幼馴染じゃないっ 2 ***
「なんでだ。なんでオレは傷ついてる。別にいいじゃねえか。アイツが大寿に惚れててなんの不都合があるんだ」
イヌピーが入院している間は集会に参加しない、と大寿に連絡を入れるとき、彼とイヌピーのいかがわしい関係について想像しなかったと言えば嘘になる。見目には釣り合っている気がした。立ち姿がさまになる二人だ。だからこそ、チームの構成員たちは彼らに憧れてそこにいるのだろうし。
「……てことはなんだ? どっちが女か知らねえけど……大寿はオレの世話を自分のアレに任せたってことか? だったら先に言っとけよ……」
だから、しつこく「乾に興味があるのか」なんて聞いたのだろうか。もしそこでオレが肯定したら、どうなっていたのか。
数日、そのことでとことん悩んだら、多少は気が紛れたようで、一日中そのことを考えているような時間は少しずつ減っていった。
退院は一週間後と聞いていた。でも、彼は今オレの家の玄関前にいて、威勢よくバイクにまたがってオレを見ている。
「乗れ。ボスに退院したって言いに行く」
「……え? まだ入院してるはずだろ?」
「もう治った。少し早く退院させてもらっただけだ」
予定では、あと四日は病院にいるはずだ。退院したところでけが人には変わらず、安静にしているべきなのに、本人は平然とバイクを転がし、後ろに乗れと言う。
「おいおい、まだ治ったわけじゃ……」
「いいから乗れ。病院暇すぎ」
彼がこんなに話すのは珍しい。それにつられるようにしてバイクにまたがり、黒龍のたまり場の一つ、そこにいた大寿の元へと連れて行かれた。
数人の構成員を連れていた特攻服姿の大寿を見て、イヌピーがバイクを停める。大寿がこちらに気づく。周りにいた男たちが少し距離を取った。もしかして、構成員たちも彼らのただならぬ関係を知っているのだろうか。思いつつ、オレはバイクのそばに立ち尽くしていた。
「退院した。ココは無傷だ。ちゃんと守りきった」
「もういいのかよ」
「ああ。問題ない」
オレは、その場をそっと立ち去ろうとした。オレが無傷であることを大寿に見せれば納得すると思って連れてきたものとばかりに思っていたので、それなら久しぶりの逢瀬だろうから気を利かせたつもりだった。
だが、察したイヌピーがオレを呼び止める。
「ココ、どこに行く」
そういや、ココ、と直接呼びかけられたのは初めてかもしれない。他のメンツはオレを「ココ君」と呼ぶのに、遠慮のないヤツ。
「オレは帰るぞ、別に用はねえだろ? こうしてピンピンしてる姿を大寿に見せたんだから」
「何言ってんだ。オマエはしばらくオレのそばにいろ」
イヌピーが言って、大寿がそれに同意した。こちらが一方的にボコボコにされただけのはずだが、それでも彼らのイヌピーへの恨みは相当なものだと言う。一人歩きはするな、と言われてオレは困惑する。
「一人で歩くなったって、オレは学校にも行くし、家に帰りゃ一人だし……」
「荷物もってうちにこい。学校にいる間は平気だろうが、送迎はオレがする」
「は?」
大寿は黙ってオレらのやり取りを見ている。もしや、コイツの差し金なのだろうか。だから、こんなにも強引で、一歩も引こうとしないのかも。
「とにかく、送迎なんかいらねえよ。オレがどんな誤解受けると思ってんだ」
別に優等生ってわけじゃない。成績だけならオレも大寿も優等生かもしれないが、素行の悪さはそれなりに知れ渡っていて、同級生はオレらを当たり前に怖がっている。
「誤解ってなんだ」
イヌピーがきょとんとしている。無表情でいることの多い彼には珍しい。やはり、親しい相手がそばにいると違うものなのだろうか。
「オマエらみたいな見るからに怖そうなヤンキーに送迎なんかされたら、学校でのオレの評判が落ちるだろ」
オレの言葉に、大寿が笑う。
「何が評判だ。オマエだってオレとそう変わんねえだろ。オレよりタチ悪ぃくせに笑わせんな」
「とにかく、オレが送迎する。家にくるのが嫌なら、朝も放課後も一人になるな。安全な場所でオレを待て」
イヌピーが言って、大寿も納得して、オレの意見なんて無視で何もかもが決まってしまった。出来上がった二人の間にオレが口を挟めるはずもなく、仕方なしにオレは、彼らの提案を受け入れることになった。
***
翌日から、送迎は始まった。まだ怪我人のはずなのに、イヌピーはけろりとしている。オレを後ろに乗せるとバイクを発進させ、放課後は何時に迎えに行けばいいか、と聞いた。
「オマエ、遅刻魔じゃなかったか?」
朝も、ちゃんと決まった時間に迎えにきた。放課後の時間を知らせると、それまでに必ずくると言う。携帯の番号を交換した彼に聞くと、彼が偉そうな顔を作る。
「ボスの命令だ。オレは従うのみ」
こいつも子犬みたいなヤツなんだなあ、と思いつつ、あっそう、と返事をした。だいぶ慣れたのか、ショックは少しずつ緩和している。
「帰りは何時だ」
イヌピーが聞いた。
「十四時半。裏門に出る」
「わかった。マジでオマエ、怪我ねえのか」
聞かれて、オレは自分の全身を見下ろした。制服姿で彼の前に立つのは初めてだ。オレが自分を見下ろすとき、彼もまじまじとオレを見ていることに気づく。
「そういやオマエ、学校は」
誰もがビビりそうなヤンキーとそのバイクをそばに置いたまま、オレはすっかりそのことを忘れて会話をしていた。
「行くわけねえだろ。行ってどうすんだ。オマエ、頭いいんだってな。ボスが言ってた。オマエやボスみたいなのは学校行く意味もあるだろうけどよ」
彼はそれだけ言うと、また後でな、と背を向ける。
「……おう」
オレの知らないところで、二人が会話している。そんな当たり前のことを考えるだけで、どこかこう、ぎゅっと胸が痛いような気がするのは何故なのか。そして、オレの横を通り過ぎる同じ学校の生徒たちが、イヌピーに恐れ、恐ると同時にちょっと見惚れるのを見つけるたびに、心が勝手に優越感に浸るのは何故なのか。この時のオレはまだ知らなかった。
***
ただ、送迎はやはり居心地の悪いものだ。特に、相手がオレのためではなく大寿のためにそれをしていると思うと、どうしても拒みたくなる。最初の数回は大人しく従ったオレが、イヌピーを無視して勝手に帰宅するようになるのは早かった。
イヌピーが激怒したことは言うまでもない。命令を守れないことは彼にとって相当なストレスになるようで、大寿に文句を言いながら、オレにちゃんと約束通りの場所で待つように言う。
「遅刻したわけでもねえのに勝手に帰んな!」
「予定より早く終わったのにオマエ待ってるとか時間の無駄だろ」
「うるせえ。待てって言ったら待ってろ!」
「オレはオマエと違って、人の命令になんか従わねえんだ。いいなり君は楽しいかよ」
「なんだと?」
だんだんと口汚く罵りあうようになったオレとイヌピーを、見かねた大寿が制して一応喧嘩のようなものはおさまった。
イヌピーは無表情に怒りを表し、オレたちから遠ざかる。その隙を見計らって、オレは大寿に耳打ちした。
「アイツにやめさせてくれ。送迎なんかいらねえし、心配しすぎだ」
オレの言い分に、大寿は面白そうな顔を見せる。
「この件に関しちゃオレは命令なんかしてねえぞ。やめさせてえならテメエで乾を説得しろ」
「嘘だろ? 大寿に言われたわけでもねえのになんだってあんなに……」
「さあな。オマエに怪我させんなとは言ったが、送迎までして一日中一緒にいるようにしろ、なんてことは言ってねえ」
オレは内心、明日も先に帰ってやろうと思っていた。元々、迎えの時間は少し遅めに設定している。なので、学校が終わった途端に走って帰ればイヌピーは絶対に間に合わないとわかっているからだ。
そうして、翌日の放課後も授業が終わるなり教室を飛び出し、裏門を通ってさっさと帰ろうとすると、オレが裏門を飛び出したところで、バイクのホーンが大きな音を響かせ、オレはつい足を止めて音の方を見た。
バイクにまたがった美形がオレを見てニヤニヤと笑っている。手招きをされてオレは諦めて彼に近づいた。走って逃げたところでバイクではすぐに追いつかれるし、最悪キレたコイツに轢かれかねない。
「……早いじゃねえか」
オレが言うと、イヌピーはいやらしい笑顔を引っ込めていつもの仏頂面になる。
「オマエが勝手に帰るんじゃねえかと思って先にきてた」
「……マジでオマエ、ボスの言いなりなんだな。オレの送迎なんて面倒なこと、ない方がいいだろ」
彼の後ろにまたがったオレが言うと、彼がオレを振り返った。
「面倒でもなんでもない」
「暇人」
「うるせえ」
「こんな時間があったらデートでもしてろよ。オマエどうせモテんだろ?」
「僻んでんのか」
「おうおう、僻んでるよ。ったく、放っておいてくれ」
オレが言うと、バイクが急発進する。そして、いつもなら右に曲がるオレの家へと続く道を左に曲がった。
「おい、道が違うぞ」
風で聞こえないだろうが、彼に近づいて肩越しに声をかけると、イヌピーの視線が一瞬オレを見て答える。
「そうか? こっちで間違ってねえ」
「家と逆方向だ!」
「誰がオマエの家に行くなんつった?」
オレは、彼の後ろにまたがったまま、はぁ? と顔を歪めてしまった。正面を向いている彼には見えないから意味はないだろうが、こんな風に、オレの予測を超える行動を勝手にとるようなタイプは、一番苦手なんだ。
到着したのは商店街の一角だった。寂れていて閉店した店が多く並ぶ中の一つに連れていかれる。なぜか、イヌピーはそこの鍵を持っているようで、そっと中に入り込み、オレを手招きする。
「なんだ、ここ」
テナントだった、ということだけはわかった。無機質なコンクリートの床、散乱するゴミ、長いこと空いたまま放置されているようで、路面の窓は全てシャッターがおりていて、入り口にはカーテンがかけられていた。
「昔、オレの尊敬してる人が経営してた店。今は潰れた」
「……で、その人は?」
「……さあ。知らねえ」
「勝手に入っていいのかよ」
聞きながらも、だから合鍵を持っているのか、と納得する。きっと親しい相手だったのだろう。
「ボスは怒んねえと思う」
「ボス? 大寿なのか?」
「違う。昔、オレのボスだった人だ」
部屋の隅に、薄汚れたソファと小さなテーブルがある。コンビニの袋が散乱して、ペットボトルもあった。
「オマエ、もしかして普段ここにいるのか?」
「家に帰らねえときはな。ここは、オレだけのアジトだ。羨ましいだろ!」
「は? ふざけたこと言うな」
アジト。ガキの頃なら喜ぶようなワードだ。しかし、なんだって、オレをこんなところに連れてきたのだろうか。先を歩いて奥のソファに腰を下ろしたイヌピーがオレを手招きする。黙って近づくと、隣を叩くので腰を下ろした。
「……明かりもねえんだな」
「懐中電灯がある。全部拾ってきたもんだ。ソファは運ぶの大変だった」
「で、オレをここに連れてきてどうするってんだ」
「すげえ迷った。でも、ここが一番安全だ」
イヌピーは、言いながらオレに剥き身の鍵を渡してくる。
「なんだこれ」
「持っとけ。何かあったらここにきたらいい。オレに用があるときでもいいしな。オレは大抵一人でここで寝てる」
いらない、と反射的に突き返しそうになった。渡された鍵を見つめたまましばらく黙り込み、どうしてこんなことをするのか、と聞こうとして隣を見たら、イヌピーはソファに寄りかかって目を閉じていた。
***
「マジ? こんな短い時間でオマエ寝んのかよ。てか、説明しろよ。なんだってこんなとこに連れてきたんだ」
意味もわからないまま、オレは受け取った鍵をポケットにしまう。
いつ起きだすかもわからない。視線で起き出さないかと思って睨みつけて見ても当然反応はなく、男にしておくには惜しいほどに綺麗な寝顔が隣にあるだけだ。
せめて眠っているときくらい、もっとブサイクでもいいはずだろ、と悪態をつきながら長いこと、隣からイヌピーの寝顔を眺めていた。
「すっげ……睫毛長えな……邪魔じゃねえのか」
喧嘩ばかりしていて、日中は学校にもいかずに街中をふらついているだけの不良が肌の手入れなんかしているはずもないのに、色白の肌には傷一つないし、みずみずしい唇が少しだけ開いた状態で眠る様子は、年齢よりもさらに幼く見えた。
自分でも、どうしてそんなことをしたのか、理由を言えと言われたらわからない。ただ、無防備に眠る綺麗な男を見て、なんとなくそうしてみたくなった。
そっと重ねて離れるだけの軽いキスだ。一瞬触れ合った程度で、キスとも呼べないようなものなのに、離れた後でもドキドキして落ち着かない。
「……な、なにしてんだオレ……」
ドキドキする胸を押さえてイヌピーを見る。起きる気配はない。本当に、何をしている。
イヌピーが目を覚ましたのは一時間ほど経ってからだ。なんで起こさねえんだ、とか、腹が減った、とか勝手なことを言う彼に、いつものオレなら言い返すところを、何も言わないまま彼のアジトをでて、飯くらい奢ってやる、と安いファストフードに彼を連れて行ったのは、オレなりに勝手なことをして悪かったと思っているからだった。
「送迎の何が嫌なんだよ。帰んの楽だろ。オレが送ってやってんだぞ。このオレが!」
ハンバーガーをガツガツと食いながらイヌピーが言う。
「送迎なんかいらねえし、何より、オマエみてぇなヤンキーが、あんな派手なバイクで迎えにくるとか耐えらんねえってんだ」
「バイクが悪いのかよ」
「オマエのその金髪もな」
「人の目なんか気にすんな」
だからか、なんて納得する。さっきから、ハンバーガーを二個食べて、最大サイズのコーラを遠慮なくおかわりし、オレの分までポテトを食らい尽くそうとしている美形を、周囲がちらちらと見ている。彼の外見が恐ろしいヤンキーだから、という視線も中にはあるだろうが、視線の大半は同世代ぽい女の子なので、あながちそればかりでもないだろう。ああ、いや、特攻服だからかもしれない。とにかくコイツは、人から見られることに慣れているのだろう。
オレは制服でよかった、と思いつつ、いいのか? なんて自問自答しながら、彼とは真逆に食欲をなくしたオレは、ポテトを指でつまんで口に運んでいる。いつもならコイツの倍くらい食えるはずなのに、たくさんの食べ物が吸い込まれていく彼の血色のいい唇を見ていると、いつもと同じに食事をする気分にはなれなかった。
「明日も朝迎えにいく」
「明日の朝は親が車だすってよ」
「嘘ついてねえだろうな?」
「そう思うなら見に来いよ」
「オマエん家知らねえだろ」
朝の待ち合わせは、家から少し離れたところにしている。こんな奴を万一母親が目に止めたら、きっととんでもないことになる、と言って遠ざけた。
「とにかく、朝はいらねえ。でもって、帰りもいらねえ。理由はさっき言った通りだ。納得しろ。大寿は、そこまで命令してねえって言ってたのになんなんだ」
大寿の名を出したからなのか、イヌピーの手と口が止まった。ごくん、と咀嚼していたバーガーを飲み込んでコーラを煽ってから立ち上がる。
「帰りは迎えに行く。ボスの命令は関係ねえ」
彼はそう言うと礼も言わずに席をたった。慌てて追いかけて店を出ると、腕を掴まれる。
「なんだよ」
「逃げたら面倒だからだ。送ってく」
「逃げねえよ。こっから電車で帰る方が面倒だ」
言うと、パッと手が離れた。ふん、と不機嫌そうな表情でオレを見て、ぷいと顔を背ける。同い年のはずなのに随分ガキっぽいし勝手だし、こんなヤツ。
そう、こんなヤツ、普通嫌いになるだろう。でも、そうならないのは結局、自分が面食いだからなのかも、なんて思いつつ、黙っていればちょっとそこいらじゃ見かけないくらいの美少年が走らせるバイクに跨って、大人しく家の近くまで送ってもらった。
翌日の放課後、オレは裏門を出たところで周囲を見渡している。見知った顔がオレを見て、挨拶をする場合と、目を合わさぬように通り過ぎる場合、なんてのをいくつか経過したところで、オレはため息を漏らした。
「なんだ。マジで来てねえのか」
来るな、と言ったのはオレだ。でも、来ると思っていた。大寿の命令じゃないという話だが、アイツの中でそれに準ずる行動だというのなら、今日だって来ているはずなのに、あの派手なバイクと金髪が、いつもの場所に見当たらない。
がっかりしながら歩いて駅に向かおうとする。
「何がっかりしてんだ、オレは。来なくていいって言ったのオレだろ」
そう、でも来ると思ってた。
気にするな、と首を左右に振って歩き出すと、背後から自転車が近づいてきて、チリンチリンとベルを鳴らす。道の真ん中を歩いているわけでもなし、ムカつくので無視して歩いていると、しつこくベルを鳴らしてくる。
「うるせえな、通れねえほど道塞いでねえ……」
普段のオレなら、一般の生徒かもしれない相手にこんな口はきかない。気が立っていただけなので、ハッとして振り返ると、オレの後ろをのろのろ走っていた自転車も止まって、帽子を深くかぶった男がニヤニヤとオレを見て笑っている。
ダボついたパーカーを羽織って、足元はタイトな黒いパンツだ。パーカーの中には派手なショッキングピンクのTシャツ。なんだコイツ、と思って視線を外さずにいると、相手が帽子をあげた。空と似た色の瞳がオレを見つめ、薄い唇がニヤリとした笑みを浮かべている。
「……なんだ、それ」
オレは、ぽかんとして聞いた。
「なんだ、ってなんだ。オマエが、バイクが目立つだの、オレが目立つだのうるせえからだろ。これでもまだ文句あんのか」
相手はブスッとして口を尖らせている。キャップの下から覗く瞳がまっすぐオレを睨みつけていた。
「……ここまで自転車できたのかよ」
「おう」
おう、っていやいや。それなりに家からは距離がある。派手なヤンキーの送迎は確かに嫌だったけれど、楽なのは彼の言う通りでもあった。
「んで、帰りはオレを乗っけて帰るってのか」
「そうだ。早く乗れ」
オレは、おとなしく彼の後ろにまたがった。イヌピーはそれだけで機嫌をよくして、行くぞ、とペダルを漕ぎ出す。
ここまでするか、と思う間に、自転車はいくつかの駅を経過し、ひどい上り坂ではヒィヒィ言いながら自転車を漕ぐのを後ろから優雅に眺める。降りてやろうか? と聞くと、平気だ、と強がるから、よたよたと進む自転車に乗せられたオレは、面白いヤツだなあ、とイヌピーのことを思っていた。最初の印象と随分違う。
途中、いくつか寄り道をした。イヌピーは絶対に、それを休憩とは言わない。ファストフードに立ち寄るときも、オレの腹が減っているはず、と言い、見かけた公園の中を通り過ぎて、人の少ないベンチに腰を下ろしたときも、オレのためという体裁にしようとする。ただ、オレはそれに逆らう気をなくしていた。黙ってイヌピーのしたいようにさせつつ、本当にこの距離を自転車できたのか、この美形が、なんて驚いていた。
「チビのくせに重い」
ベンチに腰を下ろすイヌピーのために、自販機から炭酸を手に入れたオレが戻ったとき、彼がそうぼやくのが聞こえた。
「……誰がチビだって?」
オレが聞くと、奪い取るように炭酸のペットボトルを受け取ったイヌピーは、悪びれる様子もなく言う。
「オマエ以外に誰がいんだ」
「オレはこれからでかくなんだ」
「だといいな」
なんだと? コラ、とか喧嘩しつつ、多少の休憩を挟んで二時間以上かけて家の付近にたどり着いた頃には、イヌピーは見た目にも疲れ切っているのに、全然疲れてない、と強がっている。
「明日も自転車でくんのか?」
別れ際に聞くと、イヌピーは眉根をむむっと寄せたが、
「オマエがバイクを嫌がるからな」
と、答えた。
「いいぜ、バイクで。毎日こんなに時間かけて帰ってたら他に何もできねえ」
オレが言うと、イヌピーがニヤリと笑う。
「オレの勝ちだ」
何が勝敗になるのかはわからなかったが、オレが彼の送迎を受け入れたという意味なら、まあ、うん、そんなもの、最初から別に、そこまで嫌なわけじゃなかった。
「そうだな。オレの負けでいい」
せめて私服で、と言おうと思ったが、自転車の横に立つ彼の普段着は、特攻服と変わらないくらい、彼を「ヤンキーだ」と示しているからもう諦める。
「やっと認めたな。これからはいちいち文句言うなよ?」
イヌピーが自転車にまたがるのを見て、オレは彼に言う。
「明日、帰りにどっかおもしれーとこ行きたい」
「おもしれーとこってどこだ。金ならねえぞ」
イヌピーが聞く。
「今日みてぇに公園でもいいし、海でもいいし、どこでもいい。ただの寄り道。そしたら飯くらいなら食わせてやる。つっても、安いのだぞ」
オレの言葉に、イヌピーが目を輝かせる。次に誘うときには、引き換えの条件なしでも、彼はオレに付き合ってくれるのだろうか、とちらと考えてしまった。
「わかった。適当に連れてく」
それで帰ると思ったイヌピーが、傾いた自転車にまたがったまま、しばらく動かずにいる。じゃあな、と別れを告げてその場を離れたオレの耳に、デートみたいだ、なんて彼の声が聞こえた気がして振り返ると、もう後ろ姿が遠くに見えるくらいになっていたから、ただの空耳だろう。
***
「乾、昨日はどこ行ってた」
一日中、ふらふらと歩き回っているだけの男に声をかけると、相手はいつもの、どこかぼけっとした様子で近くにやってきて、面倒そうに答える。
「どこって、ココを学校に迎えに行ってただけだ。いつもよりちょっと時間が掛かったから、顔出せなかった。オレになんか用でもあったのか」
乾が平然と答えるのを聞いて、オレは内心笑っている。もちろん顔には出さない。
「特にねえ。ただ、顔見せねえから聞いただけだ」
相手は首を傾げている。こんな会話は滅多にない。乾との繋がりはあくまでこの黒龍のみで、個人的な付き合いは皆無に等しい。
オレが黙っているのを見て、もう用はないと判断したのだろう。乾が、ココを迎えに行く、と言って立ち去った。特攻服がやけに映える男は、自分だけがそれを気にせぬままにバイクに向かう。オレはそれを見て、
「今日は自転車じゃねえのか」
と吹き出しそうになるのを堪えつつ漏らした。
ココが、目立つから送迎はやめさせろ、と散々言うのを無視していた。やめさせろと言われても、オレが命令したわけでもないことを、オレがやめさせる義理もないし、面白いので放っておいている。
内情は知らないが、おそらく直接バイクを嫌がられたか、特攻服を嫌がられたか。昨日の乾が私服で自転車に乗って、ものすごい勢いでペダルを漕いでいる姿を数人が目撃して、何かあったのか、とオレに聞いてきた。オレは素知らぬ顔で、見間違いじゃねえか、と答えるにとどめた。実際そうかも、と思っていたのに、オレもその必死の乾を見かけた、というか、見つけたのは、後ろに乗せられたココの方だったので、私服で自転車に乗る乾が実在したことに驚き、思わず笑っていた。
「随分気に入られたな」
あの、人に興味を持たない乾が、ココにだけは興味を示した。興味を示したと思ったら、アイツにしては珍しくココに絡み、文句を言う姿も見た。あんなに人と喋ることすら珍しい。それを知らないココは、いちいち文句を言ってくるが、オレはそれも無視している。単に、見ていて面白いからだ。
どっちが折れるのか、と思って眺めていた期間は短い。決着はすぐについた。乾の根気に負けたのか、何に影響されたのかは知らないが、あの自転車送迎目撃の後から、ココは乾の文句を減らし、時間があると二人でいるようになった。会話があるかどうかは知らないが、あの乾がたまに笑っている。驚いているのはオレだけじゃない。乾を少しでも知るヤツは皆、普通に喋る乾を見るだけでも驚いているようだった。
それを知らないのはココだけ、という構図も面白ぇもんだ、と思って、オレは黙って彼らを好きにさせている。
それからしばらく経過するが、送迎を辞めさせろとか、乾がつきまとって困る、という苦情も、ココの口からは一切聞かなくなったことは、言うまでもない。
ひとまずおわる。
ありがとうございました!