魅入られた者 俺がその少年を見かけたのは、偶然のことだった。
年の頃は十に届くかどうか。
友だちだろうか、白髪に赤い目の少年と一緒に広場の噴水の傍らで休んでいる様子だった。
その子は、長く伸ばした黒髪を編み込みにし、前髪は垂らしていた。
女の子のように美しい顔立ちだが、周囲に目配りする目つきはその年に似合わず鋭い。
何よりも印象的なのは、その瞳だった。
暗いチャコールグレーの瞳に水面に反射した陽光が射し入り、闇の中に焔を灯したように輝いている。
俺は息を呑んでその場に立ち尽くした。
雷に打たれたように、その焔に魅入られて麻痺していたのだ。
と、彼がこちらをちらりと見た。自然な風を装って周りを見回すその途中でたまたま視線が過ぎった、それだけのことかもしれない。だが、俺はその視線に射抜かれたように感じて身を震わせた。
黒髪の少年は笑顔で白髪の少年に話しかけ、手で遠くの何かを指差した。
白髪の少年は、パッと輝くような笑顔になると、大声で「よし、行こう!」と叫ぶと走り出した。
「おい、待て、一人で行くなってば!!」
黒髪の少年がやや忌々しそうな表情で呼び止めると、白髪の少年が叫び返す。
「早く来いよ、ジャミル~!!」
ジャミル……あの子の名前……。
ジャミルと呼ばれた少年は、また鋭い目で周囲を見回すとすぐに白髪の少年の後を追って走り出した。
噴水の側であの少年、ジャミルに出会ってから数日。
俺は、アトリエに引きこもって何度も何度も石版に彼の姿を描いては消し、描いては消していた。
思い切って画布に下絵を写して着色し始めてみたが、どうしても思うように描けない。俺は苛立ちのあまり、描きかけの画布を引き裂いて捨ててしまった。
あの瞳が目の奥に焼き付いて離れない。
なのに、思うように描き出すことが出来ない。
それがこんなにも苦しいなんて。
あの昏く美しい焔を、この手で描き出したい。
もう一度、あの炎を見ることができれば、上手く描けるのだろうか……?
俺はよろよろと立ち上がると、街の雑踏に当てもなく彷徨い出ていった。
どのくらい彷徨ったろうか。
俺は、とうとうあの子を見つけた。
後をつけて、人気のない路地の前に来た時に、声を掛けた。
「あ、あの……。ちょっと話を聞いてほしいんだ」
少年は振り返ると、驚く様子もなく応えた。
「なんですか?」
短い返答。
「君の目を見せて欲しい」
その時初めて、ジャミルは意外そうな表情を浮かべた。
……俺は何を言っているのだろう?
俺は、この子を見つけたら何をどうしたいのか、なにも考えていなかったことに気がついた。
手が届きそうなすぐ先に、あの仄暗い焔が燃えている。もっと見たい。もっと近くで……!
俺の手が、考えるよりも先にその焔に向かって伸びた。
気がつくと俺はジャミルのか細く幼い身体を石畳の上に押し倒し、その瞳を間近に覗き込んでいた。
仰向けに倒れたジャミルの顔を路地に差し込んだ陽光が照らし、瞳の奥の焔を|燃え立たせる。
夢にまで見たあの焔が、あの色彩が、いま目の前にあった。
これだ、この色、この焔だ……!
今度こそ、今度こそ上手く描ける……。
そう思った時、耳元に囁く声がした。
「瞳に映るはお前の主人……」
そして俺の意識は途切れた。
街の雑踏の中を、ふらふらと危うい足取りで歩く男がいた。髪は乱れ、服装もちぐはぐで、口の中で何かぶつぶつと呟きながら、中空を虚ろな目で見上げていたかと思うと、突然怯えたように顔を両手で覆ってその場にかがみ込む。
自然と彼の周りには空間ができ、人の流れは彼の周りだけを避けて流れてゆく。
もしかしたら、男の近くを通った者には彼のつぶやきが聞こえたかも知れない。
「すまない……。そんなつもりじゃ……。許してくれ……。ああ! 焔が! 焔が……!!」