いい兄さんの日/ガイディル噴水のある広場を歩く。
空は晴れ渡り時折吹く風が心地好い。片手には紙袋、もう片方で余ったモラを指で弾いては遊ぶ。
クリプスは、ガイアやディルックが手伝いをするとそれに見合う小遣いをくれる。これは教育の為であり、労働の大変さやモラの使い方を学ぶことを目的としている。勿論、必要なものは買って貰えるので無理して手伝う必要も無いのだが、ガイアはこの束の間の自由が好きだった。
モンドは自由の国、といわれる。
『自由』とは何を持って自由かと問われると難しいが、朝っぱらから酒場で飲んだくれが陽気に詩を口遊みながら広場を往来していても咎める者がいない程度には自由だ。むしろそういったことを楽しむ人種の方が多いだろう。
…まあ、あまり派手にやれば騎士団にお世話にはなるだろうが。
そんな風土からか、余所者がいてもさして気にされることも無い。
そう、それがモンド三大貴族である『ラグヴィンド家の養子』でなければ。
広場の階段に足をかけようという時だ。後ろから声がかかる。
「おい、ガイア」
何事かと振り返れば、同い年の…名前はなんだったか。数人が俺を取り囲む。
「おまえ、ディルックさまと兄弟だからって調子に乗るなよ!」
一番背の高い少年が指をさしこちらに言う。調子に乗った覚えなんてないが…子供ながらにそう思ったのだろう。たまたま良い所に拾われた人間が貴族の人間と同じように暮らすのを。
「こーゆーの兄弟じゃなくて『義』兄弟っていうんだぜ」
「そうだな、肌の色も、髪の色も、瞳の色も違うもんな。ディルックさまと正反対!」
クスクスと笑い声が聞こえる。
舌打ちを飲み込む。そう、俺は『ラグヴィンド家の養子』なのだ。品性を欠くような行動は慎まなければ、それが子供であろうと何処で変な噂を撒かれるか分からない。駄目だ、俺はまだここに居なくてはならない。
…あの義兄がこの場にいたなら、言葉の真意も分からず笑ってみせるのかもしれない。世間知らずのあの坊ちゃんは、こんな些細な毒などまだ知らない。
「そういえば、養子ってことは、親に捨てられたってこと?」
グッと拳を握る。
「だろ?要らないから捨てられたんだよ」
何も知らないくせに。
「みんなに嫌われてるじゃん。かわいそ」
「クリプスさまも、ディルックさまも、きっと可哀想だから構ってあげてるだけなんだよ」
もう我慢ならない。
思わず紙袋の中の赤く熟れたそれを掴み、目の前の子供の顔面目がけて投げる。
…あぁ、終わったな。
先に手を出した方が負け。どんなに相手が悪くともそれは変わらぬ事実だ。明日にも素行の悪い子供だとあることない事吹聴されている事だろう。
それが少年の顔面に当たらんとするその瞬間、投げた覚えがない真っ赤な果物が前を横切った。
「ガイアは!僕のおとう…っ、いだいッ!!!!」
「…ディルックっ!?大丈夫か」
なんでここに。
「うぅ…大丈夫」
しゃがんでいたディルックは頭を抱える形で立ち上がる。
「おまえっ、ディルックさまに何してんだ」
「…」
「何してるも何も、ガイアに酷いこと言ってたのは君たちじゃないか!」
何も言えないでいる俺を横目にディルックはムッとした表情で少年達に向かって言葉を放った。
「ガイアは僕の大切な弟だよ」
視線を地面から上げれば、真っ直ぐ前を向く義兄の姿があった。
正直言って、眩しい。
堂々としていて、誰の顔色も伺うことを知らない。羨ましかった。
少年達はと言うと、ディルックにそのように言い放たれ、狼狽えているようだ。
「ガイア、かえろう」
地面に落ちたリンゴの土を払いながら彼は笑う。
そして、こちらに手を伸ばす。
「どうしたの、ガイア?」
「あ、ぁ、うん」
手を取れば嬉しそうにニコリと笑った。
屋敷までの道をふたりで歩く。
ディルックは繋いだ手をブンブンと振りながら、スキップも混じえてご機嫌な様子だ。
「ねえ、ガイア」
「なんだ?」
えっとそのぉ…、と、さっきの威勢はどこへ行ったのか、歯切れが悪い。
「ガイアは…僕のこと、お兄ちゃんって、思ってるのかなって…」
「…どうして」
「…」
足がその場でピタリと止まる。手を繋いでいるせいで少し後ろに引っ張られた。
「だって、ちっとも言い返してなかっただろう?」
不安げな顔でこちらを見る。そんな顔で見ないでくれ。なんて返せばいいのか分からない。
「…確かに、ガイアよりも背はおっきくないし…」
「うん…」
「髪の毛も…たまに女の子に間違えられるけど、これは父さんの真似がしたくて伸ばしてるだけで…」
「うん…?」
「まだ頼りないかもしれないけれど…」
「…」
「僕はきみのお兄ちゃんでいたいんだ」
じっ、とディルックを見る。真っ直ぐこちらを見つめて、そうだ、そっちの方がお前らしいな。
「もし、今そう思われてなくても、これから頑張ってみる!報われない努力はないって父さんも言ってた!頑張るのは得意なんだ」
ニッと笑い、手を強く握った。自己完結したようで何よりだが、それはお前の努力だけじゃなくて、俺の心次第なんじゃないだろうか、という野暮な言葉は飲み込む事にした。言ったところでディルックの意志はきっと固く、変わらない事は目に見えてる。
…変わらないといいという自分もいた。
「話はそれだけ、行こう」
手を引っ張るディルックを今度は自分が引き止める。
「ガイア?」
不思議そうに目を丸めて振り向く。
「いや、その…」
「さっきは助けてくれてありがとう、にいさん」
・
「つまりガイアにとってディルックの旦那はヒーローってことだな!」
俺の隣でふよふよと浮かぶパイモンが大声で悪気なく言い放つ。カウンターには俺と、気まずそうな笑顔で頬杖をつく旅人がいる。
気分の良くなった俺は酒を口に含んだ。
ちょうどいい事に酒場には人が少なく、声も大きくなってしまう。
「あぁ、そうだな、ディルック義兄サマは俺にとっちゃ『英雄サマ』ってワケだ」
その瞬間、カウンター越しに視線が刺さる。痛い。
「…つまらない話をしているのなら、少しは市民の役に立ちに行ったらどうだ。西風騎士団のガイアさん」
「まあ、もう少し聞けって、この後が傑作なんだ」
「聞かせてくれ、ガイア!」
「オーディエンスがいるなら応えるしかないな!その後、家に着くなりディルックが至極真剣な顔で俺に何言ったと思う??『これからは毎日牛乳を飲むよ!ガイア!これで君を追い抜いてみせる!』だって!家に着くまで何悩んでるのかと思ったら身長のせいで俺が『弟だと思ってなかった』って本気で思ってたんだぜ。可愛いとこあるだろ?吹き出しそうだったぜ」
ドンッ!という音がカウンターから放たれた。一瞬爆発にでも巻き込まれたかというその音にパイモンも目を見開き身構えている。
その異様な音を放った場所を見ればカクテルが置かれていた。
「…それを飲んだら早く帰れ」
先程の行動とは裏腹に、低く静かに、ふつふつと怒気を含んだ口調で述べたその手元にはアップルサイダー。それを旅人とパイモンの前にそっと置く。旅人は言わんこっちゃないという顔でサイダーを受け取った。
…度が過ぎたか?
フン、と鼻を鳴らすと高く結った髪を揺らし店の奥へと消えていく。
その様子を見送ってから、置かれたカクテルを取り、眺める。グラスの縁についた塩が雪のようだ。口に含めばレモンの爽やかな香りがする。
「…ふーむ?」
これは早く帰らせるために度数の高い酒を出してきたな?だが、その真意を理解すれば思わずニヤリと笑ってしまう。隠すことも忘れてしまうとは、だいぶ酔っているのかもしれない。旅人とパイモンが心配そうに顔を覗いてくる。
一気に煽り、じゃあ、お暇するかなと、お代をカウンターに置く。心配だからとついてこようとする旅人とパイモンを静止する。
今日は気分が良いから一人で歩きたい気分なんだ。
夜風を浴びながら、軽くスキップでもしてみる。今や空いてしまった隣に、少しの寂しさを覚えるも、火照った今はひとつで充分だ。
「全く口下手になっちまってな、にいさん」
マルガリータ。
カクテル言葉は『無言の愛』。