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    ねがめ(えこえこ)

    @H35w3SdaRM8280

    @6uPpiOVm2bDoEcx
    のっそり何か書いています。

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    POIPOI 4

    五歌 幼馴染設定
    シリーズものの最終話になります。
    以下注意事項です。違和感を覚えましたらそっ閉じでお願いします。
    オリキャラが出張ります。
    オリキャラと歌姫の事後描写があります。

    通過儀礼 後編*歌姫(28)

    新幹線に乗り込む。
    昨晩からの異常事態で感覚がフワフワする。
    脳も身体も酷使して疲労困憊だ。
    朝方、朝食をとった後、五条は任務があるからといって部屋を後にした。
    「ついでだから捨てとくね」と言って、破壊された赤いワンピースをパンが入ってたビニール袋に詰めて持ち帰っていった。
    自分もトラウマ級の呪具と成り果てたそれの処分に困っていたので、何も言わなかった。

    指定席である北側窓辺の席に座る。
    いつもは「ラッキー!富士山見えるかも♪」と、結局酔っ払って見れないものを期待するのだが、今回はそんな気が全く起きない。
    だからといって自分の好きなことを考えるのも、それ自体が穢されていく気がして嫌だった。
    素直にアイツのことを考えよう。
    今の状況はかなりまずい。
    アイツは遊びのつもりだろうが、こっちは今度こそ心が死ぬ。
    なんとかして、「後輩で同僚」という関係に戻さなくてはいけない。
    そもそも、引き返せたポイントが、今までの人生であったのだろうか。
    目をつぶって思案した。



    一番最初。
    そこらの人形よりも可愛い赤ちゃんだと思った。
    赤ちゃん特有の濁りのない瞳が、殊更その碧眼の美しさを強調していた。
    親戚の姉さんたちが読んでる漫画雑誌のキャラクターみたいで、男の子だと教えてもらった時は驚いた。
    ぼんやりとこちらを眺めていたその子が、はっきりと私を認識して目を細めて微笑んだ。
    不覚にも私の心は鷲掴みにされてしまった。 たとえそれが、乳児期特有の反射反応だったとしても、私はその瞬間、この子に囚われてしまったのだ。
    ふわふわの頬に触れようと伸ばした指先が、思ったよりもうんと強い力で掴まれる。
    いとけなさと、自分の指を握りこむ力強さがとても不釣り合いで、ちょっと怖いなって思ったことを、今も覚えている。


    五条とは、半ば無理やり押し付けられた幼馴染だった。
    あの子は、特異な存在であることから家の外に出してもらえず(勝手に出ていたが)、義務教育は全て家の中で家庭教師がつくとのことで、当然「学校」というものに縁遠かった。
    そんな中、彼の友達候補は同年代の然るべき家柄の子を…と誰もが思った。
    しかし当の本人が指名したのは、「五条」の傍系でも郎党でもない、昔からの付き合いしかない「庵」の自分だった。
    しかして、ご指名どおり幼馴染にさせられたのだが、そこからが運の尽きだった。
    五条が言葉を話せなかった時は、たしかに可愛かった。
    舌ったらずで自分を呼ぶ姿は悶絶ものだった。
    しかし、自分が小学校に行くくらいになると、可愛さはそのままに、およそ自分の周りには使う人がいないような悪口を、平気な顔して言うようになった。
    揶揄ったり馬鹿にしたり、学校の持ち物に落書きまでされた。
    その度に怒って追いかけたり嗜めたりするのだが、奴はその3倍くらいの仕返しをしてくるのだ。
    幾度となく「2度と来るか!」と捨て台詞を吐いたか知れない。
    そうして意固地になって遊びに行かなくなると、決まって母が「最近、あなたが行かなくなって寂しがってるみたいよ?」だの「昔はあれだけ『この子は私が守るの!』って息巻いてたのにねぇ」だの、嫌味を言ってくるのだ。
    そして、渋々五条に会いに行き、また揶揄われて、自分が怒って、五条はそれを見てケタケタ笑って、追いかけっこスタート。
    これを何度も何度も繰り返してきたのが自分たちだ。
    これまでで予想外だったことは、高専に通う必要のない五条が入学してきたくらいだろうか。
    その時だって、関係は変わらないはずだった。
    ただの先輩と後輩。
    それ以上でもなかったはずだ。
    それなのに。
    平気で踏み越えてくるのだ。
    アイツは。
    人の気も知らないで。



    同年代の子が思春期に突入して、小学校では恋バナばっかりになった。
    やれ「歌ちゃんは好きな子いるの?」だの「幼馴染いるの!?いいなぁ」だの、正直言って面倒臭かった。
    そんなに幼馴染がいいならくれてやってもいい。
    見てくれしか長所がなく中身が終わってる。
    みんな夢見すぎだと思う。そんなことを考えながら、「ピカチュウ!10万ボルトだっつってんだろ!」と、変なマイクに向かって怒鳴ってる馬鹿を見る。
    私なんで呼ばれたんだ?
    「なんだよ。………やる?」
    すごく嫌そうな顔で訊いてくる。
    幼馴染が全部、恋愛対象だと思うなよ。
    こんなガキ、よくて弟だ。
    「さとるは、好きな子とかいるの?」
    いるわけないわよ。
    人を好きになれそうにないもの。
    「あ?今忙しいんだけど」
    「そうよねぇ。さとるにそんなんいるわけないもんねぇ。9歳?になったばかりだもんねぇ」
    時間の無駄だった。
    父さんと母さん、まだかな。
    早く帰りたいな。
    「ば、かにしてんのか。馬鹿姫!」
    さとるの顔が赤い。
    そんなに怒ること言ったかな。
    「あーはいはい。ゲームの邪魔してごめんね?」
    「ーーー好きな奴くらい、いる!!」
    それは驚き。
    コイツに恋愛の機微とかわかるのかな。
    「へぇ。本当にぃ。こんな狭い世界で好きな人作るなんて。あんたやっぱ器用よね」
    「馬鹿にしてんのか」
    いつもなら、そろそろ反撃してくる頃合いなのに。
    この間、誕生日だったから少し成長したのか。
    「はぁ?単純に褒めてるだけよ」
    「なに目線だよ」
    「お姉さま目線」
    珍しく今回の喧嘩はコイツに勝てるかもしれない。
    なんて考えてると、さとるは下を向いてしまう。
    「…気になんねーの?」
    「なにが?」
    「おれが!だれのこと好きか!?」
    あ、恥ずかしがってやんの。
    昔の、悪魔になる手前のさとるを思い出した。
    「全く。傍系の誰かでしょ?応援なら期待しない方がいいわよ。私が関わるとアンタの親戚筋、みんな嫌な顔するから」
    コイツに関わったがために被ってきた、さまざまなトラブルが脳裏をよぎる。
    「なんだよ、それ」
    ポカンとした表情。
    そりゃ知らないか。
    アンタの前では皆、猫被るんだもの。
    「陰口なんかは昔からあったわよ?最近はそれに親御さんも加わるようになって、さすが呪術の大家は違うわね」
    正直、もううんざりである。
    「…なんで言わなかったんだよ」
    「言ったところで、さとるになにができるのよ」
    なにもできないでしょ。
    それに、アンタに知られたら惨めさが増すだけじゃない。
    「言われないと何もできないだろ」
    「言われないと気づかないなら同じじゃない」
    「んなことないだろ」
    なにを怒ってるんだ。
    言わないとコイツに不利なことでもあるのか?
    まぁ、いいや。
    「それはおいといて」
    「置くな。まだおわってない」
    「さとるに好きな子かぁ。私がいたら流石にその子も嫌よねぇ」
    これは千載一遇のなんとやらでは。
    「は?」
    「周りの子の目もあるし、私そろそろお役御免でいいんじゃない?」
    友達が「私」固定だから波風が立つのだ。
    「へ?」
    「この間、アンタのこと呼び捨てにしたら、見ず知らずのおじさんに注意されたのよね。あれも中々キツかったわ」
    私が望んでこうなったわけでもないのに。
    言葉も碌に話せないこの子が、私にひっついてまわってたってだけなのに。
    「アンタも好きな子ができたし。私もそろそろ辛くなってきたし。幼馴染、解散」
    塞がってた胸が、ぱぁっと広がっていく気がした。
    呪いというものが祓われたら、きっとこんな感じなのかもしれない。
    「え?」
    「あー。でも、さすがに盆と正月くらいは挨拶来るわよ?そこまで薄情じゃないわ」
    目の前が明るくなる。
    やっと、好きなことに沢山時間を割ける。
    「うた、ひめ?」
    「なんか、新しい一歩って感じね!」
    自分はその時、心から笑ってたと思う。
    一方、アイツの顔なんて覚えていない。
    むしろ見てすらいなかった。
    だって、見てしまったら覚悟が鈍る予感がして仕方がなかった。
    気づいてはいけない「なにか」に、絡めとられる予感がした。

    ーーそうか、さとるにも好きな子ができたのか。
    せっかく晴れたはずの胸の奥が、モヤッとした。


    その後、私は中学に上がり、予告通り五条の家には盆と正月くらいしか行かなくなる。
    行くと必ずアイツの周りには華やかな着物の女の子たちが取り巻いていて、どの子が五条の想い人だろうと眺めていた。
    眺めていると、だんだん見てられなくなり、いつも逃げるように人気のない中庭に身を置いた。
    誰の目にも止まらない場所で、沙羅の木=ナツツバキがフワフワの冬芽をつけていて、いつぞや見た、あの子の産毛を思い出した。
    いつか忘れてしまったが、アイツが私の髪に落花を挿した時、不覚にも鼓動が大きく跳ねた。
    恥ずかしさと、胸の内から広がる喜びと。
    あの時、解散と言い放った罪悪感。
    なんでいつまで経っても、私の中からアイツが消えないんだろう。
    ぐるぐるぐるぐる考えてるうちに、答えが出た。
    頭を抱えた。
    これはあまりにも身勝手だ。
    私はアイツを見捨てたどころか、消えろとまで思っているのに。

    あろうことに私は、3歳も年下のクソガキに、恋をしていた。

    そこからは必死だった。
    自分たちの立場。
    五条の想い人。
    どちらの問題も「好き」という感情だけでは、どうにもならないことだと思い知った。
    何をどう頑張っても、あの子と私は結ばれることがない。
    そもそも、一度見捨てた私に、そんな資格はないのだ。
    現では無理な「夢」だ。
    私は、それからその「夢」を忘れることに注力した。
    だというのに。



    私の「夢」は最悪な形で叶おうとしている。
    それもこれも、アイツにはっきり言ってこなかったせいだ。
    初夜のとき、アイツが私に「好き」だと言った。
    「ずっとこうしたかった」と。
    嬉しさに鼓動が跳ねたと同時に、コイツは想い人がいるのに、私にこんなことを平気で言えてしまうのかと愕然とした。
    加えて、散々現実を見続けた自分の胸の内は、与えられた喜びを一瞬で黒く塗りつぶした。
    アイツが言い慣れてるであろう「好き」と言う言葉が、的確に私の心を抉ってくる。
    「好き」だから何だというんだ。
    アイツの存在が、私のあるべき姿を揺るがす。
    考えなくても良いことを、めそめそと考えなくてはならなくする。
    ーー消えろ消えろ。
    私の中から、この想いごとアイツを消すにはどうすればいい?
    残りの新幹線の時間は、ずっとそのことばかり考えていた。


    *五条(17)

    「歌姫さんのことでお話があって参りました」
    門の前で待つこと1時間。
    呆れ返った様子でおばさんが客間に通してくれて、無理やり上座にあげられ、今に至る。
    「とんでもないことをしてくれましたね」
    庵のおじさんーー歌姫の父親は、まさしく「五条の家人」を相手にしている時の口調で口火を切る。
    俺もそれに則って公の姿勢で臨む。
    「今回の件は私が歌姫さんを唆して事に及んだだけです。彼女に非はありません。罰なら何なりと受ける所存です」
    座布団からおりて首部を垂れる。
    土下座なんて初めてした。
    傑に練習付き合ってもらってよかった。
    「罰などと。歌姫も大人です。流されておいて全く非はないとは言えません。こちらこそ、大切な『五条』のご子息に手をつけてしまったこと、申し開きもございません。ーー此度の責任を取り、『庵』は長らくありました『五条』とのご縁を切らせていただくつもりです」
    おじさんの言葉が冷ややかに客間に響く。
    当たり前だが、おじさんはかなり怒っている。
    それは百も承知。
    それにしても、縁を切るって。
    「待ってください。責任なら私が」
    「口を慎まれよ、ご次代。当主でもない、ましてや成人してすらいない貴方さまに、一体どんなお『力』があって軽々に『責任をとる』などと申されるのか」
    ーーさとるになにができるのよ
    今の俺より、幼い歌姫の声が脳裏に蘇る。
    当時、それなりに傷ついた言葉だった。
    親子揃って同じこと言いやがって。
    「『五条』の当主には必ず私がなります。ほぼ確実です」
    「確率の話をしてはいないんですよ。ならばそのお力を以って、ご自身の意志で、当主の座から手を引くことができましょうや」
    歌姫に面差しが似ている顔が、さも面白そうに歪む。
    この人も根っからの術師だな。
    歌姫が、まっすぐすぎるだけで。
    「…そ、れは」
    言葉に詰まった。
    己の実力だけなら当主の座など不要。
    だけど、こんなに使える「手札」はそうそうない。
    即答できなかった。
    相手側から小さなため息が聞こえた。
    「できますまい。ーーそもそも、今回の見合話は『庵』が懇意にしていた家に持ちかけたものでした。歌姫が嫁ぐのではなく、婿に来てもらえないか、と」
    初耳だった。
    庵直系の長子である歌姫に婿養子。
    つまり
    「ご想像の通りです。当家は、表向きは呪術界の慣例に従い、私が当主をしております。しかし、本質的には私は婿養子。『庵』は古くより女系ゆえ、隣室に控えておる妻がこの家の当主なのです。ゆくゆくは『庵』の素養を最も受け継いだ歌姫が、当主になります」
    「責任をとる」なんて甘い話ではなかった。
    なんで俺は、この可能性に気づかなかったのだろう。
    「このことを、歌姫さんは、知ってるんですか」
    そんな話、一度も彼女の口から聞いたことがない。
    「ええ。。あの娘が幼い時より言いふくめて参りました。もちろん、今すぐに当主になるということではありません。しかし、遠い未来、『ほぼ確実』に当主になります。歌姫も承知の上で、今回のような馬鹿なことをしでかしたのでしょう」
    返す言葉もなかった。
    俺も歌姫もそれぞれの家で当主になる。
    「呪術界は血統主義」かつ「男尊女卑」。
    決して軽い気持ちではなかったが、歌姫の未来を一つ踏み躙ったということだけは理解した。
    それなら、なんで歌姫は、俺のことを受け入れたんだ。
    言い知れぬ不安のような疑問が湧いた。
    「当家の傍系は他家に比べれば少なくはありません。当主が子を成さずとも、次世代は生まれてきます。しかし…これは親ゆえのエゴではありますが…あの娘は伴侶を得、子どもと共に生きることを幸せに感じる性質だと思っておりました。そう思ってこその縁談でした。しかし、あの娘が我々に事の次第を説明にきたおり、『結婚はしない。一人で生きていける。勝手な真似はしてくれるな』と啖呵を切られてしまいました」
    おじさんの声色が普段のそれに戻り始めた。
    場の緊張感が和らぐ。
    「歌姫さん、らしいですね」
    「ええ。本当に。売り言葉だったので『それならば好きにしろ』と買ってしまいましたが」
    「おじさんらしい」
    うっかり本音が出た。
    「ご次代。くつろがれるのはまだ早い」
    顔がまた険しいものになる。
    こういう建前主義も歌姫そっくり。
    「すみません」
    「よろしい。つまり、ご次代はああ言ってくださいましたが、もともとは『庵』の都合に貴方さまが巻き込まれたのに変わりはありません。ゆえに、長らく頂戴したご支援ともども切らせていただく所存です」
    話が論点に戻った。
    今は、この場を収めるのが先決。
    「そのことは、私から現当主に口添えさせていただきます。一方的な判断にならないよう。そのくらいは、『今の私』でも、できます」
    「寛大な措置に感謝します」
    おじさんが首部を垂れる。
    倣って俺も下げる。
    「頭を上げてください。ーーーおじさん、もういい?」
    いい加減ダルい。 
    「相変わらず反省する『フリ』が苦手だね。婚姻前の娘を手篭めにされた親父を前にして、その態度がとれるとは。さすが『五条』」
    鼻で笑うと膝を崩したので、俺も胡座をかく。
    「…おじさんが本気で縁切るなら、俺を家にあげないだろ」
    「追い払ったのにずっと門の前にいられては。腰の低い脅しだね」
    ここからが本題。
    「なんで歌姫に事前に言わなかったんだよ」
    「事前に言ったら事前に対策を打つだろう?」
    悪びれもせずに言う。
    それであんな拒否反応起こされてちゃ意味ないじゃん。
    「なんで結婚させたかったの?」
    「娘に変な虫がついてほしくないのは、どの親も共通だよ」
    「大失敗してんじゃん」
    虫を見るような目で睨まれる。
    「歌姫の『結婚する気はない』って」
    ーー好きな人がいるの
    陳腐すぎて吹いてしまった言葉を思い出した。
    「本心だろうね。理由は分からんが。我々としては本人がそういうなら構わない。家督のことも『ほぼ』確実だし、本人がそのつもりでいるなら、それならそれでいい。それであの娘が幸せなら」
    おじさんたちには言ってないんだ。
    この流れなら素直に話せば応援してくれそうなものだが。
    相手に問題があるのだろうか。
    「とても娘の幸せを思ってやったこととは思えないんだけど」
    「裏目に出たなぁ。秘密裏に動いてたはずなんだが」
    「悪事はいずれバレるって」
    本日何度目かのため息が漏れた。
    「歌姫が、もし継ぎたくないって言ったら?」
    「家族会議だね」
    意外だ。
    てっきり何としても歌姫に継がせたいものと思ってた。
    「会議する余地があるんだ」
    「如何様にも」
    言葉を区切ったおじさんと目が合う。
    見据えたような目で俺を見る。
    「次代もまさか『遊び』であの娘に手を出したわけではあるまい」
    なんだ。
    「おじさん、そこまで気づいてて、うちからの縁談断り続けるの」
    「幸せを願えばこそ、鬼の根城にむざむざ娘を遣る親はいないだろう」
    てことは、やっぱり俺が虫か。
    「否定はしないけど」
    「なんとも頼りない」
    お互い肩を落とした。




    その後は考えるまでもなく多忙を極め、気づけば3年ほど月日が経っていた。

    目を疑った。
    たまたま通りがかった駅の待ち合わせスポット。
    見慣れた呪力を感知して声をかけようとして、それができなかった。
    早鐘のように鼓動が鳴る。
    ーーこんなこと本当にあるんだ、と思った。
    好きな人が彼氏と待ち合わせてる現場を見た。
    あんな風にも笑うんだ。
    長い付き合いである自分が、見たことのない表情がまだ存在するのに驚いた。
    同時に、それを向けられている相手に対して、嫉妬に限りなく近い羨望を覚えた。

    後で硝子から、歌姫が復縁したと聞いた。
    相手は中学の時に「一瞬」付き合った先輩。
    見合騒動の原因になった歌姫の「好きな人」。
    知らぬ間に歌姫の「初恋」が叶ってしまった。
    幾度か潰してしまおうとも思った。
    だけど、そう思うたび、僕には見せたことのないあの笑顔がチラついた。
    あと、庵のおじさんが言ってた「あの娘が幸せなら」。
    歌姫は、きっとアイツが幸せにするんだろう。
    それを、歌姫も望んでる。
    だったら、僕は身を引くべきだ。
    だって、あの光景が、歌姫の望んだものなら。


    *歌姫(24)

    大昔の夢を見てる。
    私にべったりな男の子。
    まだ私が、その子のことも、周りのことも何も解ってない頃の夢だ。
    「うーちゃ、うーちゃ」
    ようやく言葉らしいものが話せるようになって、周りが「うたちゃん」と呼ぶのを真似て、顔が見えると何度も呼んでくれた。
    「なぁに?」
    「えへへぇ」
    破顔した彼が思い切り抱きついてくる。
    「さぁちゃん、なぁに?」
    顔を覗き込むと照れたように笑う。
    「だいすきっ」
    「わたしも!!」
    大好きに決まってる。
    「いっしょ!」
    「おそろいね」
    すると目をぱちくりするさぁちゃん。
    なんでだろう。
    「どうしたの?」
    「いっしょ」
    今度は怒ったように強めに言われる。
    「そうね」
    よくわからないけど、とりあえず同意しておく。
    「うん!」
    今度はにっこり笑って、抱きつく手にぎゅっと力が加わった。



    「ーーーうた?うた」
    聞き慣れた声にハッと覚醒する。
    最近、任務の量が尋常ではなく、疲れが相当溜まっていたらしい。
    彼に抱かれているうちに眠ってしまったようだ。
    申し訳なさでいっぱいになる。
    今回だけではないのだ、こういうことは。

    彼とは中学の時に一度付き合い、昨年の同窓会で再開して、また付き合うことになった。
    私のあり得ないポカを、彼はいつも優しく受け止めてくれる。
    私はその優しさが居心地よくて、完璧に甘えてしまっている。
    上体を起こすとかかっていたシーツが落ちて素肌が露出する。
    彼の視線が、バチりと一点に集中する。
    あぁ、今回もまたアレが始まるのか。
    「うた、傷がまた増えてるね」
    痛々しそうに眉を寄せる彼。
    久しぶりに会ったのだ。
    そんな顔しないでほしい。
    「………うん。見苦しくってごめんね」
    なんで私は謝っているのだろう。
    「やっぱり辛くないの?」
    「仕事だもの」
    幾度となく繰り返された問答だった。
    彼の質問はずっと変わらないし、私の答えもずっと変わらない。
    だけど今日はそれだけでは済まなかった。
    「…本当に、その仕事。まだ続けるのか?」
    背中にヒヤリと嫌な寒さが走る。
    「え?」
    「俺は、うたにこれ以上傷ついてほしくない」
    彼の目は真剣で、跳ね除けることができなかった。
    「え〜っと?」
    この先に続きそうな言葉が浮かぶ。
    大人になって付き合いだした時に、彼には私の仕事のことを話してある。
    あの時は、応援すると言ってくれたのに。
    「どうしても辞められない事情があるのか?」
    「辞められないって…。私がなりたかったものよ」
    ここまで踏み込ませてしまった。
    彼の性格を思うと、辛い思いを抱えながら話してくれているはずだ。
    「それは分かるけど。そんなにボロボロになって続けるようなことなのか?」
    「…辞めさせたいの?」
    彼に言わせる前に自分で言った。
    頭が真っ白で、言葉に険があったと思う。
    彼は心配してくれているだけ。
    私の不甲斐なさが原因なのに。
    「俺なら、うたに辛い思いをさせない」
    「辛いって…」
    一度も仕事が辛いなんて言ったことはない。
    彼が私の身体を見て、そう判断したのだろう。
    ーーそうか。
    普通の人は、この消えない傷がたくさん残った身体は、辞めたくなるほど辛いものなのか。
    「俺なら、うたがこんなに傷つかなくても生きていけるようにする」
    「…それ、どういう意味?」
    「うたのご両親に相談する。こんな仕事、うたが続けなくてもいいようにする」
    「こんな仕事…!?」
    全身の血が沸騰しそうだった。
    言い返そうとすると、彼の大きな手が両肩を力強く抑え込む。
    こんな強引な仕草は初めてで、虚をつかれた。
    「うたは誇りをもってやってるかもしれない。でも、死ぬかもしれない、死んでも事故死として処理される、骨すら帰ってこないかもしれないって、どう考えてもまともな仕事じゃない。そんな世界に、うたを置いておきたくない」
    握りこまれた肩が痛いはずなのに、胸間の方がずっと痛む。
    「心配にかこつけて他人の仕事のケチつけないでよ!なんのつもりで」
    「他人事じゃない。俺はうたと一緒になりたい。だから、うたに苦しんでほしくない」
    「…え」
    喜びや多幸感、幸せといった感情をすべて追い抜いて、私は落胆した。
    私は己の不甲斐なさのために、憐れみで婚姻を迫られているのか。
    もちろん、この憐れみも他ならぬ彼の優しさからくることは分かっている。
    だけど、辛い目に遭ってかわいそうだから、結婚してもらうのか。
    この最低に自分勝手な思いは悟られていないらしい。
    先輩が安心させるように微笑むと話を続けた。
    「こんな形でごめん。でも、今言っておかなきゃ、次なんてないと思って。ごめん。もっとしっかり準備したかったんだけど。プロポーズ。一緒になろう?うた」

    いっしょ。

    あの子の声が聞こえた。
    私にしがみつく手。
    こんな時でも、アンタは私の邪魔をするのか。

    「うた?」
    怪訝そうに首を傾げる先輩。
    「ごめんなさい、少し、時間をちょうだい」
    即答できなかった。
    あんなに自分の身を案じてくれるのに。
    こんな傷だらけの私をそばに置いてくれると言ってくれてるのに。
    そのどれもが、私の望んだ形で発露しなかった。
    なんて不誠実なんだろう。
    己の醜さに失望した。
    優しさに報いることができない。
    こんな私が、幸せになれるわけがない。
    答えはずっと保留だったし、彼から催促されることもなかった。


    明くる年、術師としての仕事が洒落にならないほど増えた。
    私は、卑怯にも仕事を理由に、彼と別れた。

    それも束の間。
    一年後、初めて卒業させた教え子が死んだ。
    仕方がないとはわかっていた。
    だけど、己のやってきたことが、何の意味もなさなかったから、教え子が死んだのだ。
    そうとしか思えなくなった。
    ひとりになると。
    もうどうでもいいや、と思うようになった。

    なにが一人で生きていける、だ。
    過去の自分を嗤った。

    歌姫(28)

    高専に入学する前。
    母に連れられてオペラを観に行ったことがあった。
    術式云々ではなく、たまたま観劇のチケットを手に入れた母に誘われて行っただけだった。
    開演してすぐに「あ、この曲知ってる」と思うやいなや、パンフレットの内容と照合しながら世界観に浸った。
    高級娼婦の女性が人生の終盤、男性に口説き落とされるのだが、男の家族から離縁を迫られる。
    職業の貴賎によって家族に不利益があると。
    女は悲しみに暮れるが、黙って男の前から姿を消す。
    胸が抉られる思いだった。
    愛し合って結ばれたはずの二人が、世間体や後ろめたさによって離別し、真実が明るみになった時には手遅れだった。
    主役の女性に同情してしまった。
    どうせ叶わぬ夢ならば、最初から見たくはなかっただろう。
    なまじ半端に叶ってしまって、夢が醒めたら地獄ならば。
    いっそ、男なんて端からいなかった方が、穏やかに死ねたのに。

    意識がうつろう。

    目の前にまた。椿の花。
    「五条」の家の私の好きな場所。
    だけど、夢に出てくるそこにはいつも違う木が植わっている。
    だから、ここには、沙羅の木が。
    思案して、白い椿がなんなのか思い出す。


    ーーーあぁ。

    そういうことか。
    あの女性の椿だ。
    女性が営業を知らせる時に胸に飾る花。
    白い椿だった。
    あとは簡単だった。
    私はアイツに対して後ろめたいのだ。
    アイツのことが好きだ。
    ずっとずっと幼い頃から、私はあの子に囚われ続けている。
    だけど。

    私は庵の当主になる。
    私は術師として研鑽を積む。
    だから「いっしょ」になれない。

    ーーいや、これは建前だ。
    私が子供の時に「初恋」を諦めた理由だ。

    今はそれだけじゃない。

    私にはアイツの隣にいるだけの力がない。

    でも、これも一番の原因じゃない。

    「呪術界は血統主義。処女でなければ忌避される」

    たしかに、純潔こそ五条に渡した。
    だけどその後、3年前に自分はとんでもないことをしでかしている。
    それが悪いことと自覚しつつ、それにしか縋れなかったのだ。
    仕方なかった。
    仕方なかったとは思いつつ、思い出すたびにあの子の顔が脳裏を過ぎる。
    ふわふわの白髪に、抜けるような青空の瞳。
    あの子が、責めるように私を見てる。
    胸が容赦なく握り潰されるように痛む。

    だから。

    だから、私の夢に沙羅の花は咲かないのだ。



    決着をつけなくては。
    この不毛な想いに自らトドメを刺さなければ。


    五条(25)


    ーーー数日後

    「で?なに企んでるの?」
    場所は歌姫の自宅。
    1ヶ月前に登録したきり、何の音沙汰もなかった歌姫からメッセージが送られてきた。
    「話がある」とだけ書かれた吹き出しと、字面だけはよく見知った彼女の自宅住所。
    伊地知にスケジュールを確認して日取りを決めた。
    「会いたい」ではなく「話がある」か。
    また面倒なことをぐるぐる考えてるんだろう。
    ため息が出た。
    もっと単純でいいのに。
    歌姫が願うなら大抵、なんだってしてやれる自信はある。
    「話がある」。
    上等だよ。


    呼び鈴を連打して通してもらった先はリビングだった。
    なんだ、寝室じゃないのか。
    必要最低限しか話さない歌姫は、僕に椅子に座るよう促すとお茶を出して、自らも向かい側に座る。
    律儀だなぁ。

    「ーーーこれで、終わりにする」

    覚悟を決めたような、絞り出したような声。
    「なにを?」
    まだ碌に始まってすらないのに?
    「身体の関係も、ダラダラ続いた幼馴染の関係も。全部終わらせて、ただの同僚にする」
    歌姫のことだ。
    僕のことも、お節介にも色々考えての発言なんだろうけど、身勝手な話だ。
    「いろいろ引っかかるとこあるんだけど」
    歌姫の目を見据える。
    意志のこもった瞳が見返してくる。
    「幼馴染なんて歌姫がとっくに解消したじゃん」
    ずっといっしょって約束したくせに。
    「私の中には、まだこびりついてんのよ」
    「ふーん」
    意外だった。
    ーー幼馴染、解散!
    あんなに清々した顔して言ったくせに。
    「これで、決別する」
    あの時ですら、逃げきれなかったのに?
    「切るって言って切れてないの。実証済みじゃん」
    最高に鈍すぎる。
    切ろうと思っても切れない。
    捨てようと思っても捨てきれない。
    情が深い歌姫の失敗パターンだ。
    「本当、自分勝手だよね。今も昔も。ーー僕のこと、少しは考えたことある?」
    華奢な肩が小さく跳ねる。
    「少しどころか、いつも出てくるんだよ!いっつもいっつも!大事なときに出てきて邪魔してくの!」
    「へぇ?たとえば?」
    合ってた目線が外れる。
    嫌な予感。
    「ーー。先輩にプロポーズされたとき」
    「いつだよ」
    今更。
    未だに出てくるのか、ソイツ。
    「4年前」
    「フラれてんじゃん」
    別れたのは確かな情報筋ー硝子から確認済み。
    見合騒動引き起こしてまで守った「初恋」だったのに。
    手を引いてやった僕が馬鹿みたいだと当時は思ったものだ。
    「フラれてねぇよ!一緒になれないと思ったから別れたんだよ!」
    あっそ。
    「ま、どうでもいいや。ほかには?」
    「見合、させられそうになった、とき」

    ーーーん?
    あの騒動の原因はさっきの「初恋」の先輩のはずだろ。
    なんで僕?
    脳内に宇宙が広がる。
    それに気付かず歌姫は話を続ける。
    「もう二度とアンタの家なんか行かないと思ったときも、幼馴染解散したときも、彼氏ができたときも、嬉しいはずなのに。やっと自由になれると思ったのに」
    そうか。
    歌姫の「好きな人」「初恋」は。
    ことの次第がなんとなく分かって顔を上げる。
    僕は笑い出したい気分なのに、目の前には久しく見なかった歌姫の泣き顔があった。
    いや、先月襲った時に見たか。
    でも、それとは別の、幼い頃に見た悔しそうな泣き顔。
    「出てくるのよ。アンタから離れようとすると。あの子が………アンタが!『待って』って引き留めてくるの!だからーーー」
    この顔で歌姫が泣くと、胸が詰まった。
    いつも罰が悪くなって、柄にもなく謝ったっけ。
    歌姫はあまり泣かないし、必死に泣くまいとする姿が痛々しかった。
    今も、泣き止もうとする姿が、どうしようもなく「彼女らしさ」を感じさせた。
    昔なら僕から謝って、泣き止むまでそばにいて、それで終わり。
    なにも解決してないけど、歌姫が泣き止めばそれで終わりだった。
    今日もここで止めておいてあげたいけど。
    だけど。
    「終わりにする」って言い出したのは歌姫だろ。
    それなら、僕も相応の覚悟で引き留めるよ。
    だって、歌姫だけの話じゃないんだから。
    席を立って歌姫の隣に立つ。

    「また捨てるの?」

    歌姫の目が見開かれる。
    涙に濡れた、綺麗な赤銅色が揺れる。
    ほら。
    覚悟なんてできてないじゃん。
    目線を合わせて歌姫の手をとる。
    その手を彼女の胸間に置く。
    「ずっと、ここにいさせてくれたのに?今更?」
    「そ、れは」
    彼女らしからぬ弱々しい声だった。
    「もう諦めなって。歌姫が捨てられるわけないよ。僕のこと」
    悔しげに項垂れた彼女を抱きしめる。
    いい加減、観念しなって。


    「事情を聞こうか?」
    粗方落ち着いたので仕切り直し。
    ズビッと鼻を噛んでた歌姫がこちらを睨む。
    「アンタと、一緒になんて、なれるわけがないじゃない」
    尻すぼんだ声で断言する。
    「なんで?」
    「家の、こと、とか」
    そんなことか。
    「家のことは、家族会議開いたらなんとかなるって、おじさん言ってたけど」
    目尻が赤くなった目が見開かれる。
    「いつ!?」
    「歌姫の処女もらって挨拶行ったとき」
    「なにそれ。知らないんだけど」
    心底驚いた表情。
    あれ?
    「おじさん、本当に応援する気ないんだね」
    でも無駄な抵抗だったよ、おじさん。
    「一人で、行ったの?」
    「歌姫が一人で行っちゃったし。あそこまで盛大に広めたからね。責任取ろうと思って」
    「アンタでもそこら辺まともなのね」
    まあね。
    実際いただいちゃったもん。
    「その時に初めて歌姫が当主になるって聞かされた」
    「べつに隠してたわけじゃないんだけど」
    「普通言わない?そんな大事なこと」
    こちらも色々と作戦があるのに。
    「知ってると思ってたのよ、そんなこと」
    「言われないとわかんないって」
    なんかデジャヴなやりとりだな。
    罰の悪そうな歌姫と目が合う。
    「…なんて言ってたの?父さん」
    首をひねる。
    「んー?あんまり覚えてないけど。代わりはいくらでもいるって」
    「くそ親父…」
    いつもの調子が戻ってきてなにより。
    「あと、歌姫。寂しがりやだから今のうちに良い人見繕って結婚させとこうってハラだったらしいよ」
    見事にご破産だったわけだが。
    「チッ。ふざけてんのか」
    「でも、おじさんの勘も侮れないよね。結局ストッパーいなくて碌でもないコトになってたし」
    「〜〜〜〜」
    テーブルに突っ伏したところで、この問題は解決できたと見た。

    「で?ほかは?」
    突っ伏した顔を少し上げる。
    こちらの出方を伺うような目。
    「ーーーアンタの、好きな人」
    「歌姫だけど?」
    四半世紀ずっと。
    「軽々しくいうな」
    「重々しく言えば了承なの?」
    ふいに口角が上がってしまう。
    「言い方じゃない!」
    「ならなに?」
    「アンタの好きは、私の好きと違うのよ」
    思考が固まる。
    僕の前にいるのは本当に成人女性なのか。
    「歌姫、今いくつ?」
    「28」
    「28にもなって恥ずかしくないの?」
    聞いてるこっちは恥ずかしいんだけど。
    「〜うっさい!」
    「これまでの僕の愛情表現、やっぱり届いてない?」
    「アンタのあれは、オモチャ盗られたくない虎とか熊のそれでしょ」
    ザックに執着して登山者を襲った熊の話を思い出した。
    「人じゃねぇのかよ」
    「人の所業とは思えないのよ」
    失礼な。
    「あんなことするの、歌姫にだけだよ」
    歌姫以外にやったら死にかねないし。
    第一、歌姫以外にあんな熱量もてない。
    「それに。…そういう相手を探してたんじゃないの?あの時だってなにしようって…」
    「歌姫さ。僕のことナメてる?誰かさんみたいにいかがわしいサイトに登録しなくても、街歩いて誘えば大抵オッケーなんだよね、僕」
    味わい深い顔をする歌姫。
    うん。
    いつもの歌姫だ。
    「誰かさんみたいに痕跡残さないし。そういう相手作るのに、こんな労力かけないって。暇じゃないんだよ?」
    顔が引き攣ってる。
    知らない世界だろうなぁ。
    知ってたら知ってたで問題だけど。
    「好きかどうか言葉も行動も信じられないなら、とりあえず歌姫に執着してるってことで納得してみない?」
    「執着…」
    「熊なんでしょ、僕」
    「そうね…」
    曖昧な返事をした後、伺うようにこちらを見る。

    「………じゃあ、子どもの頃の、好きな人は?」

    ーー気になんねーの?
    ーー全く。
    「あれ?興味ないんじゃなかったの?」
    「あの時はなかったわよ。更々」
    「歌姫だよ」
    「は?」
    なんだ、その間抜けな顔。

    「昔も今も、ずっと歌姫のことが好きだよ」

    俯く歌姫。
    髪から覗く耳が赤い。
    はっとした。
    かつて「処女が欲しい」と言った時も、まして「好きだ」と言った時も靡かなかった彼女に、やっと言葉が届いたのだと確信した。
    胸の内があたたかくなる。

    「まだ、ある」
    「はいはい。どーぞ」
    まだあるのか。
    色々悩みすぎでは。
    いっそ憐れになる。
    もう少し己に都合のいいことくらい考えればいいのに。

    「……私。その、きたない、から」
    信じられない言葉が聞こえてきた。
    「あ?」
    「身体も傷だらけだし。好きでもない人と、その。関係もったこと、あるし」
    か細い声と、さっきとは一転して更に弱った態度。
    これが本命か。
    「前者はともかく。後者は反省したの?」
    指先が白くなるまで握り込まれる拳。
    「……後悔は、してる」
    やっとの思いで吐き出したのが分かった。
    こんなに潰されそうなくらい後悔してるなら、やらなきゃいいのに。
    そもそも、行きずりの相手1人くらいで、そんなに落ち込むとか。
    特級相手にキャンキャン立ち向かってくる歌姫が聞いて呆れる。
    そんなんで自己嫌悪に苦しんでたら、僕なんてどうなっちゃうんだろ。
    馬は屠殺決定だけど。
    「そんなことで、苦しまなくていいよ」
    握り込まれた拳を包む。
    思ったより手が冷たくなってて驚いた。
    「術師やってれば致命傷の一つや二つ負うことだってあるし」
    「致命傷なんて受けて生きてんのはアンタくらいよ」
    「呪詛師と会敵すれば死んだ方がマシだって目に遭うこともある。分かりきったことじゃん。今更だよ」
    固く結ばれた拳の力が弱まる。
    一本一本、指を解いていく。
    「傷が増えようが、穢されようが、そんなことで歌姫の価値は決まらない。これは断言できる」
    加害者は殺すけど。
    「そばにいてよ。僕。昔より、ずっと、なんでもできるようになったんだからさ」
    涙に濡れた瞳が、やっとこっちを真っ直ぐ見た。
    「アンタの夢が叶ったら」
    え。
    「そこは一緒に叶えてあげる、じゃないの?」
    流れもっと考えて。
    「私は弱くはないけど、アンタほど飛び抜けてもないから。一緒に戦ってあげられないけど、次の世代を育てるのは、なんとか…」
    「なら、それでいいよ」
    「でも、少なくとも、夏油と決着つけてから」
    なるほど。
    「アイツに限ってないとは思うけど。もしもの時、足手纏いにだけは、なりたくない」
    なんとも歌姫先輩らしいことで。
    「りょーかい。さっさと終わらせるよ」
    「わかった。待ってる」
    花が綻んだような顔だった。
    いつぞや、羨望を込めて眺めたあの顔。
    惚けていると、恥ずかしげな声がした。

    「また、沙羅の花、ほしい、かも」

    ーー上出来。

    「歌姫、好きだよ」

    身を乗り出して赤銅の瞳を覗き込む。
    「わ、たし、も」
    先輩ヅラは鳴りをひそめ、まるで初心な少女の反応。
    今はまだ、これでいいか。


    僕も。ずっと待ってる。
    君の気持ちが追いつくのを。
    握っていた手を引き寄せて、彼女の手の甲に唇を寄せた。
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