キツネの願掛け「ティータイムに出された焼き菓子の缶が素敵だから、いくつかもらってとってあるの」
赤髪の少女が新参者の「同じ顔の男」の前に色とりどりの缶を並べて笑っている。
その新参者、レイは興味があるのか、馴染みのないものに面白がってか、ひとつひとつ手に取って全て見終わると「きれいだな」と顔をふかふかとさせた。そして、微笑ましいこの光景を離れた1人用ソファから眺めているのがコニーだ。
話を聞いているのかいないのか表情はなく、2人を見つめる視線はどこか違うものを重ねているかのような複雑さを湛えている。
焼き菓子の缶の中身はというと、メトロの切符だとか、美術館のチケットの半券、異国のコイン、綺麗な石、買ってもらったチョコレートを包んでいた包装紙とリボンなどだ。
少女曰く、「宇宙船にはない楽しいものばかり」のコレクションが収められているらしい。たまに執事を手伝って得た小遣いも貯めているのだと、掌に収まるサイズのドロップ缶をジャラジャラと振ってみせた。
その様子を見たコニーが腰を沈めていた椅子を鳴らして立ち上がる。
「ウィロー」と名前を呼んだ少女の前で膝を曲げ屈むと、長方形の缶を指差した。
「この缶は空か?」
「うん、まだ空だよ」
「ウィローさえ良ければ、この缶を譲ってくれないか」
その缶は長財布が入りそうな大きさで、全体はくすみがかった上品なライトブルー。エンボスで浮き上がったキツネのキャラクターがかわいらしく色付けされているが、マットな触り心地で子供っぽくないところが気に入っているものだった。中に詰まっていたクッキーも、どれもとても美味しくて、今でも香りが思い出せる。
そしてそれをコニーが選んだことが意外で、ウィローは返事に詰まってしまった。
「気に入ってるのか?ならいい、困らせて悪かった」
ぶっきらぼうなようで、立ち上がって遠のいていくコニーの声色は、忘れてくれと言ってるようにすら聞こえるくらい控えめだった。
「待ってコニー!これ!」
キツネの缶を掴み上げ、コニーを呼び止めたウィローの真っ直ぐ差し出した腕が空を切る。
「・・・いいのか?気に入ってんだろ」
「そうだけど・・・、コニーがこれを選んだの、なんか訳がありそうな気がしたから」
「なんだそりゃ、そんなもんねぇよ?ただ・・・」
「ただ?」
コニーはウィローの顔から差し出された缶に目線を落として「ただ」の続きを零した。
「お前が小銭を入れてんの見て、札入れんのに良さそうだなと思ったんだ。ブルースに言えば口座の1つ2つなんとかしてくれんだろうが、そんな事で煩わせんのも気分じゃないしな」
「・・・ふぅん?確かにちょうど良さそうだね」
まだ「はい」と差し出したままのウィローの手から、そっとキツネの缶を受け取る。
「本当にいいのか?」
「ううん。よくないから、ひとつ貸しにしておく」
「はっ!モンテの子育ては随分と上手くいったみたいだな」
「私はスペシャルなクレイジーガールなの。覚えておいて」
「ああ、確かに」
じゃあ、ありがたく借りとくわ、と缶を持ったのとは逆の手でウィローの柔らかな赤毛をふわりと撫でる。無骨ながら気遣いも感じる手触りに、ウィローは目を細めた。
札を入れて貯めておく為。それが理由でコニーがこのキツネの缶を選んだのは嘘ではないが、本命はそうではなかった。
数年前、弟のニックと同じ名前のキツネが出てくるアニメーションがあった。子供向けだとばかり思っていたが、弟はそのキツネのキャラクターを大層気に入ったようだった。そのキツネのパッケージを見かけると「ほらニックだ」とコニーに見せに品物を持ってくるものだから、一時期同じ菓子ばかりを食べることになったのは(買わせる割にニックは食べたがらないから)今となってはいい思い出、というやつだろうか。ウィローの並べた缶のキツネを見た時、あの頃がコニーの頭を駆け巡った。
同じ菓子を買って食べてやるのに辟易した頃、どうしてそのキツネがそんなに好きなのかと聞いたことがある。すると、弟は当然のような顔をして言った。「コニーに似ているから」と。
自分を種類で分別され、否定され、周りが望むような悪役に身を落とし、詐欺で生計を立てていたずる賢いキツネ。でも主人公と出逢って、協力し合って、正義を振り絞って、最後には憧れていた警官になるキツネ。
コニーとニックがマスクを被って強盗をしたのは、キツネに似ていると言われた1年後だった。
確かにあのキツネと似ているのかも知れない。口を開けば息をする様に嘘をつき、短絡的で、楽をしようとして、人の所為にして。挙句、弟の障害と向き合わないクセに、都合良く利用してきた。置き去りにして走って、結局連れ戻せもしなかった。
ああでも違うんだ、ニック。お前の兄に、そんな大それたヒロイズムはなかったんだ。振り絞るような勇気も。名前負けなんかしてない、自分にも出来る、立派な兄だと、思い込みたかっただけで。
(ここなら、少しは)
自分の居場所が変わった訳じゃない。このゴッサムにおいて、たまたま自分より下に落ちているものが多いというだけだ、わかっている。
立ち止まり、ズボンのポケットから皺くちゃの札を数枚取り出して缶の中に仕舞うと、蓋に描かれたキツネを親指で撫でた。両手で持ち掲げて額をつけ、大きく息を吸って、深く吐き出す。
(・・・ここなら)
これは、使う宛のない、贖罪のような願掛け。