ニール先輩は教えたい。「寝顔」と言う意味で、コニーの眠っている顔を初めて見たのは、彼がウェイン邸に来て割とすぐの事だ。
リビングホールの下の階にある、談話室の暖炉の前。ソファの肘掛けに脚を置き、仰向けに腕を組んで、クッションを枕にしてコニーは眠っていた。起こさないようにゆっくり近づいてみると、普段の粗野ともいえる態度は鳴りを潜め、穏やかな顔と寝息で胸は浮き沈みしている。
暖炉は点いているものの、冬のゴッサムは寒い。まだ目覚めないのだったら身体が冷えてしまうかも知れないと思ったブルースは部屋をザッと見渡すが、毛布の代わりになりそうな物はなかった。
ならばと、ブルースは自分の着ていた裏地がボアになったパーカーをコニーに掛けてやることにした。ソファの背もたれ側からそっと身体に乗せてやると少し身動ぎしたが、もぞもぞと自らパーカーの中に埋もれてくコニーは、少し面白かったのを覚えている。
「ふわぁ」と欠伸をして、また静かに寝息をたてる。欠伸で涙の滲んだコニーの睫毛が、暖炉の灯りにチラチラと光って見えた。
それからというもの、ブルースはコニーがうたた寝している場面に遭遇すると、少しの間観察しては何も言わずに去っていく。
今となってはその寝顔を自分の部屋の、自分のベッドで眺めることもあるが、今日はリビングホールにいた。
夜警を終えた「ブルース」が戻ってくるのを待ってくれていたようだが、コニーは右手にスマートフォンを持ったままダイニングテーブルにうつ伏せで眠ってしまっていた。
アルフレッドの執務机に置かれていた膝掛けを掛けてやる。次に、椅子をそっと持って来てブルースも席に着き、息を潜めてコニーの寝顔を眺める。今日は髪を掻き上げていて、顔が良く見えた。
「・・・・・・」
「同じ顔」とは言うが、コニーと自分は全然違うとブルースは思っている。例えば、睫毛だってブルースよりもコニーの方が色が深いと感じる。生やしたことがないので分からないが、髭の濃さも違う。目尻の笑い皺の数も、きっと。
「おかえり、ブルース」
「っ⁈・・・ニールか」
「ごめん、驚かせてしまったね」
小さな声だったが、他に人が居ると思っていなかったのでつい拳を構えてしまった。特殊な組織に所属しているニールは、よく足音もなく近付いてくることがある。驚かす意図はなかったのだろうが、きっと身体に染み付いているものなのだろう。
「・・・にしても、ブルース」
「なんだ」
「今、とてもいい顔をしていたね」
「・・・?・・・、いい顔・・・」
いい顔、とは何の事だろう。容姿の事ではなさそうなのはブルースにも分かったが。
そもそも背後から来たのに、と眉を顰めていたらニールは窓を指差した。どうやら小さく顔が映り込んでいたらしい。
「キレイなものや、素敵なもの、感動した時なんかにする顔のことだよ。美味しいものを食べたとか、まぁ色々とね」
「・・・心当たりがない・・・」
「コニーの寝顔見て、なんて思ってた?君、よく彼の寝顔眺めてるだろ」
「いや・・・、・・・」
なんで知ってるんだと考えたが、ニール相手にそんな事を思っても無意味だったと思い出す。
「・・・穏やかだな・・・って」
「うん」
「それだけだ」
「コニーが穏やかな顔で寝てると、嬉しい?」
嬉しい?
これも、嬉しいと呼ぶものなのだろうか。久しくはっきりと「嬉しい」と思うことがなかった気がして自信がない。
あの日談話室で眠っていた時のように、またいつ睫毛が光るだろうかとか、寝る時もピアスは外さないものなのだとか、嫌なことはなかっただろうかとか、思っている、気がする。
「嬉しいかはわからない、ただ・・・なんとなく、見逃したくない気が、して・・・明日もそうならいいとは・・・思う・・・多分」
「・・・そっかぁ」
何故か、ふにゃあっと、とてもだらしない顔でそれこそ「嬉しそう」にニールは笑う。
「ニールのが、嬉しそうだ」
「ふふっ、そうだね。嬉しいと思ってるよ」
「なぜ?」
「君が、この時間が大事で、ずっと続けばいいと思ってるって、よくわかったからね。君が何かに対してそう思えるのが嬉しいんだ」
「・・・そう、か・・・?」
「僕もね、大好きな人の寝顔を見るのが好きなんだ。寝てる時って、自分を繕えないから」
ニールの「大好きな人」の事は話にしか聞いたことがないが、思い浮かべた人を見つめるその瞳は気持ちの深さの分、煌めいている。
「だからね、君もたまには彼に寝顔を見せてあげたらいいのに。喜ぶよ?」
「・・・、それは・・・できない」
「え、なんで」
「俺と居るのに、何かあって、寝てて何も出来なかったら、嫌だ」
10歳の少年の顔で、あまりに当たり前に、真剣に言うものだからニールは「君ってやつは」と苦笑いを浮かべる。
(起きていても出来ない事はあるというのは、1番良く分かっているだろうに・・・いや、だからかな)
「先は長そうだねぇ・・・」
「?」
「もう日が昇るから、ブルースも少し横になっておいで。眠れなくても目を瞑るだけでいい、寝る努力をして?ここのところまともに寝てないでしょ、アルフも心配してる」
「・・・やってみる」
「おやすみ、ブルース。僕もそろそろ行くよ」
「あぁ」
そうして2人が去って、リビングホールにはまたコニーひとりになった。コニーの寝息だけが、規則正しく時計と会話する。
しばらくして、手に持ったままのスマートフォンにメッセージが2件届いて、その振動で彼は目が覚めた。
「・・・あー、寝てたか・・・さむ」
いつの間にか掛けられた膝掛けで身体を包み直しながら、スマートフォンのメッセージを慣れた手付きで確認する。メッセージにはこうあった。
ープレゼント。お礼はいいよ。Nー
そして、写真ファイルが1枚。
コニーはその写真を見るなり、目を見開いて画面から目を逸らし、一呼吸置く。
もう一度ゆっくりその写真を眺めると、髪を掻き上げ直して目元を緩めた。
「・・・やーば」
コニーは、ガタッと勢い良く席を立つと、写真の中で眠っている自分を眺めていた人物に会いに、階段を駆け上がった。