元巨ネコ山とびょと牛島くんの真っ向コミュニケーション、サブエンド「お前さぁ、みんな心配してんだから、気をつけろよな」
スマホから聞こえる日向の呆れを含む第一声に、影山は電話口で首を傾げた。無音が続いたことで、影山が何もわかっていないと察した日向が「スキャンダル」と単語を口にした。
その言葉で何のことか理解し、また撮られたのかとどこか他人事のように思う。
相手は誰だったか、性別すら覚えていない。遊びのつもりはないけど、いつも1ヶ月ともたずに別れを告げられてしまう。
「なあ、牛島さんは何も言わねーの?」
___何か言われてたら、そもそもこうなってねえよ!
苛立ち混じりの反論をぐっと飲み込んだのは、日向の声色に本気の心配を感じ取ってしまったからだ。影山だって、こんなつもりはなかった。
牛島が過去をどの程度覚えているかは不明だが元飼い主を自認しているし、「(他の猫に)浮気しない」と宣言した通り、猫も飼っていなければ独り身には少し広い部屋で暮らしている。現役の頃、先に引退した牛島に誘われ何度も泊まりに行ったし、いつのまにか部屋の扉には「影山」というネームプレートが付けられていたから、てっきり影山の引退後に2人で住む家だと思い込んでいた。
なのに薄情な元飼い主は、影山の引退試合をコートすぐの最前列で見届けた後、「よくやった」と一言かけただけで早々に帰ってしまったのだ。そうしてコートの外にポツンと取り残された影山の前には、圧倒的な自由だけが残った。何でもできる無責任な世界は野良猫時代を思い出させ、寄る辺のない心は牛島を想って鳴いた。けれど、どんな声で鳴いたって牛島には届かない。昔は別の部屋にいたって、ひと鳴きすればすぐ来てくれたのに。
無視されてささくれた心のまま当て付けにも似た気持ちで飼い主を代替した結果が大量のスキャンダルだ。苦言でも注意でも何かあると思っていたのに、これだけ多くの人間に擦り寄って撫でられても、一向に牛島からの音沙汰はない。
「連絡してみねえの?」
「しねえ。どうせもう俺に興味ねえんだろ」
自分で言って虚しくなり、無意識にか細い鳴き声が鼻から漏れた。日向が「あぁ、もう〜」と途方に暮れたため息をつくが、影山にだって止められない。
黒猫時代、一与の家を間違って飛び出し迷子になって帰れなくなったように、もう牛島の元への帰り道がわからないのだ。
ブラジルの強い日差しを避けるように日陰を陣取りスポーツ飲料を飲んでいると、鼻や頬に砂をつけた日向が喜びと困惑を混ぜたような不思議な顔をしながらスマホを片手に隣に座った。
「なあ、これ」
「あ?」
差し出されたスマホを受け取ると、液晶画面には懐かしい姿があった。引退してからほぼ一年、奇跡的なすれ違いにより直接見ることのなかった薄情な男が映っている。
「んだよ」
「んー、ラブレター?いや、プロポーズ?」
「は?」
浮かれた言葉にギョッとして見るのを躊躇っていると、とりあえず見てみろと日向が再生ボタンを押した。
切り抜き動画のようで、牛島に対面しているインタビュアーが脈絡もなく影山の名前を出した。
「ありがとうございます。では、少しプライベートな質問ですが、最近、影山元選手には会われましたか?」
「影山?会ってないな」
「そうなんですね。影山元選手は引退してからのスキャンダルが多く、ファンの方から心配を寄せられています。一部では、風紀の乱れを懸念する声もありますが、牛島さんはどう思われていますか?」
そわつくインタビュアーの下世話な質問に、全身の血の気が引く。牛島は何と答えるだろうか。嫌悪、軽蔑、無関心。揺らぐことのない牛島の表情から、あらゆる絶望が分岐している。
「そうだな……」
心臓が破裂しそうに脈打つ。
けれど、少し考えるように斜め上をみた牛島は、カメラを真っ直ぐ見つめるとゆるりと目を細め嫋やかに微笑んだ。
「引退してもう1年経つ。気が済んだなら、拗ねていないで帰ってこい」
スマホの画面がミシリと軋み、日向の悲鳴が遠くに聞こえた。
___拗ねていないで帰ってこい???
まるで、影山の我儘で帰らないみたいな言い方に抑えきれないほど腹が立つ。しかし、自分の意思では制御しきれない透明な尻尾が、ビタビタと地面を叩いた。
「よ、よかったな?」
「あ"ぁ"?」
「ヒィッ!!」
影山の手からスマホを奪った日向が、1メートルほど後ずさる。
「日本、帰んのか?」
恐る恐る尋ねる日向に「ぜってえ行かねえ!」と言えたならどんなに良かっただろう。心の中で牛島を罵倒しつつも、脳内ではもう最速で日本に行く算段をつけている。
影山の緩く上がる口角を見た日向が、良かったなとブラジルの日差しに負けないくらいに笑う。悔しさと喜びと感謝を込めて砂で汚れている日向の鼻に自分の鼻で触れると、一瞬黙った後にオェと吐く真似をしたので、容赦なく右の猫パンチをくれてやった。
日本に帰ると決めたものの、「帰ってこい」と言われてノコノコ帰るのは癪に触るので牛島には帰国の連絡を入れなかった。
成田空港の到着ロビーに降り立ち、久しぶりの日本の空気に深呼吸した時、記憶よりも数段渋みのある低い声で名前を呼ばれ、一瞬息が止まった。
「影山」
「は?何で……」
「日向からお前が日本に帰ると連絡をもらった」
呆然と立ち尽くしていると、静かに影山との距離を詰めた牛島に優しく抱きしめられた。
「おかえり」
散々放置していた癖に!と拗ねる心は今すぐこの腕から抜け出したいと思うのに、素直な体は無意識にごろごろと喉を鳴らし、最愛の恋人を抱きしめるみたいに両腕が牛島の背中に回る。
陽だまりのような穏やかな声に、懐かしい匂い。帰ってこれたという安心感が喉を通り、甘えた鳴き声が漏れる。
髪を撫でられて一層甘く鳴くと、牛島は少し焦ったように影山のキャップを深めに被せ直し、「帰るぞ」と言って影山の手とスーツケースを掴み歩き出した。