無題ダイユキ〜完〜
寝ている雪ちゃんにキスしちゃった大君の話
「さっきまで作曲してたみたいだったけど寝ちゃったの」
疲れてるのかもしれないわね、バーカウンターの向こうでアキコがくすりと小さく笑う。
「戸締りはして帰ってね」
ひらりと手を振ってアキコは帰って行った。
店主であるアキコの背を見送ってから、テイクツーのカウンターに突っ伏して寝ている雪祈を大はまじまじと見る。
初めて見た雪祈の、無防備な寝ている姿。好奇心と悪戯心が疼き、寝ている雪祈に悪戯してやろうとか、写真撮ってJASSのSNSアカウントに載せてやろうとか色々考えたが大は何も出来なかった。
雪祈は深夜のバイトに作曲にピアノの練習、あまり通っていないと言っていたが大学にも通っているのだ。大や玉田だって日々色々な事を頑張っては疲れてはいるが、雪祈は体育会系の二人と違い文化系の人間である。基礎体力が違うのだから疲れるのは当然の事だろう。疲れているのなら玉田が来るまで寝かして置いた方がいいかもしれない。
眠っている雪祈の横に腰を掛け、穏やかな寝顔をじっと見つめる。屋外でのバイトもあると言っていたが、それにしたって雪祈の肌の色は白かった。よく見たら睫毛が長いとかムカつく位かっこいいとか、様々な思いが大の心の中で渦巻く。
「雪祈」
名前を呼ぶが返事は無い。
寝ているから当たり前の筈なのに、それが酷く寂しく思えた。普段ならば雪祈と名前を呼べば振り返り名前を呼び返してくれる、そんな当たり前が無いのが寂しい。
そんな寂しさを紛らわす様に大は雪祈の手を握る。手の手入れは欠かさず行っていると言っていた雪祈の手は滑らかですべすべしていた。
「……ん、……んぅ……」
手を撫で回していると雪祈が身動ぎをしながら小さく吐息を漏らす。起きたかと思ったが雪祈は起きないままだった。
身動ぎした際に、今は結われていない黒髪がサラリと流れて雪祈の顔を隠す。顔が見えなくなってしまった事が気に入らず、大は雪祈の滑らかな黒い髪に触れて耳に掛ける。顔を見ていたかった。顔を見ているだけで満足だった。
「……だ、い……」
寝言だった。雪折の瞳は開かない。
でも雪祈は確かに大の名前を呼んだのだ。
名前を呼ばれた瞬間、大は動いた。
雪祈の大切な手に触れたまま、白い頬に唇を寄せてしまった。
瞬間的に唇を離して大は考える。
頭の中が真っ白だった。
何故自分は雪祈にキスをしたのか。何故?何故ってそんなの決まっている。
キスをするというのは、それはつまり、そういう事である。
「わりぃ!!遅くなった!!」
「ぎゃーーーーーっ!!!」
「はぁあっ!?は!?なに!?何だよ!!」
遅れて来た玉田が息を切らしながら店のドアを勢いよく開けた時、大は弾かれた様に飛び上がり絶叫した。すやすやと気持ちよく眠っていた雪祈は大の絶叫で目を覚ます事になる。驚いた雪祈はカウンターの椅子から転げ落ちてしまう。
その日の練習中、雪祈はずっと不機嫌だった。
その日の練習中、大はいつも以上に練習に集中した。少しでも気が緩むと雪祈の事を考えてしまう。
二人の音を聞き、己の内側に燃える熱いモノをサックスにぶつける。そうでもしないと心が爆発してしまいそうになる。
否、もう爆発してしまったのかもしれない。
爆発して、今も尚激しく大の心は燃え盛っていた。早く消火しないといけないのに、恋という名の炎は消える気配もないまま大の心の中に産まれてしまった。