もしもそれが、偶然にも手に入ったのはロータスの実であった。
キャスター、クー・フーリンの掌の中でコロン、と数個転がるそれを側にいたマスターの少年、立香は不思議そうに眺めた。
「それ、食べれるの?」
「お前さんのその食に対するこだわりの強さはどこからくるんさね」
少年からの問いにクー・フーリンはやや呆れ気味に眉間の皺を深く刻み込んで見下ろす。
レイシフトした場所が湿地帯と、実の持ち主たる睡蓮が咲く条件が整っていることから、周辺の魔物達が餌代わりに拾ったのだろう。
まだ水辺こそ見つけてはいないものの、湖でも見つければ湖面に美しく花でも咲かせているかも知れない。
クー・フーリンは拾った身は役立つかどうかはさておいて、いくつかはローブのポケットに押し込んで、たった一つ目を丸くする少年の前に差し出した。
「ギリシャ神話において、ロータスの実は食えばあっという間に夢見心地にさせてくれるって話だ。案外、美味すぎるって意味あいかもな?」
男の言葉に少年の目が輝いたのは言うまでもない。
甘いのか苦いのか、それとも辛いのか…。
とはいえ、クー・フーリンの言葉に少年が嬉々として身を受け取った。
実を口に放り込んだ少年が、腕に装着している通信器でカルデアとの通信を試みる。
あまり電波状態が良くないのか、聞こえるのは、砂嵐かのような雑音に混じり向こうで少年からの連絡を待つ少女の声が途切れ途切れで響く。
これはまともな会話にもならないなと立香が諦め気味の表情で口に含んだ実に歯を立てかけようとしているのを眺め、男は口を開いた。
「ロータスの実ってのは、全てを忘れさせるんだってさ」
クー・フーリンの言葉に、実に歯を立てていた少年が大きく目を見開く。
驚く相手の顔に満足げにタレ気味の瞳を細め、クー・フーリンは微笑む。
立香は悔しげに唇を引き結ぶと、地に向かって口に含んでしまっていた実を吐き出した。
「……っんと、意地が悪いなぁ!!」
「おー、怒った怒った、」
当たり前だろ、と杖を持つクー・フーリンのローブの袖で口を拭う少年にしかし、男は笑いに肩を揺らすのみ。
もう、と頬を膨らます立香が先に歩き出す背中に、男はついて歩く。
魔物の気配は今は潜めているようだが、だからといって闇雲に歩いていい地形ではない。
「……忘れたっていいんじゃないか?」
辛いこと、苦しいことがあまりにも多い旅だ。
挫けるな、と言うにも過酷すぎる…、とクー・フーリンですら思う。
とはいえ、この場所で拾った実はそんな効力は皆無だし、神話のような出来事はまず起きない。
そうクー・フーリンが教えたとしても、先を歩く立香の機嫌は戻らず、ぶすくれたままだ。
足を止め、振り返る少年は視線をクー・フーリンにへと合わせた。
「絶対、だめ」
辛く、苦しくても自らの大事なものだと少年はクー・フーリンに告げる。
あまりにもはっきり言うものだから、これには男も肩を竦める他ない。
「そうかい」
男は、歩み寄って少年の髪をくしゃりと撫ぜる。
揶揄った事と、簡単に切り捨てろと言ってしまったこと両方に対し、「悪かったな」と素直に謝った。
ここでようやく立香の表情がにんまりと微笑む。どうやら許してくれたらしい。
「それはそうと、口直しを要求します」
「はいはい、」
少年が背伸びをするのに合わせ、クー・フーリンは僅かに身を屈め、瞼を落とした。
唇に触れた柔らかくもカサつく感触を堪能しながら、流石に、すべてを忘れて楽になれというのは短絡的過ぎであったかと男もやや反省。
しかし、己の役目そっちのけで、そんな日が訪れてもいいんじゃないかとすら考える自分もそこにいて、ローブのポケットに押し込んである実を確かめるように男の指先が触れた。