ライブ終了後の楽屋は騒然としていた。ヒューヒューぜぇぜぇ耳を塞ぎたくなるほどの苦しげな呼吸音と、なかなか治まらない咳き込みが楽屋内に響く。音の根源は、丸い黒髪の頭。小さく蹲っているため、頭しか見えないのだ。しかし恐らく、俯いた顔は苦しげに歪んでいるのだろうと安易に察することが出来る。一刻も早くこの惨状から救ってやりたくて、鞄に手を突っ込んだらいともあっさり掴んだ吸入器をくまくんに渡した。
「くまくん、吸入できる?」
「ん……げほ、できる……っげほ、げほ」
「ゆっくりでいいわよォ。落ち着いて、大丈夫だからね」
なるくんがくまくんの背中を摩る。本人はできると言ったが吸入器を持つ手は震えていて、とてもじゃないけど見ていられない。支えてやろうと手を伸ばしたとき、俺よりも早くくまくんの綺麗な手に、れおくんの華奢な手が重なった。
「リッツ、よく頑張ったな! ライブ、最高にかっこよかったぞ」
「あり、がと……っげほ」
「スオ〜、帰りの車手配できる? リッツを早めに送ってあげたい」
「もちろんです! 少々お待ちを」
かさくんがスマホを操作しようとすると、楽屋の扉が控えめに三回ノックされた。ああもう、このドタバタしている時に……とも思ったが、くまくんについているなるくんとれおくん、車の手配をするかさくんに代わり、俺が対応するしかなかった。
「はい。悪いけど今……」
「あっ! 瀬名先輩! お疲れ様です」
「衣更ぁ? アンタ、来てたの」
「はい! あ、真は居ないですけど」
差し入れだろうか、焼き菓子専門店の紙袋を提げた衣更が扉の向こうに立っていた。デカい目をキョトンとさせ首を傾げると、「あの」と声を掛けられてハッとする。
「すみません、忙しかったですか? タイミング悪かったですかね」
「……いや、ある意味タイミング良いかも。ちょっと入って」
衣更の手首を掴み、楽屋に引っ張り込む。
「わっ!? そんな強引に引き込まなくても……」
「手荒でごめん。実は今くまくんが喘息発作起こしちゃってて」
「……やっぱり」
「は? なにアンタ気付いてたの?」
どうやら衣更は全て察していたようだ。差し入れを届けに来たのも、くまくんの様子を伺いにきたついでなのかもしれない。
「凛月、大丈夫か?」
「あれぇ? まぁくんだ……」
なるくんとれおくんが介助したおかげで吸入が上手くいったようだ。依然呼吸が乱れているし咳も出ているが、先程よりは落ち着いた様子のくまくんが顔を綻ばせた。
「来てくれたんだ。流石は俺のま〜くんだねぇ……♪」
「おう、悔しいくらいライブは最高だったぞ。ファンのみんなも満足気な顔してた」
好評をしながらくまくんの丸い頭を撫で回す。犬と戯れているブリーダーのようだ。
「でも、なんか変じゃね? って思ってさ。もしかしたらおまえ、調子悪いのかもって気付いてから正直気が気じゃなかった」
「……例えば?」
「MCの時、瀬名先輩の肩に手置いて寄りかかってたろ。立ってるのしんどいのかなぁとか」
照明をやけに眩しがっていたところ、頻りに胸に手を当てていたところ、イヤモニを押さえて後向きで咳をこぼしたところ等々、違和感を羅列した。流石は幼なじみと言ったところか。メンバーすら気付いていなかったところまで的確に指摘してくる。
「やっぱりビンゴだったな。来て正解だったかも」
「大正解〜……♪ 変なところ敏感だよねぇ、ま〜くんって」
「何年幼なじみやってると思ってんだよ。わかるよ、それくらい」
はは、と爽やかに笑う衣更に、なるくんはきゃあんと顔を覆う。
「愛の力ねぇ♡ 凛月ちゃんのピンチに駆けつけてくれる真緒ちゃん、カッコイイわァ……♪」
「いや俺何もしてないし。嵐も……月永先輩も、吸入手伝ってやってくれてありがとうございました」
ぺこりと頭を下げると、差し入れの紙袋をれおくんに手渡す。一連の流れが完璧で、いつもはヘタレっぽいイメージだったけど、やけに頼り甲斐があるように見えた。