【サイナルモノ】繋がれる生命 自分の名も過去も失っていた「彼」は、ヤライカナ族の少女テテラカナに「ホロケゥカナ」という名を与えられた。狼を意味する「ホロケゥ」に、彼らの名付けの法則に則って「カナ」を付けたらしい。本来、ヤライカナ族の間でカナの名を与えられるのは彼らの同胞のみで、「彼」──ホロケゥカナの場合は特別な例にあたるということを後に知った。
意識は戻ったものの、まだホロケゥカナは自立して日常生活を送るには程遠い状態だった。彼の元には、一族の者たちが交代で世話をしにやってきた。テテラカナも幼いながら大人たちに混じってホロケゥカナの世話を焼いた。彼女は小鳥がさえずるかの如く、ホロケゥカナに何くれとなく話しかけた。大抵の場合、ホロケゥカナは話を聞いているだけであったが、テテラカナに話しかけられると、いつも胸の中が暖かくなり、それを心地良いものだと感じていた。だが彼は、その感覚をどのように言い表せばいいのか、そもそも表に出す必要があるのかも分からなかった。
一日の殆どを室内で過ごすホロケゥカナの為にと、テテラカナは窓辺に季節の野花を生けた花瓶を飾ってくれた。最初、ホロケゥカナは野花を見ても「食用には適さない種類の草だ」という程度の認識しか持たなかった。しかし、よく見ると、それらが豊かな色彩と香りを持っているのに気付いた。そして、何よりテテラカナが自分の為に花を選んで飾ってくれたのだと思うと、やはり胸の中が暖かいもので満たされるような気がした。
数日が過ぎ、ふとホロケゥカナが花瓶に目をやると、花は枯れていた。切り花の寿命は短いものだが、ホロケゥカナは、テテラカナが飾ってくれた花が枯れてしまったという事実を前にして、胸の奥に隙間風の吹くような、何とも言えない気持ちになった。
テテラカナは、また花を摘んでくると言った。しかし、その花が枯れた時に、再び今と同じ気持ちになるかもしれないと思った彼は、もういい、と答えた。
「ホロは、悲しいの?」
テテラカナはホロケゥカナに問いかけた。この、胸の奥にある何とも言えない気持ちを「悲しい」と呼ぶのであれば、自分は「悲しい」のだろうと彼は思った。
そんな彼を見たテテラカナは、枯れた花から採れた種を育てることを提案した。花は枯れて終わりではない、次に命を繋いでいくのだと、彼女は言った。
蒔いた種が芽吹き、花として育つと共に、ホロケゥカナの傷も癒えていき、テテラカナに連れられて少しずつ外を散歩できるまでになった。
ある日のこと、テテラカナと散歩をしていたホロケゥカナの前に、一匹の子羊が走ってきた。咄嗟に子羊を捕まえたホロケゥカナに、飼い主と思しき青年が声をかけてきた。
「すまないな、そいつ、元気が良すぎて手を焼いているんだ」
「この前、生まれた子だね」
テテラカナが口を挟んだ。
子羊は、もぞもぞと動いてホロケゥカナの腕から逃れようとしている。その温もりと、羊毛のふわふわとした感触に、彼は胸の奥がむず痒くなるような不思議な感覚を覚えた。
「何だか、胸の奥がむずむずする」
「それは、きっとホロがその子を可愛いと思っているからだよ」
思わず呟いたホロケゥカナに、テテラカナが言って、微笑んだ。
「そうなのか。テテを見ていても、同じ感じになることがある。俺は、テテのことも可愛いと思っているということか。どちらも、小さくて白くてふわふわしているからだな」
ホロケゥカナが言うと、テテラカナは何故か少し頬を赤らめた。