あれは全然マフラーとかじゃない寒いにおいがツンと鼻をかすめると同時に目が覚めた。
冬の朝だ。12月も終わりに近づいた今朝は少し雪がちらついていた。
ぼんやりとした頭を少し持ち上げ、ベッドから出ないまま窓の外に目を向ける。
飽きるほど見慣なれた雪景色。今年は例を見ないほどの大雪が続いていて、仲間たちもほとんど外に出ず自分の部屋にこもりきりだ。
今日も試合はないらしい。
これだけの大雪が続いていては、年内の開催はもう無理かもしれない。
「その分、ものづくりに集中できるってことだわ。」
あくびをしながら毛布を頭までかぶりなおした。
今日は無理。寒すぎる。昼になって太陽が昇って、そうしたら少しは暖かくなって、それで……
まてよ、なんか昨日の夜クリプトからメッセージが来ていた気がする。それだけ返信しておこうかしら。
もういいかな明日で。別に大した用事じゃないでしょうし。でもおとといのチャットの返信を明日するって変かしら?
あれ?今日って昨日だっけ?ってことは明日になれば今日は昨日になっているのかしら?今日何日だっけ?
私って今……明日にいるってこと?よくわかんなくなってきちゃったな……。
「起きなさい、ナタリー。」
その瞬間、乱暴に毛布がはがされ、私の体は反射的に力む。
「あら。ずいぶんはやいお目覚めね。」
意外な声に目を丸くする。
振り返るとそこにはレイス……レネイ・ブラジーがいた。
「出るわよ。行きましょう。準備して。」
「その前に、どうやってこの部屋に入ったの?」
「あなたには悪いけど、クリプトにキーカードを借りたわ。」
「クリプトが?よく渡したわね。」
「ちょっと小突けばすぐだったわ。」
クリプト……いったいレネイに何をされたのかしら。
くすぐりっこかしら。私もあれには弱いもの。
それとも人質作戦?ハックの在庫を処分するとか……クリプトが嫌がりそうなことって何かしら?
例えば……
「ちょっと。手が止まってる。」
考え事をしているとレネイの鋭い声が飛んできた。慌ててコートに手を通す。
「ま、まって。今ブーツを履くから。」
ドアにもたれながらあきれ顔で待つ彼女を左端にとらえながら鏡を見る。
寝癖がついたままになっているけれど、まあいいでしょう。
「お待たせ。どこに行くの?」
「パラダイスラウンジ……ミラージュの店よ。」
「なんで?」
高い雪の壁が細く丁寧に雪かきされた道を歩く私たちを見下すかのようにそびえたつ。
こわごわあたりを見回しながらレネイの背中についていく。
彼女は少しびっくりした顔で答えた。
「なにって……あなた、今日はクリスマスイヴよ。」
「え、今日?」
「ミラージュの店でみんな集まるって話、忘れたわけじゃないでしょう?」
……覚えている。覚えているけれど……。
「今日って24日だったのね!」
あきれ顔でレネイが振り返る。
「今日がクリスマスイヴってことは、もしかして昨日クリプトから来てたメッセージって」
「……おそらく、【明日はクリスマスイヴだから、遅刻するな】みたいな、リマインダーのメッセージでしょうね。」
「あら。私見てなかったわ。クリプトには悪いことしちゃったわね。」
「まあ、いいでしょう。それを見越して私が迎えに来たわけだから……」
今朝の謎が半分解けたような気がして、気分が高揚する。
「本当に、みんなに助けられてばかりね。助かルーマニアだわ!」
「え?」
レネイがさらに驚いた声でつづけた。
「ルーマニアはもう地球にはないわよ。」
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しばらく歩き、パラダイスラウンジももうあと10分というところまできた。
レネイは何を話してもうなづきながら聞いてくれるから大好き。
工学のこと、リングの設計のこと、それらにまつわる複雑な計算式のこと、パパのこと。
昨日見た夢、新しい柄の蝶々、巨大な蜘蛛やしゃべる頭……。
きっと興味のないこともたくさんあるのだろうが、レネイは絶対「いいわね」と言ってくれる。
と、レイスがショーウィンドウの前ではたと足を止めた。
つられて足を止め、ショーウィンドウの向こう側に目を向ける。
そこにはおおきなくるみ割り人形が立ってこちらを見つめていた。
「レネイ……?」
レネイは少し考えた後、
「少し寄って行っていいかしら?この……その、彼には……あー、特別にプレゼントをあげるべきだと思うの。
こういうの、好きだと思う。彼少し子供っぽいところがあるし、おもちゃとか、店に置いたら少しは華やかに」
急に顔を赤らめて饒舌になるレネイを見ていると、からかいたくなってしまう。
「ミラージュね!とってもformidable(素敵)だとおもうわ」
「ミラージュとはいってないでしょ。」
「ほぼ言ってたわ。」
「誰にあげるかまでは……。」
「わかったわ。早く店に入りましょう。」
苦しい言い訳を続けるレネイの背中を押して、店内に入る。
生まれた時からネットショッピングが主流な私たちには、実物を見て物を買うという経験があまりない。
中は思ったよりも広くて、昔よくあったという"ショッピングモール"はこんな感じだったんだろうか思いを巡らせた。
店内に並ぶ大小さまざまなくるみ割り人形を真っ白な目でまじまじと見つめながらレネイが口を開く。
「あなたは……"彼"にはプレゼントを選ばなくていいの?」
「"彼"?」
「……あなたにも大事な人っているでしょう。」
ああ、クリプトのことを言っているのかしら。
でもそんなこと言い始めたらコースティック博士も、アッシュも、ソマーズ博士だって……大事な人だ。
「誰かにプレゼントを選んでもらうって、素敵だと思うわ。私にも記憶があったら……そういう大事な人たちに
プレゼントを選んで、そして配って回りたかった。」
「レネイ……」
少し寂しげなレネイは、真剣にくるみ割り人形を見つめている。
「わ、私、ほかの店を少し見てくるわ。」
「……そう。私はもうすこしここにいるわ。お互い買い物が終わったら入口で落ち合いましょう。」
「わかったわ。」
そういって、私はクリプトや……大事な人のためのプレゼントを探しに店の奥へ進んだ。
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買い物が終わり、お互いラッピングされた荷物を照れながら見合った。
よい買い物ができたみたいだ。
いつのまにかすっかり元気を取り戻したレネイと、雪をふんですすむ。
ミシミシと足元で雪が固まるような感覚が楽しく、時間を忘れて歩いた。レネイも心なしか、陽気だ。
すぐにパラダイスラウンジについた。
カランコロンと軽い音が鳴る。ギィ……ときしむドアの向こうには3つの影があった。
カウンターの向こう側にいる男が、いち早く2人に気づく。
「よお、いらっしゃい。寒かっただろ?いまホットミルク入れるからさ。まあその辺座れよ。
クリプちゃん?お客様ご案内して。」
この店の店主、エリオット・ウィット……ミラージュが陽気な声で出迎えてくれる。
「俺は従業員じゃない。ランパート、君の仕事だろ。」
カウンター席の右端で座っている男性がぶっきらぼうに返す。
ノートパソコンから目も上げない彼は後ろ姿でもわかる。クリプトだ。
「え~?今いいとこなんだよ。あとで。」
店の隅に置かれたモニターの前のソファに座っている女の子が乱暴に応答する。
手にはコントローラーを使うタイプの、ずいぶんレトロなゲームをしているみたいだ。
「ラム……ランパー……おいギアヘッド!もうPS5やめろ!今日は忙しくなるから一日手伝うって話じゃなかったか?
お前がどうしてもっていうからバイト代も前払いにしてやっただろうが!」
ミラージュの大きな声にランパートがヘイヘイと言いながら渋々立ち上がる。
「邪魔しちゃって悪いわね。この席でいいかしら?ラムヤ。」
レネイがカウンター席を指さす。
「どーぞどーぞ!ってあれ?ブラジーじゃねーか!よく来たな~!座れ座れ!アタシもそっち行くよ。」
ランパートがコントローラーを放り投げて寄ってきて、レネイの左隣に座る。
「ナタリーもこっちにいらっしゃい。」
「ナタリー?」
ノートパソコンから目を離さなかった彼がようやくこちらを向いた。
「ごめんなさいテジュ……クリプト。昨日メッセージをくれたのに私ったらまだ見てなくて。」
「いいんだ。別に、全然大した用事じゃ……」
口ごもるクリプトの背後からミラージュが顔を出す。
みんなにホットミルクを配りながら、私のほうを見る。
「大したことない……ってそれはないんじゃないか?このおっさん、ついさっきまでお前から返信がないことをずっと……」
「うるさいぞウィット。それ以上言ったら殺す。」
今にも口論が始まりそうな2人をいさめるように口をはさむ。
「テジュ……クリプトはきっと"明日はクリスマスだから、遅刻しないでね"ってメッセージをくれたんでしょう?
私は読んでなかったけど、早起きしたレネイが来てくれたからこの通りちゃんと起きれたわ。」
それを聞いたミラージュが大げさに目を丸くした。
「レイス?あいつが早起き?そんな馬鹿な。あいつは俺が起こしてやったんだよ。
あいつ寝起きはご機嫌最悪で……今日は一段と」
「ミラージュ、それ以上言ったら殺すわよ。」
眉をしかめるレネイを見て、ランパートがうれしそうな声を上げた。
「ん~?ってことは~、もしかして昨日の夜、すでにブラジーのとこにはサンタさんが来ちゃってたのかな?クリスマスは明日だぞ~?」
「ラムヤ。下品な冗談はやめて。」
さらに険しい表情をしてランパートをにらみつけるレネイの声に隠れるように、クリプトが妙に低い姿勢で口元に手を当てている。
それがおもしろくて大げさに耳に手を当てるしぐさをしながら彼に近づいた。
「ナタリー、俺は……俺が送ったメッセージはただのリマインダーじゃないんだ。今夜パーティが終わったら……」
「大丈夫よ!パーティが終わったらちゃんと既読をつけておくわ!すっきりしないのは良くないものね。」
「うん?……うん……えーっと……じゃあそれで……頼む。」
「おいおいおいおい!クリプちゃん!そりゃね~ぜ。違うだろ、お前が言いたいのはもっとこう……」
ホットミルクを配り終えたミラージュがドスドス足音を鳴らしてクリプトにさらに近づいていく。
クリプトの肩に手をぐるっと回して、私に聞こえないように何か耳打ちしているみたいだ。
「お前が言わないなら俺が言ってやろうか?」
「それだけは。」
「早く言っちまえって。」
「うるさいな。わかってる。」
ミラージュの腕から解放されたクリプトがコホンと小さな咳ばらいをして、こちらを向く。
「どうだろう。今日のパーティが終わってからのことなんだが。
できれば……2人だけでもう1回パーティをしたいんだ……。大事な人と特別な夜にしたい……。
というようなことがあのメッセージには書いてあったんだが。」
妙にもじもじしていた意味が分かった。
クリプトからのお誘いなら私、なんだって嬉しいのに!
レネイとミラージュが息をのんで私のほうを見つめている。
「うれしいわ、クリプト。それにね、私もあなたを大事な人だと思っていたから、大切な人に大事な人って言ってもらえるのって
こんなに幸せなのね。あら、大事?大切?大事な……」
その瞬間、カランコロンとドアが開き、新たに人が入ってくる気配を感じた。
「おーい、頼まれてた酒、持ってきたぞ。このテーブルの上でいいか?」
振り返ると、ヴァルキリーがいた。
「え?なになに?なんだよこの空気?」
「……ナタリー。大事も大切も、どちらも同じ意味だ。」
クリプトはそういうと、ノートパソコンの前まで足早に戻っていった。
レネイとミラージュは緊張が解けたのか、大きくため息をつきながら目を合わせ、小さく笑っていた。
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「お、ランパートいるじゃん。今日はメイドさんって聞いたけど?」
「そうだよ。アタシが一生分の酒を注いでやる。」
「そりゃ楽しみだな~。朝まで飲み比べ勝負だな。」
「へへん。乗った。負けたほうの驕りな。」
ランパートの左隣に腰かけたヴァルキリーがミラージュに声をかける。
「注文いい?スシ。」
「ねえよ。」
「じゃあ生。」
「ここは居酒屋じゃねえの。ミラージュ様のおしゃれなバーなんだよ。」
「なんもねえなこの店。」
「帰るか?」
「悪かったよ。瓶1つ。」
「OK」
鮮やかな手つきでキャップが開けられ、ヴァルキリーの席の前に瓶ビールが置かれる。
それを手に取り、直接口をつけて勢いよく飲む。
「かーっ!たまんないね。寒い日にあったかい部屋で飲むキンキンのビール、天にも昇っちゃいそ~。」
「いつかそのうちほんとに翼が生えて逝っちまうかもな!」
ランパートがすかさず悪態をつく。
「逝かねーよ。あーあ。私もクリスマスくらいきれいなお姉さんと……」
「んだよ、また振られたのかよ。」
「うるせ~。別に関係ないだろ。このあとローバも来るんだろ?今夜はそれで充分さ。」
「ギャハハ!アタシが朝まで飲んでやるから元気だしなって!」
「で、お前はいつまで座ってるつもりなんだ?」
カウンター席でヴァルキリーとはしゃぎはじめたランパートに、少しいらだったような声がかかる。
「カウンターに入れ、ギアヘッド。客が増えてきた。仕事だ仕事。給料分は働いてもらうぜ。」
「へーい。」
カランコロンという音と共に、またひとりふたりとパラダイスラウンジは賑やかになっていった。
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夜も更け、23時過ぎ。
「今日は本当に楽しかったわ。」
「コースティック博士、来ないかと思った。」
「まさかサンタのコスプレまでしてくれるなんておもわねーぜ。」
「しっ。本人は別人だって言い張ってるんだから。」
「あの後は機嫌悪そうに一人で飲んでたけど、具合が悪かったのかしら。」
「あれで意外とはしゃいでたんじゃないかねぇ。」
「あのトナカイに乗ってきたんだとしたら酔うわよね……。」
「じゃあね、レネイ。今日は本当にありがとう。」
「気を付けてね……今夜は彼がいるから心配していないわ。」
楽しい時間はあっという間に過ぎ、解散の運びとなった。
ランパートやヴァルキリーは宣言通り朝まで飲むつもりらしい。ヒューズも加わり、盛り上がり続けている。
ジブは酔いつぶれて眠ってしまったブラッドバウンドや仕事を残しているというバンガロールとローバを車で送っていくとのこと。
「そうだわ。レネイ。これを。」
レネイに小さな包みを渡す。
少し驚いたような顔をして、ラッピングをほどく彼女をワクワクしながら眺める。
「これ……私に?」
「そう、大事な人にプレゼントを選びたいと思って。それで私……レネイに似合うかなって。」
「……素敵ね!うれしいわ。」
グレーがかった紫色のマフラーは、レネイによく似合っていた。
「レネイって、いつもマフラーがボロボロだったから……。」
「あれは全然マフラーとかじゃないんだけど、それでもうれしいわ。ありがとう。ナタリー。」
そうして、まだ明るいパラダイスラウンジから手を振るミラージュとレイスに背を向けた。
歩きながらクリプトに今日あったことをひとつずつ話していった。
「ねえテジュン。あなた朝レイスに何をされたの?」
「ああ、……キーカードを渡さないと君の部屋のセキュリティシステムを爆破するって言われた。」
「彼女、意外とパワータイプよね。」
苦笑いするクリプトの顔が雪の光に照らされて、いつもよりクールに見える。
……彼と仲直りができて、本当によかった。
「……ということは俺にもプレゼントが?」
「うふふ!それは秘密よ!」