【サイナルモノ】降り立つ災い ある冬の夜のこと。
「そろそろ、寝室を分けないか」
寝る支度をしているテテラカナに、ホロケゥカナは声をかけた。
「なんで?」
テテラカナは首を傾げた。
「ホロは、テテとねるの、いやなの?」
テテラカナに少し悲しげな目で見つめられ、ホロケゥカナはたじろいだ。
「そういう訳ではない。ただ、お前も大きくなってきたし、血縁でもない男と同じ床で寝るのは良くないと思う」
ヤライカナの集落を出てから数年経ち、幼児だったテテラカナも成長して大人の女性へと近づいている。ホロケゥカナは、彼なりに気遣っているつもりだった。
「けつえんじゃないって、なに?」
「家族ではないということだ」
「ホロは、テテのかぞくでしょ?」
そうテテラカナに言われて、ホロケゥカナは言葉に詰まった。彼女にとって、何年もの間、常に離れることなく過ごしてきたホロケゥカナは、もはや家族同然なのかもしれない。テテラカナが、そう思ってくれているのは、ホロケゥカナにとっても嬉しくはあった。
今日のところは保留にするか──ホロケゥカナは小さく溜息を吐いた。
いつものように、二人は一つの布団に包まった。ホロケゥカナの腕を枕にして、テテラカナはすぐに寝息をたて始めた。集落が襲われ、両親が目の前で惨殺されてから、彼女は毎晩のように悪夢にうなされては傍らのホロケゥカナの存在を確認し、安心して再び眠りにつくということを繰り返していた。月日が経つにつれ、テテラカナが悪夢に悩まされる頻度は落ちたものの、彼女にとってホロケゥカナは「お気に入りの毛布」のようなものになっているのかもしれない。
──それでも、いつかテテラカナが大人になる日は来る。好きな相手ができることもあるだろう。だが、少なくとも俺と同等か、それ以上に強い男でなければ、この子を任せられない……
何とはなしに、そのようなことを考えていたホロケゥカナは、テテラカナが自分の知らない男と親しくしている様子を想像して、酷く嫌な気分になった。
寒い夜でも、互いの温もりがあれば快適に眠れる。寝室を分けるのは暖かくなってからのほうがいいか……半ば言い訳がましく自身に言い聞かせ、ホロケゥカナも眠りに落ちていった。
夜半、テテラカナが布団から抜け出す気配に、ホロケゥカナも薄らと目を開けた。元々眠りの浅い彼は、少しの刺激でも即座に覚醒してしまうのだ。
厨に行ったテテラカナは水を飲んでいる様子だった。その音を聞きながら、再び微睡み始めたホロケゥカナの耳に、突然、テテラカナの悲鳴に近い声が飛び込んだ。同時に、彼は微かだが血の匂いを感じた。
ホロケゥカナは、反射的に跳ね起きると、慌てて厨に向かった。
厨に入ったホロケゥカナは、うずくまって両親の名を呼ぶテテラカナの姿を認めた。彼女は恐慌状態に陥っているのか、ホロケゥカナが差し伸べた手を振り払い、逃げ出そうとした。
ホロケゥカナはテテラカナの腕を、そっと掴んだ。少し力を入れれば容易く折れてしまいそうな華奢な体で必死にもがくテテラカナを、彼はできる限り優しく抱き締めた。そして、テテラカナの両親が、しばしばそうしていたように、ぎこちない手つきではあるが、彼女の髪を撫でた。
少しの間そうしていると、テテラカナも我に返ったらしく、安心したのかホロケゥカナの胸に顔を埋めた。
「からだ、かゆい……熱い……」
テテラカナが呟いた。ホロケゥカナも、彼女の体温が普段より高いのに気付いた。
血の匂いがしたことを思い出したホロケゥカナは、テテラカナの耳の先端に出血している部分を発見した。強く搔きむしったのか、まだ固まっていない血液が少しずつではあるが、じわじわと染み出ている。
たしか、血止めの軟膏があった筈──そう思って周りを見回したホロケゥカナの目に、床に散乱した白い羽毛が映った。その時、彼の脳裏を、ある光景が過った。
全身を羽毛に覆われた「誰か」が地面に倒れ、一陣の風が羽毛を吹き散らすと、後には何も残っていない──それが、どこで見た光景なのか、ホロケゥカナは思い出せなかったが、夢などではなく、確かに現実の出来事だという確信だけがあった。
テテラカナの耳の傷の周囲には、よく見ると床に落ちている羽毛と同じものがポツポツと生えていた。
──これは、もしかして「奇病」なのではないか。熱が出ているのもまた、その症状かもしれない。
そう思ったホロケゥカナは、自分の顔から血の気が引くのを感じた。超常の力「イタ」を使えない者が稀にかかる病……ある者は口から花を吐き、ある者は身体から木が生えるなど、症状は様々だが、その致死率は高いと言われている。
テテラカナの身体には、本来の体毛とは異なる「羽毛」が生え始めている。放置すれば、記憶にあった「誰か」のように全身が羽毛に変化してしまうのだろうか……
「……ホロ、くるしいよ」
ホロケゥカナは、テテラカナの声で我に返った。不安が募り、知らず知らずのうちに彼女を抱いている腕に力が入ってしまったらしい。
「……すまない。耳の傷を手当てしたら、村の薬師のところに連れて行ってやる」
ホロケゥカナが言うと、テテラカナは素直に頷いた。
テテラカナの耳の傷に血止めの軟膏を塗ってやり、ホロケゥカナは彼女を背中におぶって家を出た。
──人でも獣でも、目に見えるものであれば力づくで排除できる。だが、病には触れることもできない……これほどまでに自分が無力であると思ったことはない……
胸の中が不吉な予感に波立つ感覚を必死に抑えながら、ホロケゥカナは薬師の家を目指し、月明かりに照らされた道を走った。