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    せのお

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    死なせて はやく

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    せのお

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    2022/12/15/ちょっとはじまりそうではじまらない希と桃パイ

    遠視手放したとき、ようやく初めて、それまで手のひらの中にあったものの本当の形を知ることがある。私がかつて彼女に抱いていたものが愛であったのか、緩やかな不誠実であったのか、それともこのどれでもないのか。彼女に伝えるすべも、彼女から答えをもらうすべも、もうこの世界のどこにもないという事実だけがぐったりと横たわる。はじめからわかっていることだ。
    「あ」
    隣のシートに座り、雨の打ちつける窓を静かに覗き込んでいた桃が小さく声を落とす。彼女が身じろぐ音が鈍く鳴る。バケモノのように研ぎ澄まされた五感がつねに細やかな世界を流しこみ、脳内がぐちゃぐちゃに散らかったままでいた。
    「さっき通った喫茶店、真依ちゃんと行ったことある」
    赤い屋根のさ、と続けて、桃は私の顔を一瞥する。任務を終え補助監督の走らせる車に乗ってからおよそ三十分が経ち、ようやく最初の会話になりそうだ。
    「見てなかった、ごめん」
    「疲れたよね」
    「まあ、そこそこに」
    白んだ明るい窓を背景に、桃の小さな痩躯が逆光でかたどられる。ずいぶん冷え込むというので今朝憂太から渡された紺色のマフラーは、今は桃の首元に巻かれていた。からだがおかしくなっているのだ。
    鴨川沿いに三条を通ったあたり、こじんまりとした喫茶店やスーパー、米屋や政治家の事務所なんかが立ち並ぶ。私の知らない日々。私しか知らない真依がいるように、桃しか知らない真依がいる。
    「今日ずっとマフラー借りてたね。寒かったでしょ」
    「気にしなくていいよ。もうなんか、わかんねえし」
    「戻ったらあったかいココア淹れてあげる」
    「いいって、別に」
    「真依ちゃんがおいしいって言って、さっきの喫茶店で買ったの」
    真依の話をするのはいつだって桃からだった。甘ったるいようで、どこか部品が欠けてしまったような、ちぐはぐな声色で話すのだ。そうして彼女が真依に抱いていたものが私にはわかるような気がして、でもこれだってきっとわかった気になっているだけなのだろうと思う。親指のさかむけを右手の親指で撫でる。これをめくるとしばらく痛い。ささやかな痛みの先を想像できることに安堵する。
    「真依がココア飲んでるとこ、見たことないな」
    「霞ちゃんが最初に淹れてあげて、一年の冬は夢中になってたんだよね。かわいかったなあ」
    「そっか」
    あんた、私のこと本当に何にも知らないのね。
    「うん、知らなかった」
    真依の言葉のかたちをしたような何かを無意識に想起しては、決して音の乗らないそれをなんとなく捏ねることをやめられないでいる。あんなに話さないでいたのに、今になってずいぶんと都合のいいことだ。
    「会いたいね」
    死んでしまった人の声から忘れていくというのは、どうやら本当らしい。



    「私は真依ちゃんのことが好きだったけど、付き合いたいんじゃなかったんだろうなって。最近思うの」
    「はあ、そうか」
    「セックスとかもたぶん…違う」
    高専に戻ってからさっさと報告書を仕上げ、桃の部屋で交互にシャワーを浴びたあと、久しぶりに彼女とセックスをした。とくに合図もなく、いいや、真依の話をした時、決まってこうしているような気もする。桃が億劫そうに寝返りをうって私の顔を覗き込む。目が合うと一瞬懐かしむように歪むやわらかな視線が、すぐまた気だるげに落ちる。お互いの端々から滲み出す真依のにおいを探していて、そうして中まで暴かれるのも、それを望んだのも私だった。
    「それは私でいいってことか」
    「…適材適所?」
    「ひでえな。笑っちまった」
    「冗談だってば。あ、さっき言ってたココア淹れたげる」
    京都で泊まりの任務があると、かつて真依が使っていた部屋で眠るようになった。彼女の部屋はどうしようもなくがらんどうで、何も残さないことが真依の尊厳を守ることなのだと、今になってようやく気がついた。けれど、真依の気に入ったココア粉が残っている部屋。真依の言葉に似た偽物の何かを作り出す頭の中、彼女の世界のつづきでしか生きられない人たち。
    「いいって言ったのに。あんまり好きじゃない気がする」
    「じゃあ私だけ飲むから。少し寝てていいよ」
    「真依はさ」
    服を着ながらベッドを降りようとした桃の動きが一瞬止まって、すぐまたなんでもないように動き出す。空気が澱んで重ったるくなる感じがいまだに慣れなくて、暖房のついた部屋が苦手だった。真依はどうだっただろう。
    「私になんて言ってくれるかな」
    「わからない、何の話?」
    「おまえのこと大事にできなくてごめん、って。毎日考えるよ」
    桃は立ち上がりざまに振り返って、ベッドに横たわったままの私の顔を真剣な目で見つめた。私だけが丸裸で乱れたまま、それでも真依のことを考えると、いまだにからだがうまく動かないことがある。自分の選択を幾度となく悔やみはしたけれど、私は何度過去へ立ち返ろうと、導かれるように今と同じ選択をしただろう。私は私の星をあきらめきれない。つまりはどうしようもないのだ。真依の声も細やかな仕草も記憶から消えて忘れて、愛していようがなんだろうが、うまく大事にできなかったことだけが残った。桃はかつて、私を少しだけ憎んでいると言った。きっとこれはそういう目だ。
    「考えても仕方のないことだね」
    考えても仕方のないことでしょう。
    「うん」
    少し寝ていいと言われて、それで眠れるのなら困らなかった。目を閉じる。桃がお湯を沸かす音、戸棚が開いて閉じる乾いた音、陶器がぶつかる音が大きく頭に響く。しばらくそうしていて、やっぱり空気の重さが息苦しいと感じる。今日から随分と冷え込むらしいんだ、真希さんは風邪ひかないようにしてね。今朝聞いた声が思い出される。たしかにケロイドがひりつく感じがあった。あいつの妹は元気にしているのだろうか。私だって風邪をひかないようにって、愛しているって、真依に言ってやればよかったのだ。それで少し笑えればよかったのだ。
    窓を開けたいとぼんやり考えていると、甘い香りを漂わせた桃が近づいてくる気配がした。
    「私は今ね、真依ちゃんの分もココア淹れてあげたいし、こうして戻るとたぶんうたた寝してるから、毛布掛けてあげたいし…たまにちょっと嫌がるんだけど、髪を梳いてあげたいって思う」
    マグカップがふたつ、すぐそばのローテーブルに置かれる。桃はふたたびベッドに乗り上げて、横たわる私を見下ろした。細っこい指先が私の髪を撫でようと近づいて、けれど触れないままキスをされる。
    「考えたって仕方ねえことだ」
    「あなたが真希ちゃんでよかった」
    桃の薄い肩を軽く押して、自分のからだの上に乗せる。はみ出す部分が心地よいと思ったのはいつだっただろう。小さな頭を抱き寄せてキスをすると、今度は舌が入った。
    「なんでそう思う?」
    「そうはさせてくれないから」
    私たち、友達じゃないもん。じゃあなんなんだよって、思って口に出せないままからだに触れられる。桃の中で、私に与えられない部分が真依だ。真依じゃない分が私で、私はそうして真依のにおいをほんの少し感じることができる。
    「早く飲まねえと。せっかく淹れたのに」
    「そうだね、ほんと。冷めちゃう」
    「私の分はなに」
    「なんか、余ってた適当なやつ」
    「なんだよ」






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