無題「ここは自習室じゃあないのだが?」
本来であればドリンクを置くバーカウンターには、数式だらけのプリントが散らかっている。赤いストローを差したカップの坊やはその上に片頬をつけ、苦悶の表情を浮かべながらうんうんと唸っていた。
かたやカウンター内で呆れた表情を浮かべるのはダイス頭の男。このカジノの支配人であり、我々の上司だ。
「分からないならキミのお友達や家族にでも聞けばいいだろう。こっちはただでさえキミがここに居るのを我慢してやっているのに」
「いっつも手伝ってもらってるよ!でもっ、それがなんか悔しくてっ、今回はみんなの手を借りずにできるって言っちゃって……」
坊やは勢いよく顔を上げて反論したかと思えば、言葉尻はか細くなり、しまいには俯いてしまった。
「出来もしないことを宣言するなんて愚か者のやることだな」
ミスター・キングダイスはジト目でグラスを拭きながらため息混じりにそう言い放つ。刺激に弱い年頃になんて辛辣な!やれやれ、常に客のご機嫌取りをする胡散臭い笑顔はどこへやら。
あの日以来、ミスターはカジノの再開に向けて準備を進めるなか、時折訪れる坊やの対応には随分と頭を抱えていた。自由すぎる彼の言動に振り回される度、ミスターは「あの時了承するべきではなかった」と、脈絡の無い言葉を並べてしばしば悔やむこともあったが、
「意地を張るところは誰かさんとそっくりだな」
こんな面白い光景、口を出さずにはいられない。常に貼り付けた笑顔を振り撒き、何を考えているか察されたく無い彼の、感情的になるさまときたら抱腹絶倒。腹ないけど。
「どうせ宿題もここに来る口実なんだろ?」
「はぁ?!ち、ちがうよっ!!オレは本気で悩んでんのっ!!」
俺は両方の睨み顔を浴びる。おーコワッ!
「大体、こんな計算いつ使うんだよ。オレ、フツーに過ごしててぜんっぜん使ったこと無いんだけど」
「俺は学校に行ったことはねえが、こいつは結構使うんじゃあねえか?」
項垂れる坊やを見て俺はそう言うと、鼻で掛け算の問題を指した。
「首を突っ込むなスモーキー、それは彼の問題だろう」
「じゃあ、我らがカジノの支配人・ミスターキングダイス。ある客がルーレットでストレート・アップに17ドル賭けて勝った場合の払戻額を、客の仲間3人で分けると1人あたりの利益は?」
「204ドル」
「ほれ、乗った」
「何だよそれっ!呪文かよ!」
聞き慣れない言葉に目を白黒させる坊やを脇目に、ミスターはテーブルに転がる鉛筆をとって、ワークシートの空いたスペースに式を書いた
「17の36倍を3で割る、式にすれば単純な掛け算割り算だよ」
俺が坊やの耳元で解説すると、ミスターは次のように続けた。
「仕事で使うから覚えただけ。配当金くらいすぐ計算できなきゃ、ゲストの気分を損ねかねないからな。売り上げや給料、管理費だって、計算する者がいなければ、ここはすぐ崩壊する……折角の生きる術も、自分ごとにできないやつは、いつまで経っても成長しないだろうよ」
「……うっせー!!!オレだってこんな簡単な問題っ!聞くほどでもないと思ってたしっ!!ナメんな!!!」
「おーおー、頼むから早く片付けて出てってくれクソガキ」
真っ赤な顔で中身を沸騰させた坊やに対して、彼は少し面白いと思わんばかりにニヤリと笑う。全くこの人は、小さな子供さえも容赦なく焚き付ける。
「ほーんと、どっちが子供なんだか」
勢いよくカリカリと鉛筆を走らせる音は、やはりこの空間には異質なものだった。