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    shido_yosha

    @shido_yosha
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    shido_yosha

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    富+数。

     ソファに腰かけた富久田が、脚の間に座らせた数田を背後から抱きながら、
    「面白いもんやってないなぁ」
    とリモコンのボタンをぽちぽち押した。
     眼前のチャンネルが目まぐるしく変わる。数田は興味がわいたので、
    「富久田さんの好きな番組ってどんなのですか」
    と訊ねてみると、
    「一番夢中になれるのは、青い空に白い雲が延々と流れるやつ」
     と返ってきた。
     数田は考えこむ。『やつ』と、さもありふれている風に言ってのけたが数田は視聴したことがない内容だった。ジャンルは自然紀行ものだろうか。それに『夢中になれる』と口にしたが、想像してみて『面白い』とは決して思えなかった。『無心になれる』という意味だろうか。
     たくさんの疑問符がサイダーの泡のように浮かんで、シュワシュワと消える。一秒後、思考をやめた数田は、
    「へぇ」
     と短く相槌をうった。
     わずかに傾いてきた日差しがレースのカーテン越しに室内を照らす。
     冷たい指が数田の首をそっと這う。上方へ顎先を傾げる。
     レモンイエローの虹彩がじっと、数田を……正確には数田の額の穴を覗きこんでいる。
    「ガーゼ、交換しようか」
     富久田が微笑み、数田はこくりと頷いた。

     窓がなく照明が煌々と明るい地下室。古風な眼鏡をかけ、ワイシャツとサスペンダー、スラックスとブーツを履いた長身の男が立っている。年齢は三十代前半ほど。右を向き鉄製の大きな台の上に、パネルを立てて講義している。
    「これは脳の断面を簡略化したイラストだ。各構造の中で、始めにできあがるのが脳幹。脳の中枢に位置する、ここだよ。脳幹は、生理機能……つまり呼吸や心拍、意識を調節して神経を介して各臓器や筋肉へ指令を送ってる。生命維持に必要に場所だから、最初に発生するんだな」
     男は、やけに古ぼけた眼鏡をかけていて、大学の講師を真似ているようだった。しかしレンズの奥は欧州の血が混じったような美丈夫で、水色の髪をなびかせ、整った鼻梁が照明に映えている。柔和に垂れた目元が艶かしい。
    「あとは中心部から外方向へと向かって形成されていく。で、運動したり、感覚情報を分析したり、理性や思考を担うのがここ。大脳皮質。こいつは脳の一番外側にあって亀の甲羅みたいに中の構造を覆っている。何が言いたいか、というとだ」
     男が言葉を切り、正面を向いた。眼鏡を外し、鉄のテーブルに置く。
    「大脳皮質を削っても死ぬわけじゃない。俺が頭を穿って死んだやつは、大概大量出血が死因だ。或いは、その時はもっても、創部から感染症を起こして死ぬ。一番残念なのは強い緊張と痛みで血圧が上がりすぎた結果、血管が破裂して即死することだ」
     朗々と語る顔の右半分は、おぞましくただれた痕跡があった。毛髪ごと表皮は剥がれ、茶色く瘢痕化し、眼球が露出している。何より、穿頭のリスクを語る彼のこめかみに風穴が空いている。
    「何故こんな話をするか、というと緊張を和らげるためだ。今説明したとおり、俺が聞きたいことを聞く前に急逝されちゃかなわないから。質問はあるかい」
    「お願いですので解放してもらえないでしょうか」
    「もちろんいいよ。俺があんたの頭に穴を開けたあと、今度は俺があんたに質問したらな。死体を運ぶのは大変だから歩いて帰ってくれると一番助かる。他には?」
     数田は諦めて小さくため息を吐く。そして、
    「はい」
    「はい、どうぞ」
    「報道を拝見したのですが、被害者を捕まえたのち一日か二日、生かしておくのは何故です」
     すると富久田は目を丸くした。何故か嬉しそうに、
    「ひとつは、術前説明をすることで心構えをしておいてもらう。ふたつめは、絶食させて施術時に嘔吐して誤嚥させないようにするため。みっつめは、大人しくしてもらうため鎮静剤を、感染症予防に抗生剤を、暴れないよう筋弛緩薬を投与しておく。ということで、」
     ぬらりと男が立ち上がり、パイプ椅子に後ろ手で縛られた数田へ近づく。数田の鼻をつまみ、口を開けさせる。錠剤を複数放りこみ、コップの水を注ぐ。
     液体が気管にはいり、むせる数田。その頭と顎を富久田が押さえる。耳元で、
    「吐いたら殺す」
    「んぐっ……ぷ、は、」
    「いいこだ。はは、殺さねぇよ、言っただろ」
     男は、粗野な口調ではあったが、本来は気品があって、のんびりとした聡明な人柄であった。数田は涙を滲ませながら、「狂っている」とよぎった。会話は可能なのに意図が通じない。微睡む意識のさなか、男が数田を見下ろして、
    「でも、錯乱や激昂しないで俺と話をしたのはあんたが初めてだ。名前なんだっけ」
    「……かずた、はるか」
    「『数』なのに『遥か』か。いいね。おやすみ」
     暗転する視界。数田は、「こんな唐突に死ぬなら、もう一度井波さんと逢いたかった」と後悔した。

    「そろそろ行きます」
     数田は富久田へ告げる。富久田は残念そうに、けれど力強く、後押しするように、
    「うん」
     と頷いた。
     ほんの六時間ほど前。朝八時をまわったころ。頭に包帯を巻いた姿で、しゃんと立った数田が、
    「お久しぶりです」
     と富久田の元へ戻ってきたとき、富久田は驚いた。が、すぐに、
    「頭を通る風は涼しいかい」
     と穏やかに問うた。数田は、
    「わかりません」
     と首を振る。
    「ですが……」
     あのあと、穿頭され朦朧としながらも、なんとか生き延び、逃げ延びた数田は友人のもとへ向かった。友人といっても数田が長年片想いする女性で、特別な存在だった。彼女の母親が駅のホームから飛び降り自殺した際、彼女とともに現場に居合わせた。
     井波は数田を一目見るなり、
    「どうしたの、その傷」
    「誘拐されたんだ。でも大丈夫だった」
    「大丈夫なわけないでしょう!早く病院へ行かなきゃ。ねぇ、これもしかして〈穴空き〉が……」
     心配する彼女を見つめながら、数田は喜びにひたる。生還できたこと。再会できたこと。心のコップにあたたかで透明な水が満ちていく。
    ──逢えてよかった
    ──生きててよかった
    ──ああ
    ──井波さんはやっぱり今日も可愛いな
     コップからふわりと水が溢れる。その瞬間、
     ドゴッッ
    「きゃあ!」
     一瞬何が起きたのか分からなかった。
     ドスッ ボクッ
    「いた……やめて!やだ、痛いわ数田くん!」
     好きな女性の悲鳴で数田は気付く。彼女へ拳を振り上げているのは自分だった。
     思い至ったとき、激しい動揺と自責が数田を襲った。
    「うわぁあごめん!何で…何でこんなこと…」
    「なんで…どうしたの数田くん」
    「分かんない…本当にごめん。どうしちゃったんだろう……好きな子に……」
    「え」
    「あ」
     いよいよお終いだ、と数田は絶望の淵に立った。殴っておきながら、愛の告白までしてしまった。最悪だ。永遠の別れをつげ、踵を返そうとしたとき、
    「……私も、好き」
    「えっ」
    「人の怪我や死を見るのが」
     ……何を言っているのだろう。
    「頭の穴、触ってもいい?」
    「え、と……」
    「駄目?」
     好意を寄せる相手からいじらしくおねだりされたら、「Yes」か「はい」しか回答はないだろう。
    「いいよ」
    「やったぁ」
     じゅぷりと桜貝をのせた指先が差し込まれる。かさぶたを形成しかけていた傷口が開き、血が流れる。
    「いっっ……」
     あまりの激痛に数田はうめく。井波は、
    「やだ、ごめんなさいね」
     と謝りながらも指を蠢かし、恍惚としている。数田は、
    「だい……じょうぶ」
     と奥歯を噛み締めて見栄を張る。つづけて、
    「それより、人の怪我とか死ぬのを見るのが好きって……」
    「私のお母さんが死んだとき、数田くんが『井波さんは見ない方がいい』って目隠したでしょう。再び会ったお母さんは綺麗な死に化粧が施されてて、結局お母さんがどんな顔と姿で死んだのか目にしないまま。あれからよ」
    「……俺のせい?」
    「数田くんのおかげ」
     混乱する数田。対照的に井波が蠱惑的に笑う。
    「責任、とってね」
     このとき二人は契約を結んだ。正確にいえば、肉体よりも睦言よりも深く昏いところで燃えさかる契りを、交わしたのだ。

     数田は回想を終え、瞼を伏せる。そして富久田を真っ直ぐ見据え、
    「礼をお伝えしにきました」
     述べた。それを富久田は、
    「おかえり」
     と中へ引き入れた。
     しかし現在日は傾き、別れの時がやってきた。数田は玄関扉を開けて振り向く。
    「さよなら、富久田さん」
    「さようなら、はるか」
     数田は床を蹴って飛び出す。それから二人は二度と逢うことはなかった。

     その夜、数田は変わった夢を見た。
     数田と富久田が兄弟で、仲睦まじく共に暮らしている夢だ。
     同居する家族は他にも居て、全員血のつながりはなかったけれど頭蓋骨の同じ場所に穴が開いており、それが血縁よりもたしかな絆として機能していた。ひとつ屋根の下で、外出せず窓から街を眺めながら笑い合っていた。
     他の家人は服を着ていて、富久田は何故か全裸だったけれど誰も疑問を覚えることなく、彼のあるがままを受け容れていた。食卓を囲み、
    「にいさん」
     と数田が呼ぶ。富久田が、
    「なんだい、はるか」
     と微笑む。そんな優しく閉じた時間が営まれる夢。
     太陽がのぼって、小鳥の囀る早朝。数田は頭の痛みで目を覚ます。穴から一筋の血が、そして目から一雫の塩水が、頬を伝う。
     内容は忘れたけれどよい夢を見た気がする。数田は起床して、顔を洗う。
     カーテンを開け、伸びをして、清潔な衣服に着替える。そしてぽそりと、
    「埋めたひと、まだ生きてるかな」
     ささやかで、けれど浮き足立った心地。数田はパソコンの電源をつけた。
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