公光♂冒頭 光の戦士――もとい闇の戦士がクリスタリウムへと向かう道すがら、従者の門で不意に呼び止められた。生真面目そうな声に、相変わらずだなと微笑んで振り返る。
「ライナ! 調子はどう?」
灰がかった白髪のヴィエラ。第一世界風に言うとヴィース族。特徴的なピンと立った耳が、ただでさえ背の高い身長をより高く見せている。彼女の場合、常に背すじを伸ばした綺麗な姿勢を維持しているのもあるが。
こういう時、低身長……というか猫背ぎみなミコッテだと余計に身長差を感じるなあ、と内心で苦笑していたら、少し見上げた先の彼女が視線を落とした。
「……公が、休んでくださらないのです」
苦々しげに小さく言葉を落とした彼女の表情には、普段の凛々しい姿はなかった。直立しているはずの両耳が、心なしか萎れているように見える。
第一世界に完全なる闇を取り戻し、当面の危機は去ったものの、いまだこちらの世界に留まったままの暁の血盟たち。
その彼ら(彼女ら)たちを原初世界に帰すべく、日夜研究に励んでいる水晶公があまり休息を取っていないのはなんとなく知っていた。シルクスの塔の端末として身体を繋いだ結果、多少の無理が効くような性質もあるのかもしれない。元より、集中すると寝食を忘れてしまうような彼――グ・ラハ・ティアが、まともに寝ているとは思えなかった。
日頃、本人に対して面と向かっては見せないが、育ての親である水晶公を実の祖父のように慕っている彼女にとって、過労気味の彼が心配なのだろう。このまま無理が祟って倒れでもしたら元も子もない。
薄い紫の葉を茂らせる木々の合間に、オレンジ色の日が落ちる。もうじき夜だ。水晶公もベッドで横になるべき時間であろう。
それにいい加減、俺も彼の恋人として放っておけない。最近見た彼の目元にはくっきりとした隈が浮かんでいた。そうと決まれば善は急げ。気落ちしたライナを元気づけるように声をかけた。
「俺にまかせて! きちんと寝かしつけてくるから!」
*
「こ、これは一体どういう状況なんだ……」
驚きに肩をすくめ、先端に白を混じらせた紅い耳をしきりに揺らす水晶公。重たく分厚いフードを降ろしたおかげで、感情を露わにする耳がよく見える。得も言われぬ優越感に口端が上がりそうだ。
その彼を見下ろせる公の膝の上に乗り上げて、俺は高らかに宣言した。
「というわけで、公には今すぐ休憩してもらいます!」
*
あれから従者の門でライナの訴えを聞いた俺は、一直線に星見の間へと向かっていた。顔馴染みの衛兵さんに軽く挨拶をして、すぐに塔の内部へ入る。勢いよく目的の扉をくぐった瞬間、普段は整頓され広々とした室内がおびただしい数の本で埋め尽くされている光景が眼に入った。
(これ、全部読んだのか……)
思わず、口から息が漏れる。敬服の念とともに、彼がどれほどの想いで仲間たちを帰す手段を探してくれているのかと、一瞬だけ物怖じしていまいそうになって、慌てて首を振った。いくら俺たちのためとはいえ、寝る間を惜しんで働いて、身体を壊しては元も子もない。
心を鬼にして彼に数歩近づく。案の定、仕事中の水晶公は、机に向かって手元の分厚い本のページをめくりながら、時折何かを書類に書きつけている。恋人でもある俺が来た事にすら気づかない様子の公に、これは重症だな、と顔をしかめた。
……端的に言って面白くない。せっかく会いに来たのに、一言声をかけてくれたっていいじゃないか。いくらか歳を重ねたとはいえ、忘れかけていた俺の中の幼稚な部分が、ちらりと顔を覗かせる。
これでは俺よりも遥かに歳上の彼に、そうヘソを曲げないでくれ、と笑われてしまうかもしれない。それでも、良い大人としての恥ずかしさよりも、恋人として甘えたい気持ちの方が勝ってしまった。
そう気がついたら、もう彼の膝の上にどっしりと座っていた。