身体が動かない。ただぐったりと脱力し、冷たく硬い塩倉の床に横たわっている。頭の先には、先程までわたしを無数の毛針で刺し貫いていた化け物男が座り込んでいる。何をしているのかはわからない。もはやそれを考える気力も残っていない。
全身に開いた穴からとめどなく血が流れだし、体温とわたしの生命力を奪っていく。この世に留まっていられる時間も、そう長くはない。薄れつつある意識の中で、その事実をどこか冷静に受け止めていた。
「……どの」
「おお、……か、いつ……」
何者かが塩倉に入ってきたようだ。おそらく一人ではない。伊賀者だろうか。化け物男と何やら言葉を交わしているようだったが、聞き取ることはできない。男が立ち上がって戸口に向かう気配を感じる。それと入れ替わりに、今ここへやってきた何者かがわたしの傍らに腰を下ろした。
「なんじゃ、……」
「……が、まだ……ようだ」
やはり聞き取れない会話を交わしながら、その者は感覚を失いつつあるわたしの手を取った。指が動く。血塗れの手のひらを押す、離す、撫でる。
あ。
───……お胡夷、お胡夷……
理解した瞬間、心が震えた。もはや指一本も動かせなかったはずなのに。それなのに身体の奥底から何かが沸いてきて、わたしは最後の力を振り絞って指を動かした。
───……あに、さま…………
幼い頃、兄から嫌になるほどに教え込まれた指問答。互いの手を取り合って行うそれは、わたしたち兄妹だけが知る暗号だった。
───……すまぬ、お胡夷……ひとあし、おくれた……
ああ。来てくれた。兄さまが、来てくれた。
なぜ兄が鍔隠れにいるのかはわからない。変形の術を使って潜入したのだろうが、もはやその行動に疑問を抱く気力もない。だがそれでもいい。兄は今、確かにここにいる。それだけで十分だ。
────……あにさま……じじいをひとり……倒し、ました………
────……そうか……よくやった……えらいぞ、お胡夷……
えらいぞ、お胡夷。その言葉だけですべてが報われた気がした。全身から血を流して死にかけているはずなのに、心が満たされていく。身体の内側から溢れる温かさを感じながら、眠気に任せてそっと瞼を閉じた。
────……た……たわらのすきまに……あやしげな……まきものが………
────……こころえた……
ああ、よかった。兄さまならばきっと巻き物を探し出し、弦之介様に手渡してくれる。これでもう大丈夫。ぜんぶ、大丈夫だ。
────……ああ……あにさま……あに、さま……
熱い雫が、血の気を失った頬を伝う。目尻から流れ落ちたそれが唇に触れて、口の中に塩辛い味が広がった。
────……あにさま……あに……さま……
あたたかい。頬を伝う涙が。流れる血潮が。握った手のひらから伝わる温もりが。なんて心地よいのだろう。まるで、いつかの日向ぼっこのようだ。
────……あに………さま…………ぁに…………
あたたかい。……ああ、あたたかい、なあ…………。
いつまでも浸っていたくなるほどの安らぎの中を漂いながら、わたしはゆっくりと眠りに落ちていった。