瓦礫の隙間から差し込む夕日に目が覚めたとき、頼人はまず夕飯の心配をした。
腹が減った、というわけではない。その日は両親が夜遅くまで働くということで、夕飯は頼人がつくらねばならなかった。任務がある日くらい姉が作ってもいいんじゃないかと頭をよぎったが、すぐに思いなおした。夕飯が出されなければ姉は何も食べないかもしれない。健康の基本は、規則正しい食生活。オーヴァードでもそうでなくても、そこは一緒だ。
頼人は背中におぶさる瓦礫をよけ硝煙のにおいが残る施設から外に出た。UGNに迎えを頼もうと通信機を取り出すが、ひしゃげて使い物になりそうにない。支部までは歩いて3時間ほど。支部に帰って報告書をあげて、それから家に戻るとなると、夕食にありつけるのは日をまたいだ頃になりそうだ。やはり今日は姉に作ってもらおう。そのためには、ともかく支部に戻って連絡をしないといけない。
頼人は早足で歩き出した。
月が静かに街を照らす頃、頼人が戻った支部はもぬけの殻だった。宿直の当番だったエージェントも居ない。
頼人は自分のデスクに向かった。だが、自分のデスクの上には物ひとつ置かれていなかった。書類も、ペンも、先輩のエージェントから貰ったお気に入りの置き時計も、自分のカバンすら、なにひとつなくなっている。
空き巣かとあたりを見回したが、他のデスクはいつも通り書類にまみれている。そもそも頼人が保管していた書類といっても、支部で使う備品のリストだとか、修理を依頼されていた機器のマニュアルだとか、盗むようなものではない。だとすれば、誰かが片付けたのか?
「ったく、いつまで泣いてんだよ。泣いたって、あいつは帰ってこないんだよ」
廊下から男の声が聞こえてくる。「だって、仕方ないじゃんか」と、覚えのある女の声。
頼人が振り返ると同時に、事務所の扉が開いた。
そこには、支部のみんながいた。
みんな、いつもよりもすこし息苦しい、スーツ姿だ。というか、朝に支部に来たときとは服装が明らかに違う。泣いているハルさんが着ているは黒色のパンツスーツ。暗い気持ちになるから嫌いと言っていた色だ。その隣でリクさんがあんぐりとこちらを見ている。明るくてがたいが大きく、シャツは着てても背広姿は見慣れない。ましてや、黒色のネクタイなんて。
まるで喪服だ。
みんなが、支部のみんなが、喪服姿だ。
「え……っと。もしかして……」
そこでようやく、頼人は気づいた。
作戦中に死んだ人がいるんだ。おそらく撤退戦の途中で残党に襲われたのだろう。
いや、でもそれじゃあ……。
「……保護対象は?」
誰かが息を飲んだ。
「歩くんは、無事なんですか」
だれも、何も答えない。答えられるはずもない。攫われた少年の名を知っているのは頼人だけだ。
「生きてるんですか?なんでみんな喪服なんですか、いったい誰が死んだんですか!ねえ!」
声を張り上げた頼人に重なるように悲鳴が部屋に響いた。怯えきった目のハルさんが、みんなが、こっちを見ていた。
「……おまえは、誰だ」
地鳴りのように震える低い声音が、頼人を睨むリクの腹から出てきた。
「誰って、オレは——」
「あの作戦で死んだのは、死んだのはなぁ……」
リクさんは、何も言えなかった。涙を拭うこともせず、ふっと視線を、からっぽになった頼人のデスクにずらした。後輩にあげた時計がまだそこにあるかのように、じっと見つめていた。
それで頼人には十分だった。
月が中天を過ぎようとしている。
起きてからずっと、自分の腹がまったく減らないことに頼人は気づいた。