同じものを見ている彰人を見る度、「これ程美しい男はなかなかいないのではないか」と、不躾にも見惚れては考えてしまう。
顔が、という訳ではない。もちろん彼のルックスは整っているとは思うが、そこが美しさの本題ではない。
彰人が常に""歌""に向けている炎のような、燃えるような情熱。己の夢を信じて直走る力強さ。夢の実現の為に努力を惜しまない心。いつだってそれらは美しくて、見えない煌めきを帯びている。
ありきたりな話になるが、人の美しさの本題は、内面そのものだと思う。
美しい内面は、人の心を動かす。狂わす。俺もその一人なのかも知れない。現に俺は、頬杖をつきながら次のイベントでのセットリストを決めようと、テーブルに向き合いながらノートに書き込んでいる彰人の、真剣な表情から目が離せなくなっている。引力が作用しているかのように。
彼の表情ひとつひとつに、彼自身が内に秘めている炎が点されているのでは、と思えてしまう。
「……なんだよ、冬弥」
あ、いけない。彰人の美しさに見惚れて、また呆れ笑いを浮かべさせてしまった。思わず目を逸らしたが、当然、あまり意味は成さない。これで何度目だろう。だが、彰人は俺に呆れても、いつもどこか満更でもなさそうで、いや、寧ろ満足そうなのだ。
「すまない……また彰人を見つめてしまった」
また、ねえ。と、彰人はペンを置き、少しにやけながら笑った。
「別にいくら見ても減るもんじゃねえし、良いけど。お前は飽きねぇのかよ」
彰人のその問い掛けに、俺は「ああ」と即答した。瞬間、彰人は目を丸く見開き、頬杖をついていた手で咄嗟に口元を覆った。
「……同じか……」
小声でそう言った彰人の顔は、少しだけ俯くと、見る見るうちに赤くなっていく。
明らかに照れている。俺の今の言葉に照れるような要素はあったのだろうか。彰人の問いに肯定しただけなのだが。
「……オレも、」
「?」
「オレもそうだよ」
何が、と問う前に彰人は言葉を繋げた。
「オレも、冬弥の事を見ていて、飽きた事は無ぇよ」
「え、」
少し驚いてしまった。彰人は、いつ俺を見詰めていたのだろうか。
相棒であり親友という関係上、俺達は共に過ごす時間が多い。距離感も、友人同士にしては近いとは思う。それ故に俺は彰人をつい見詰め過ぎて、彰人に微笑まれながら呆れられるのが常だったのだが、そうか。盲点だった。
俺は彰人を見るのに夢中になり過ぎて、彼から向けられる俺への視線に、かなり鈍くなっていたらしい。
「そ、それは…」
「ん?」
「それは……勿体無い事をしてしまったな……」
思い返してみると、彰人は俺の視線に気付くのが異様に早いと思っていた。ふと彰人に視線を向けた瞬間、目が合う事が多かった。俺が見ている先にある物について、何を見ているのかと話を振ってくる事も多かった。
「彰人が、俺の事をそんなに見てくれていたなんて」
つい、手で顔の下半分を覆ってしまった。視線が下がる。顔が熱い。これではまるで、今の彰人と同じだ。
「……当たり前だろ。相棒なんだから」
彰人の口元を覆っていた手は離れ、俺の方へと伸びてきた。顔はまだ仄かに赤いが、余裕そうな様子だった。
「あき、と」
予想していなかった動きだったので、俺は少し身構えてしまった。俺のそんな様子に、彰人はいつものように微笑んだ。
伸びてきた彰人の手が、熱くなった俺の耳朶に触れる。あっつ、と彰人は嬉しそうに言った。その言葉に、俺の顔は更に熱く、ぶわ、と火照る。
「あ、彰人。だ、ダメ、だ……」
何故だろう。今までこれぐらいのスキンシップは山ほどしてきた筈なのに、何故こんなに恥ずかしいのだろう。
「駄目?どうしてだよ」
彰人の手が、今度は首筋に移動する。触れられる度にどく、どく、と太い血管が脈打っているのが分かる。それがますます恥ずかしい。
「す、すごく恥ずかしいんだ」
「どうして?」
「どうしてって、それは、あ、」
彰人の暖かい手で、首筋を撫でられる。
恥ずかしい、熱い、嬉しい、気持ち良い。色々な感情が忙しなく頭に浮かぶ。
「冬弥」
いつもの低くて、優しくて、甘い声。俺の大好きな声で、名前を呼ばれる。俺は彰人に、なんだ、と自分でも驚く程に小さな声で返答した。
「いつもみたいに、オレのこと見てくれよ」
口元を覆っていた俺の手が、彰人の手によって退かされる。彰人の手が、顎の下に潜り込む。人差し指に力が込められ、ぐい、と。俺は不本意に顔を上げる事になってしまった。
「っ、あ…」
彰人の顔が、至近距離にある。細めの、少し吊り気味の眉毛。甘く垂れた瞼。オリーブ色の瞳。長い睫毛。全てが至近距離にある。
「っ、」
こんなに近くで、彰人を見た事は無い。見る事になるとも思っていなかった。だって、ここまで近付いてまでやる事と言えば。
「なあ、冬弥」
彰人の額と、俺の額がくっつく。心臓の音と、彰人の声しか聴こえない。今の俺の世界には、この二つの音しか、無い。
「キスしようか」
「…っ」
細まった彰人の瞳には、確実に火が点っていた。
彰人の内にある炎。それは俺がストリートで歌の活動をするきっかけになったものだ。
要は、俺を引っ張り上げてくれたもの。俺を導いてくれたもの。俺を、救ってくれたもの。
———俺に、初恋を教えてくれたもの。
「ど…どうしてそうなる…」
「オレがキスしたいと思ったから」
「どうして、したいんだ…」
「相手が冬弥だから」
「……」
「…冬弥はどうなんだ?」
「俺は…」
したいに、決まっている。彰人は、俺の初恋の相手なのだから。
しかし、こんな流れで本当にして良いものなのだろうか。そもそも、何故こんな流れになったのだろうか。いつものように彰人を見詰めて、いつものように彰人に呆れられながら笑われて、それで……。
「冬弥」
俺が逡巡に囚われて言い淀んでいると、彰人が再び名前を呼んだ。顎に添えられていた手が、唇へ移る。
す、と横に一線を引くように、人差し指で下唇を撫でられる。彰人の瞳は、獲物に狙いを定めた肉食獣のように鋭い眼光を放っていた。
ああ、参ったな。まさか彰人は、普段からこんな眼差しで、俺を見詰めていたのか?だとしたら今まで気付かなくて寧ろ良かったのかも知れない。だって、こんな熱が己に当てられていると知ったら、きっと俺の平常心は無くなってしまう。
ただの熱視線とは思えない程の熱量に耐えきれず、俺は思わず目を逸らした。
「……」
彰人の額と、顎に添えられた手が離れた。解放された、と安堵したのも束の間。彰人の両手が俺の両頬に添えられたかと思えば、そのままキスで唇を塞がれてしまった。
「ッ!」
反射的に目を瞑ってしまった。触れるだけのキスかと思えば、彰人のねっとりとした熱を帯びた舌が、俺の口腔に入り込み、うねる。ぐちゅ、ぷちゅ、と官能的な音が鳴る。
「っ、ふ、んんっ」
上顎を舐められ、歯の裏を舐められ、俺の口の中は彰人の良いようにされた。
「冬、弥」
キスの合間で、また彰人に名を呼ばれた。なんだ、と俺は乱れた呼吸の隙間から返答した。
「……オレを、ちゃんと見ろ」
彰人はそれだけ言うと、キスを一旦止めた。
俺は瞑っていた目を開けた。そこには頬を紅潮させている、余裕を失った一人の男がいた。
「……み、見てる」
俺は、そう返答するしか無かった。彰人は余裕こそ無くなっていても、瞳に宿った熱は一層強まっている。この男は、俺を仕留める事を諦めた訳ではない。
「……なら、良い」
彰人は一言そう溢すと、キスを再開した。
下唇を丁寧に喰まれ、溢れそうになった唾液を吸われる。舌先をちろちろと舐められたかと思えば、次の瞬間全体を大胆に舐め尽くされる。
「んんっ、ふ、…っ」
揉みくちゃにされているのは口内なのに、俺は下腹部にも熱を覚えてしまった。
「んっ、ぁ…彰人ッ、これ以上、は…っ」
はぁ、はぁ、と息をする合間に、俺は抗議をした。普段の走り込みやトレーニングで鍛えられた彰人の厚い胸板に手を当てて押し除けようにも、俺の腕力では敵わない。
「彰人…ッ!」
辛抱堪らず、俺は拳で彰人の胸をどん、と叩いた。流石にその衝撃は響いたのか、ぴたりとキスが止まった。
慌てた様子で彰人は唇を離し、「悪い」と一言詫びた。
「……嫌だったよな」
先程までの獣のような眼光は打って変わって、飼い主に叱られた仔犬のように僅かに潤んでいた。
その様子があまりにも可愛らしく、俺は思わず微笑みそうになったが、それは彰人に失礼だからと理性で堪えた。
「い…嫌ではなかった、が……」
嫌ではなかった。それは本当だ。彰人は、俺の想い人なのだから。寧ろ、キスをするような関係になりたいと夢見ていた相手だ。
にも関わらず、俺が彰人のキスを止めようとした理由は二つある。一つは、あまりにも現実感が無いシチュエーションだったので、一旦普段の現実に戻りたかったから。
———もう一つは。
「……これ以上されたら、キスより先を期待してしまいそうだったから……」
「……!」
己の欲情を報告するようなものなので、死ぬほど恥ずかしかったが、正直に話した方が後腐れなくて良いだろうと思い、つい言ってしまった。
「彰人も流石に、そこまでは想定していな……」
言い切る前に、彰人に手首を掴まれた。今度はなんだ、と思っていると、馴染みの無い熱と膨らみ、そして脈動を手の甲に感じた。
ふと己の手に視線を落とすと、彰人の股座に俺の手が触れていた。
「…っ!」
ぶわ、と顔がまた熱くなる。まさか彰人も、俺と同じように欲情していたなんて。
「ど、どうしてこんなになってるんだ、…ッ」
「お前な……あんだけエロいキスしたんだから、そりゃこうなるだろ?」
彰人は俺の手の甲に、ずり、と己の熱くなったそれを擦るように押し当てた。
「っ、い、いけない……彰人、そんな……ッ」
そんな事をされては、鎮まりかけていた下腹部の熱が復活してしまう。大好きな彰人の、一番熱くて、性的で、男らしい部分が、俺の身体の一部に触れていると思うと。
顔を俯かせ、震える他なくなった俺の耳元に、彰人の顔が容赦なく接近する。
「冬弥」
また、低く優しい声で名前を呼ばれる。
「冬弥は、どうしたいんだ?」
彰人の手が俺の手首から離れたかと思えば、今度は俺の腰に触れてきた。彰人の手は腰から少しずつ下へ行き、僅かにテントを張った俺の股間へと伸びる。
「っ、ぁ…」
「なあ、オレの触ってこうなったのかよ」
くす、と意地悪に微笑まれてしまった。俺が彰人を見詰め過ぎて、呆れられた時と同じ笑い方だった。
そしてたった今、理解した。普段の彰人の、呆れ笑いと思っていたもの。あれは呆れ笑いなどではなく、俺の事が愛おしくて笑ってくれていたのだと。
つまり彰人も、俺と同じ気持ちを抱いてくれていたのだと。
「…っ、俺は…いや……俺も……」
心音がとても煩い。全身が心臓になったようだ。
「俺も、彰人と同じだ……」
キス以上の事をしたい、と弱々しく溢した。彰人はまたくす、と笑った。
「冬弥はどっちが良い」
「……彰人に、抱かれる方が良い」
「そうか。まあ、今日は初めてだし、最後まではしねぇけど」
「ん……分かった」
最後まではしない、という部分に少し寂しさを覚えたが、彰人との関係が進展した事がとても嬉しかった。
彰人がいつも就寝時に使っているベッドに、俺達二人は座った。向き合って、数秒見詰めあって、ベッドの上で触れるだけのキスをした。