなかった。いつか、エルベに聞いた言葉が蘇る。確かエルベは、『ラサの【博愛】は万物を程々に愛する、って意味だ』とか、『特別に好いたり、特別に嫌ったり、ってことは出来ねぇんだな』と言っていた。まさに、それが目の前で具現化されているのを見た、という心地だった。既視感にも似た感覚だ。
オレは、行場の無さから頬を掻く。
「……せやけどなぁ。まさか子供やあれへんし、バースデーカードだけ、みたいなんも味気ないやろ」
「うーん……」
しばらくラサは首をひねったが、途端、「あっ」と声を上げた。「思いついたん」と尋ねると、ラサは満面の笑みを見せて椅子から立ち上がった。
「今から、お話しよう。わたしに、ラナークくんの時間をプレゼントしてくれる?」
*****
「どこで覚えた言い回しなん、さっきの」
「えへ、最近読んだ恋愛小説」
場所を変えて、ここはヌビア学研究所内食堂に併設されたカフェテラス。とはいえ、日曜日の今日、ひと気はほとんど無い。オレは自動販売機でココアとコーヒーを買うと、ココアをラサの前に、コーヒーをオレの前に置いた。ラサは遠慮したが、ほんの少しの誕生日祝い(物品編)も兼ねているという説得で押し切った。
オレはテラス席、ラサの正面に座る。
「ほんで、何話したいん」
言ってから、我ながら珍しいことを聞いたな、と思った。
普段なら、『何がしたい』など、聞かずとも分かる。【優しさ】のせいで、勝手に耳に飛び込んでくるのだ。
ところがこのラサに限っては、声にしてもらわない限り『何がしたい』のか分からないのだった。互いの『相手の望むとおりにする』性質が相殺し合うのか、或いはラサが性格か性質ゆえに強烈な『〇〇したい』を持っていないためか。
オレはそんなふうな考えをさて置くと、コーヒーを口にした。ラサは、少しだけ遠慮がちな声を上げた。
「あのねっ、………恋バナがしたいの」
─────危うくコーヒーを吹き出すかと思った。
「恋バナ?」
「うんっ」
「オレと?」
「うんっ」
ラサの顔はキラキラしている。
恋バナ。
確かにラサは、自分が恋愛をできない分、他所の恋愛に強い興味を持っている。それは知っている。
しかし、恋バナ。オレと。これはどういうことだろう。
(思い出すんや、今までこうやって恋バナを仕掛けてきたやつは皆誰かと自分をくっつけたいとか、貶めたいとか、そんなふうに思っとったやろ)
同時に、(しかし、ラサが?)とも思う。
相手の真意が読め過ぎて困ったことは多々あれど、相手の真意が読めなすぎて困ったことは多くない。
(どういう意味や!?)
困って、戸惑う。解を求めて、能力の濫用を試みる。こんなこと、普段は決してしないのだが、敢えて相手の願望に耳を傾ける。辛うじて小さく聞こえた声は、
『恋バナがしたいの』
─────何も変わらなかった。裏も表もない本心だった。
「………いや、恋バナすんのはええんやけど。相手、オレでええん」
オレが頭を抱えながら聞くと、ラサは元気に「うんっ」と頷いた。
「あのね、あのね。皆に悪いかな〜と思って、聞けてないんだけどね。【ヌビアの子】の皆の恋愛事情、すっごく興味あるの。ラナークくんなら、わたしより、詳しそうだし」
ラサは普段よりも幾らか早口に、そして顔を赤くして、そう言った。
─────純然たる、恋愛への興味。それ以上でも、それ以下でもないのだろう。思わず乾いた笑いがこみ上げる。
「はは……別にええけどさ。そんなおもろいもんないで」
「そんな。例えばええと、エルベくんとか」
ラサがすかさず言う─────また危うく吹き出しそうになった。
「なな、なんでまたエルベなん」
思わず呂律が覚束なくなる。ラサはキョトンとした顔を見せた。
「えっ、だってラナークくんとエルベくん、仲いいじゃない。高校生組だし…」
「あー、うん、せやな、せやなぁ」
オレは項を掻いた。ラサの『恋バナをしたい』に『真実を話してほしい』が含まれていないのをいいことに、「知らんなぁ、アイツ結構、軟派モンやしなぁ」とだけ誤魔化す。
(まさか、ラサの母ちゃんにガチ恋してんで、とは言えへんし)
オレは、曖昧な笑いが引きつっていないことを祈った。まさかこれから、トゥニャのことやハンザのこと、フエのことまで聞かれるのだろうか。
───想定外に、ヘビーなお祝いになりそうだった。