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    せのお

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    死なせて はやく

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    せのお

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    2021/06/29/しなやかな腕の祈り

    しなやかな腕の祈り任務を終えて屋外に出る前に、雨の湿ったにおいが鼻腔を掠めた。足を止めて後ろを振り返ると、げんなりといった様子の真依と目があう。あいにくと傘は持ち合わせていなかったし、お互いかなり体力を消耗していた。だから、疲れた上にびしょ濡れになって帰るなんてごめんだと嘆く真依の、少し休もうという提案を私は快諾したのだった。

    先の戦闘で足を負傷したと言う真依が「はやくおぶりなさいよ」と投げやりに告げる。特に断る理由もない私は言われるがまま彼女を背負って「お前まあまあデカいな」「本当にうるさい」なんて悪態をつきあって歩いた。私たちの居たフロアの電灯をさきほど自ら破壊してしまったせいで、あたりは一面薄暗い。窓や扉の隙間から漏れ出している曇天の自然光ではあまりに心許なく、避難案内の緑色をした蛍光灯だけが不気味に足元を照らしている。
    オフィスのような現場だから、どこかにあるだろうと思い立ち仮眠室を探して歩く。背負われた真依はしばらく悪態をついたあと何も話さなくなったけれど、きっと疲れているのだろう。私も特に話しかけることなく、ただ黙々と歩き続ける。真依の術式について詳しく聞いたわけではないけれど、交流会での様子を鑑みるに、彼女の身体に尋常じゃない負荷をかけるものなのだろうと認識している。そのことについて彼女が自ら口を開くことはないだろう。しばらく歩いた視線のすこし先に目的地を認めると、私は真依をかるく揺さぶった。
    「おい、多分あれだ。電気つくかな」
    「さすがにつくでしょ。あんた、あそこまで暴れてないし」
    「私だけじゃねえ、お前も何回か誤射した」
    「うっさい」
    仮眠室の電気が無事につくのを確認すると、私は真依をベッドに下ろす。思っていたよりも固い感触だったらしい真依が嫌そうなうめき声を上げた。重厚なドアを閉めてしまうと外部の音がほとんど遮断され、部屋にたやすく静寂が満ちた。そのまま真依の隣に腰掛けようと近づくと、ほとんど同時に彼女が口を開く。
    「電気消してよ」
    驚くあまり反応がすこし遅れた。
    「は?何でさっき電気つけたときに言わねえんだよ」
    「いいから」
    「いや暗いだろ、ちっこい窓しかねえし」
    「私動けないから、はやく」
    しつこいから私は大人しく指示に従った。電気を落としてしまうと、部屋の完全な静寂も相まって非日常的な感覚を思い起こさせる。開くことのできない小窓から漏れるささやかな曇天の白光、これでは部屋の外と薄暗さは変わらない。私は今度こそ腰掛けようとベッドに近づいた。
    「これで満足かよ」
    「おおむね」
    「なんだそりゃ」
    納得のいかないまま腰を下ろす。しばらく私たちは一言も話をしなかった。静寂は私たちの間に横たわったまま、いつまでも居座っている。ふと真依の横顔を見ようと顔を向けたけれど、私のいる反対側にある扉の方を彼女はじっと見ているようだった。真依が何を考えているかわからない。交流会でより深まったと思っていた私たちの溝は、存外これまで通り、むしろそれ以上に穏やかだった。というより、真依が随分と落ち着きを取り戻した。私はこの変化を喜ぶべきとも、悲しむべきとも、どれでもないとも定められないまま立ち往生している。真依がふとした瞬間に見せる、何かを決めてしまったような表情が小骨のように引っかかり続けている。
    「真依」
    「何」
    「つらくないか?足」
    妹の名前で静寂を破ると、真依はこちらを一瞥した。
    「まあまあね。そんなにひどくないし」
    「心配だから、一回見せろよ」
    「別にいい」
    そっけない返事を続ける真依に、ほんのりと苛立ちがわきおこるのを感じる。それでも私はそこそこに疲れていて、彼女もきっと然りだ。わざわざこの状況で発破をかけようとも思わなかった。気持ちを鎮めるように息をつくと、背中からベッドに倒れこむ。初めからこうしておけばよかったと胸の底から思うほどに、緊張で強張った身体がやさしく弛緩していくのがわかる。
    「真依、お前も転がれば」
    ほんの提案のつもりで真依の顔を見上げる。逆光というほどの強いコントラストでもなかったけれど、真依の表情はよく見えなかった。
    「ちょ、何」
    真依がのんびりとした動きで私の上に馬乗りになろうとしている。まるでこれから折り重なって眠ろうとしているみたいだ。足怪我してるんじゃねえのかよ、と言う前に、真依に手首を握られていた。下半身が完全に密着していて身動きが取りづらい。
    「ちょっと待て。何、何だ」
    「黙って」
    そう言って真依は私の指先をおもむろに口に含むと、性感を引き出すようにして舌を添わせてゆく。どこでそんなやり方を覚えたんだ、なんて聞く間もなく彼女の舌はじわじわと私のつま先をめざしてゆく。唾液を絡ませながら関節のくぼみや指の付け根ををていねいに確かめるように舐ると、たらりと伝う唾液を舐めとり、その都度音をたてて吸いついた。
    「っ、おい」
    やり場のない視線を彷徨わせる私とついに目があうと、彼女は私に見せつけるようにしてれろ、と指を舐め上げた。離れた舌と彼女の唾液に濡れた指先が透明な糸で繋がって、やがてぷつりと切れた。真依の息がすこしだけ上がっている。ほんの一分ほど、脳を焼かれる感覚だった。誰にも見られたくないような、後ろめたいような、うまく形容し難い気持ちが腹の底からふつふつと湧いてくる。私の手をさっと離すと、真依はゆっくりと瞬きをした。見たことのない妹の姿、妖艶な所作のひとつひとつに胸がざわざわと鳴る。私は何に苛立っているのだろう。
    「どうしたんだよ」
    「別に。ねえあんた、なんにもケアしてないの?」
    「何が」
    「かさかさだし、固いしまずい。爪だって、整えたら綺麗になるのに」
    手はそもそも口に入れるものじゃねえし。喉元まで出かかったそれをぐっと飲み込む。真依の舌が這う感覚が、まだ指先でじんじんと残響している。なんだか泣いてしまいたかった。私のそんな自分勝手な思考を見透かしたように、真依はふたたび口を開く。
    「私の手、よく覚えておいて」
    真希。あんたが放した、私の手。そう続けて真依は自身の手のひらを私の眼前にぐっと突きつけた。日々リボルバーが握られているしろい手には、まだあたらしいような赤い傷や豆がいくつか見えた。私はもう戦いたくないのだと訴えるような震えが、彼女の傷つき慣れない指先を伝っている。いくども骨を折ってはその度いびつさを増す、ぼこぼことした私の手とは色もかたちも随分違っているのだとふと思い知る。私たちは顔のつくりの他には、どこもそんなに似ていないのだった。
    「真依」
    「何も言わないで」
    ごめん、などと言えばその瞬間に自分の首が飛んでいるような予感があった。私の目に釘付けになったまま、真依の目は据わっている。力の入らないようにやわらかく真依の細い手首を掴むと、すっと自分の眼前まで近づける。誰かの手を舐めたことなどない、と思い至る前に、まだ幼い真依の泣き顔が脳裏をよぎる。舐めときゃ治る、となんの根拠もない思いつきだけで、彼女の指先からぷつりと湧く血液をなんども舐め取ったことがある。きっとあれは裁縫か何かを習わされていた頃だ。わたのようにふにゃりとしなる、あの頃のちいさくやわらかな真依の手のひらはもはや見る影もない。記憶をぼんやりとたどりながら彼女の手に這わせた私の舌は甘い、なんていうちぐはぐな味覚情報を脳に伝えてくる。関節のくぼみや指の付け根、手のひらのしわ、手の甲にうっすらと浮かびあがる血管に至るまで、拙い舌であますところなくなぞってゆく。彼女の手の体温を、骨のかたちをすべて舌に記憶させるように。手入れのよくゆき届いたうつくしい爪に、つるりとなめらかな皮膚の上に点在するふくらんだ傷。そのひとつひとつが彼女の痛みだ。私は真依の手を知らなかった。
    「忘れたら、許さないから」
    まるで言いきかせるような言葉の響きだった。伏せていた目をひらいて、真依の真剣なまなざしをすこしもこぼさないように受けとめる。昔日の記憶の延長線、泣いていると思ったのに、彼女のひとみは少しも潤んではいなかった。むしろ私の鼻の奥がつんとしていた。私の前で、真依はもう泣かないのかもしれない。
    「本当に大嫌い、大嫌い。大嫌いなの」
    最後に軽く音をたてて吸いつくと、私は指先を唇から離した。真依のように器用に舌を這わせることができなかったせいで、だらだらと唾液の流れる光景はなんだか見栄えがわるい。真依の手首から手を離す。
    「知ってるよ」
    「そんなことを言ってほしいんじゃないわ」
    名残惜しさをすこしも見せないで、真依はすっと身体を起こすと私を見下ろした。あまりに冷たい視線を前に、頬へ手を伸ばしたい気持ちを抑えるほかなかった。真依はあまり笑わなくなったのだと思っていたけれど、京都校の生徒たちと過ごす間には楽しげな表情を見せているのだった。その笑んだひとみが私を写すことはないのだろうと確信する。
    「戻りましょ。雨止んだし、もう日が暮れきってる」
    「お前が寄り道したせいだな。私はお前をおぶってさっさと帰れたんだから」
    「あんたも賛成したでしょうが。怒られる時は道連れだから」
    真依はベッドから降りると、私が立ち上がるのを待つことなく、さっさと前を歩き出した。
    「おい、足は」
    「もういい」
    もういいって何だ。そう声をかけたけれど返事はなかった。私は慌てて立ち上がると彼女の後を追う。重厚な扉が開くと、新鮮な空気がわずかに流れこんでくる。先ほどよりずっと暗くなった屋内を、不気味な緑色の光だけを頼りに進む。とりとめもなく飛び交う外の喧騒が、まるで一枚膜を張ったようにこもって屋内に反響する。疲れていて気がつかなかったけれど、ずいぶんと歩いてあの部屋を発見したようだった。少しずつ喧騒が近づいてゆく。出口を目指している間、真依は一度も私を振り返らなかった。
    外に出た途端、アスファルトから容赦なくたちのぼる青臭いにおいがいやに鼻につく。もうあたりはすっかり夜だった。どうやって帰ろうか、そう問いかけようと前に向き直る。
    「真依、はやく戻ろう」
    真依がようやく私を振り返って口を開くと同時に、いくつも通過した車の騒音が彼女の声をすべてかき消した。







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